銀河鉄道の夜に優しい君と恋をする

三月菫

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50話 帰り道も二人

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 勉強会の帰り道。
 すっかり日が落ちて真っ暗になってしまった住宅街の夜道を、自宅に向かって俺は歩いていた。

 そんな俺の隣には――なぜか詠がいる。
 その理由は少し前までさかのぼる。

 優木坂家での晩ごはんはにぎやかで実に楽しかった。

 加代子さんは意外とおしゃべりな性格で、学校での詠のことを俺にいたり、家での彼女の様子なんかを色々と教えてくれたりした。
 文ちゃんも母親に負けじと、相変わらずかしましくて、俺と詠の関係を勘ぐりして、いろいろと質問攻めにしてくる。
 その度に、詠が「ちょっと、お母さん! それに文も! あんまり変なこと夜空くんに言わないでよ!」と顔を赤くして怒っていて、それがまた微笑ましい。
 詠の家族仲の良さがうかがえた。

 晩ごはんを終えた俺に対して、加代子さんは「せっかくだからお風呂も入っていったら」と提案してくれたが、それは丁重に辞退した。

 そして、帰り支度を済ませた俺がいよいよおいとましようとしたとき。

「夜空くん、家まで送るよ」

 詠がそんなことを提案していきたのだ。
 
 その後の詠は、妙に頑固がんこだった。
 結局、俺は詠の申し出を断りきれずに、現在に至るというわけである。


「やっぱりさ。詠の家から俺の家まで帰るのに、わざわざ詠に送ってもらうのって、どう考えても変じゃね」

 俺は隣を歩く詠に向かってツッコミの声を上げた。

「いいの。いっつも夜空くんに送ってもらってるから、たまには私が送りたかったの」

 詠は少しだけ唇を尖らせて、そんなことを言い返す。

「そりゃ俺は一応男だから。夜道を女の子一人で歩かせるわけには……」
「ふふん、夜空くんは意外と価値観が古風なんだね」
「そんなことは……」
「ゴメン、冗談。いつも夜空くんが私のことを考えてくれてるのわかってる。ありがと」

 そういって詠はニコリと笑う。
 ダメだな。この笑顔には、俺は勝てない。

「じゃあ、駅まで、そこまで送ってよ。そこで解散。それでいい?」
「うん、わかった!」

 嬉しそうな顔を浮かべながら、詠は小さくガッツポーズをした。
 
 それからしばらく他愛のない会話をしながら歩き続ける俺たち。

「明日、夜空くんは何する予定?」
「愚問だね。当然、引きこもるよ。こんなに勉強頑張ったんだから、その分明日は一生懸命ダラダラしなきゃ」

 撮りためしていたアニメもあるし、読みたい新刊マンガもある。
 ああ、ゲームもやらなきゃな。これは忙しくなるぞ。

「くす、夜空くんらしいね」
「そういう詠は、何するのさ?」
「私? うーん、ちょっとだけ今日やったところの復習をして、後は……そうだなぁ」
「明日も勉強か、さすがは詠先生」
「夜空くんも、できれば復習だけは毎日続けたほうがいいよ」
「はーい」
「もう……」

 詠は少し呆れたように笑いながらも、どこか楽しげだ。
 そして不意に、何か思いついたのか、「あっ」と声を上げて立ち止まった。

「そういえばさ、夜空くん」
「なに?」
「この前買った『銀河鉄道の夜』。読んだ?」

 詠がたずねてきたのは、この前二人でブックカフェに行ったときに、俺が購入した本についての、その後の読書状況だった。

「あー、実はまだ。読んでないんだ」
「そっかそっか」
「ごめんね? なかなか時間がとれなくて……」
「ふふ、謝らないでよ。いつ本を読むかは、夜空くんの自由だよ」

 詠はそう言って俺に笑いかける。

「なんたって詠が一番好きな本だから。絶対読むからさ。もうちょい待ってて」
「うん。待ってる。読んだら感想教えてね」

 そんな話しをしているうちに、あっという間に駅前に到着してしまった。
 ちょうど改札口へ続く階段の下辺りで、俺たちは足を止めた。

「ありがとう、詠。ここまで送ってくれて」
「うん、どういたしまして」
「じゃあ、また週明け。学校でね」
「うん……」

 不思議なものだ。送るのは駅前まででいいよと言い出したのは、俺の方なのに。
 駅前に到着して。いざ、もう詠とお別れしないといけないとなったとき、言いようのない寂しさが胸の中に湧き上がってきたのだ。
 俺はそんな名残惜なごりおしさを誤魔化ごまかすために、無理に口角こうかくを上げていびつな笑顔を作る。

 その顔をあまり見られたくなかったので、さっさと背中を向けて、そのまま詠と別れようとしたとき――

 グイッと、背中を引っ張られるような感覚があった。
 反射的に振り返ると、詠が俺のシャツのすそをつまんでいるのが見える。

「詠――? どしたの?」
「えっと、その……」

 詠はおずおずといった感じで、シャツのすそを手放すと、うつむきがちに口籠くちごもりながら、両手を胸の前でモジモジさせた。
 
「やっぱり、私、家まで送る。もうちょっとだけ――夜空くんと一緒にいたい」
「詠……」
「ダメかな……?」

 上目遣うわめづかいで俺を見つめてくる詠。
 そんな彼女の姿を見た俺の胸中を、言いようのない切なさと衝動が襲う。

「――ッ!」

 彼女に触れたい。
 その細い身体を力いっぱい抱きしめたい!

 そんな生々しい欲求が一気に溢れ出してきて、彼女に向かって手を伸ばしそうになった。
 そのすんでのところで、俺は慌てて彼女の琥珀色こはくいろの瞳から顔を背ける。

「夜空くん……?」

 詠はそんな俺の様子を受けて、不安げに声をあげた。

「ゴメン、ちょっとだけ待って……」

 俺は必死に自分の中に芽生えた凶暴臆病感情欲求を押し殺そうと、大きく深呼吸をした。
 
 そして。

「ありがとう、詠」
「え?」
「俺も一緒だった。自分で言っときながら恥ずかしいんだけど、もう少し詠と一緒にいたいなって」
「ホント!?」
「ああ。だから、このまま家まで送ってくれたら、嬉しい」
「うん! 任せて!」

 詠の顔が笑顔で華やぐ。
 その表情を見て、俺は心の中で安堵のため息をついた。

 危なかった。
 あと少し、心のブレーキをかけるのが遅れていたら、俺は彼女を抱きしめてしまっていた。

 そんなことをしたら。
 俺はきっとこの笑顔を永遠に失ってしまうところだったかもしれない。

「じゃあ、行こっか」
「うん」

 俺と詠は再び歩きだす。
 それから、二人の間の距離が少しだけ縮まった気がしたが、そのことに俺は困惑していた。

 だって、俺の心臓の鼓動が彼女に聞こえてしまいそうなほど、激しく脈打っていたから。
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