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奇妙な会話、合わない辻褄
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朝。
林間学校二日目の、静かな時間だった。
まだ日が完全に昇りきっていない森の奥では、木々の間からかすかに朝の光が差し込んでくるだけ。
小鳥のさえずりも、霧の中ではどこか遠く、ぼんやりと響いていた。
僕は、宿舎の裏手にある簡易の洗面所でひとり、冷たい水を手ですくって顔を洗っていた。
バンガローの中では、まだ誰も起きていない。
少し早起きしすぎたかもしれないが、昨夜の出来事のせいで、どうにも頭が冴えていた。
「……よし」
水を拭いて、軽く伸びをしたときだった。
――カサッ、と。
すぐ背後で、わずかな気配があった。
「うおっ……!?」
慌てて振り返ると、そこに立っていたのは――
「おはようございます、悠真くん」
セラフィーナ・ルクレール。
昨日の夜とまったく同じ制服姿で、ただし今日は髪をやや低い位置でまとめていて、少し落ち着いた印象だった。
「……また、なんでお前がここに」
「警護です。今朝は少し空気が張り詰めておりましたので、念のため――」
いつも通りの整った口調だったが、周囲には誰もいない。
つまり、僕にだけ向けられる“あの敬語”だった。
「いや、ここって宿舎の裏だぞ? しかも男子バンガローのほうだし……」
「問題ありません。周囲の気配は確認済みです。……人目に触れぬよう、配慮はしております」
「いやそうじゃなくて……」
この人、本当にいつもこうだ。
見つかったら説明できないだろうに。
「……まぁ、ありがとな。でも、もう大丈夫だから。今日も特に変わったことはないし」
僕が苦笑しながらそう告げると、セラフィーナは少しだけ目を細めた。
「それは良かったです。……天音さんとの関係も、順調のようで」
「……お前、なんでそれを?」
「昨夜の様子を、少しだけ観察しておりましたので」
「ストーカーかよ……」
思わず呟いたその言葉には答えず、彼女はただ穏やかに微笑んでいた。
――ああ、そうだ。そういえば。
「なあ、セラフィーナ。天音に俺のこと、頼んでくれたんだよな?」
「……?」
セラフィーナの表情が、わずかに曇る。
「ほら、最初の頃さ。お前、俺のことが心配で天音に“付き添ってあげて”って言ったんじゃないのか?」
「――申し訳ありません、悠真くん。……そのようなお願いを、私はした記憶がございません」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
セラフィーナは、まるでそれが当然だというように続けた。
「天音さんとは個人的な交流はほとんどなく、学院の職務上も接点はありません。ですので、命令や依頼といった行為を行った事実は……」
「え、でも、天音が“セラフィーナ先輩に頼まれたから”って言ってたんだぞ?」
少しだけ焦りながら尋ねると、セラフィーナは本当に首を傾げた。
「……それは、何かの誤解ではないでしょうか? あるいは、彼女の独自の判断で動かれたとか」
「独自の判断……?」
「はい。天音さんは……いえ、いえ。失礼いたしました。詮索は控えます。ですが――私からの命令というのは、事実としてありません」
……なんだ?
少しずつ、何かがズレていくような感覚。
天音はあのとき、たしかに言っていた。
「セラフィーナ先輩に頼まれたから」って。
それは嘘だったのか? でも、あの天音が……? 何のために?
僕が思考を巡らせている間にも、セラフィーナは静かに立っていた。
「……悠真くん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。大丈夫……」
けれど、その“だいじょうぶ”が、今ひとつ自分の中でも信用できなかった。
昨夜の出来事――天音の言葉。
“好き”“安心する”“いい匂いがする”。
それらの言葉が、もし何かの“きっかけ”として仕掛けられたものだとしたら……。
「悠真くん。何かあれば、私が必ずお守りします」
セラフィーナの声が、今は少し遠く感じられた。
森の奥、まだ朝霧が薄く残る中で。
僕の中に、小さな疑念が――確かに、芽生え始めていた。
林間学校二日目の、静かな時間だった。
まだ日が完全に昇りきっていない森の奥では、木々の間からかすかに朝の光が差し込んでくるだけ。
小鳥のさえずりも、霧の中ではどこか遠く、ぼんやりと響いていた。
僕は、宿舎の裏手にある簡易の洗面所でひとり、冷たい水を手ですくって顔を洗っていた。
バンガローの中では、まだ誰も起きていない。
少し早起きしすぎたかもしれないが、昨夜の出来事のせいで、どうにも頭が冴えていた。
「……よし」
水を拭いて、軽く伸びをしたときだった。
――カサッ、と。
すぐ背後で、わずかな気配があった。
「うおっ……!?」
慌てて振り返ると、そこに立っていたのは――
「おはようございます、悠真くん」
セラフィーナ・ルクレール。
昨日の夜とまったく同じ制服姿で、ただし今日は髪をやや低い位置でまとめていて、少し落ち着いた印象だった。
「……また、なんでお前がここに」
「警護です。今朝は少し空気が張り詰めておりましたので、念のため――」
いつも通りの整った口調だったが、周囲には誰もいない。
つまり、僕にだけ向けられる“あの敬語”だった。
「いや、ここって宿舎の裏だぞ? しかも男子バンガローのほうだし……」
「問題ありません。周囲の気配は確認済みです。……人目に触れぬよう、配慮はしております」
「いやそうじゃなくて……」
この人、本当にいつもこうだ。
見つかったら説明できないだろうに。
「……まぁ、ありがとな。でも、もう大丈夫だから。今日も特に変わったことはないし」
僕が苦笑しながらそう告げると、セラフィーナは少しだけ目を細めた。
「それは良かったです。……天音さんとの関係も、順調のようで」
「……お前、なんでそれを?」
「昨夜の様子を、少しだけ観察しておりましたので」
「ストーカーかよ……」
思わず呟いたその言葉には答えず、彼女はただ穏やかに微笑んでいた。
――ああ、そうだ。そういえば。
「なあ、セラフィーナ。天音に俺のこと、頼んでくれたんだよな?」
「……?」
セラフィーナの表情が、わずかに曇る。
「ほら、最初の頃さ。お前、俺のことが心配で天音に“付き添ってあげて”って言ったんじゃないのか?」
「――申し訳ありません、悠真くん。……そのようなお願いを、私はした記憶がございません」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
セラフィーナは、まるでそれが当然だというように続けた。
「天音さんとは個人的な交流はほとんどなく、学院の職務上も接点はありません。ですので、命令や依頼といった行為を行った事実は……」
「え、でも、天音が“セラフィーナ先輩に頼まれたから”って言ってたんだぞ?」
少しだけ焦りながら尋ねると、セラフィーナは本当に首を傾げた。
「……それは、何かの誤解ではないでしょうか? あるいは、彼女の独自の判断で動かれたとか」
「独自の判断……?」
「はい。天音さんは……いえ、いえ。失礼いたしました。詮索は控えます。ですが――私からの命令というのは、事実としてありません」
……なんだ?
少しずつ、何かがズレていくような感覚。
天音はあのとき、たしかに言っていた。
「セラフィーナ先輩に頼まれたから」って。
それは嘘だったのか? でも、あの天音が……? 何のために?
僕が思考を巡らせている間にも、セラフィーナは静かに立っていた。
「……悠真くん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。大丈夫……」
けれど、その“だいじょうぶ”が、今ひとつ自分の中でも信用できなかった。
昨夜の出来事――天音の言葉。
“好き”“安心する”“いい匂いがする”。
それらの言葉が、もし何かの“きっかけ”として仕掛けられたものだとしたら……。
「悠真くん。何かあれば、私が必ずお守りします」
セラフィーナの声が、今は少し遠く感じられた。
森の奥、まだ朝霧が薄く残る中で。
僕の中に、小さな疑念が――確かに、芽生え始めていた。
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