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第一章
1-1
しおりを挟む第一章
一
タイマは、坂島恭一郎と言う名を受けた。生まれた時から、髪の毛には色がなく、「白髪の赤ん坊」として倦厭されていた。生みの母親である佳子は、タイマを気味悪がって抱くこともなく、すぐに乳母へと引き渡した。この乳母も、仕事だからこそ乳をやってはいたが、そうでなければ裏庭にある井戸にでも捨ててしまいたかった、ともらしていたそうだ。
なぜ絞められることがなかったかと言えば、佳子は子供を産むのが難儀な体をしていたからだ。坂島にとっては、念願かなっての子供であったため、いかな化け物でも、容易に殺すことができず、また家名の高さから、そうした卑しいことを進んで行うことはできなかった。仕様がないので次男が生まれるまで、処遇を一時的に保持していたのだそうだ。そのため、しぶしぶながら育てられていた。それが幸いして、力のないうちに殺されることはなかった。ともかく運が良かった、とタイマはのちのち語っていた。
わしはと言えば、退屈を持て余していたため、下女の足をつかんでは、転ばせたり、盆に乗っていた饅頭を盗み食いしたり、畳を踏み鳴らしたり、障子に穴を開けたりして、人間どもをからかって、しばらく時を過ごしていた。それもすべてはタイマを喰うためだった。成長し、口が訊けるようになってから、文句の一つでも言って、頭から丸のみにしてやろう。積年の恨みもかねて、怯えさせて殺してやろう。と、ほくそ笑んでいた。
しかし、わしの思惑は、タイマが生後八カ月を迎えたころ、露となって消えた。このとき、ほんの少しからかってやろうと、乳母のいない隙を狙って、顔をのぞきこんだ。タイマは、らんらんとかがやく黄色い双眸を、なつかしそうに細めて、笑った。それに眉根をよせ、牙を出して、威嚇してみるも、からからと笑うだけで、泣きもしなければ、恐がりもしなかった。
なるほど、これは記憶があるに違いない、と身をすくめて、後ずさった。油断して、口に入れた瞬間、舌を引っこ抜きかねないから天狗は怖い。舌打ちをして、食べるのを諦める。まったくつまらん。
では、もう用もないから消えようか、と悩むが、しばし思いとどまる。うまくゆけば、家族どもを喰うことはできるかもしれない。なにより、どこかに「家」を持てば、そこを往来する人間を、喰うに困らない。そんなら、もうしばらくはこの家に居て、うまいことタイマを言いくるめて、共に人を喰ってもいい、と心持を新たにがんばることにした。
そうして、月日が流れて、タイマが年五つを迎えたころ。完全に記憶も安定してきたのか、わしを「八枯れ」と呼びはじめ、向こうで喰っていた餌の話しなど、平気でするようになった。
「一番うまかったのは、大とかげの丸焼きだね」
「わしは、人間の足の素揚げじゃ」
「相変わらず、悪趣向な奴だな」
「ゲテモノ食いに言われたくはない」
三つ目をむいて、角をかきながら鼻を鳴らした。タイマはにこにこと笑いながら、わしの頭をなでる。もちろん、肉体などないので、触れることはできないが、あまり気分の良いものではなかった。
「気安いぞ」
「いいだろう。どうせ、触れないんだから」
「そういう問題じゃない」
じっと、睨んでいると、タイマは「はいはい」と両手を上げて、憮然とした。
「難儀な奴だね。見つけた時は、さすがに驚いたよ。おや、間抜けな顔が何か企んでいるぞ、ってね」
ムッとして、視線をそらすと、庭先に植わる楓の大木を見上げて、舌を出した。
「一番、考えなしの馬鹿にだけは言われたくないな」
「考えがない訳じゃない。しかし、お前はどこにいても変わりないから、うらやましい。大きな体、黒い髪、青い肌、三つの目玉と角、うずまき模様の着流し」
わしは不機嫌な表情を浮かべたまま、白髪を見つめて嘲笑した。
「それが肉体をもつことの不自由さだ。あきらめろ」
「まあ、そうだ」とうなすいて、タイマは自身の白髪をなでて、笑う。「人の体と言うのは、少し不便だ。でも羽根がないだけ、良いだろう」
「逆じゃ。羽根がないぶん嘆かわしい」
「お前は、いつもおかしなことを言うね」
そうして、縁側でぼそぼそとしゃべり、一人笑っている姿は、気味の悪いものだったのだろう。廊下を渡る、何人かの下女が、タイマを「気違いだ。だから、あんなに髪が真っ白なんだ」と、噂していたのを知っている。だが、それはあながち間違いでもないな、とわしは牙を見せて、笑った。
「貴様は化け物だからな」
「違いない」
タイマは心の底から愉快そうに、ははは、と笑っていた。
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