天地伝(てんちでん)

当麻あい

文字の大きさ
6 / 53
第一章

1-5

しおりを挟む
  五

 夜になって戻ってみると、タイマは縁側に腰かけたまま「やあ、おかえり」と、言ってわしを出迎えた。それを無視して、障子を開けて中に入ろうとすると、「心の痛みを、知ってほしかったんだ」と、突然そんなことを言った。驚いてふりかえった。
 「顎が砕けるところだ」
 「それ以上、曲がる骨もないだろう」
 「あの打撃差は何だ」
 「ちょっと、力の加減ができんかったのは、悪かったと思うよ。京也も驚かせてしまったし」
 「答えになっとらん」
 タイマはゆるく団扇を動かしながら、前髪をゆらせていた。わしはふん、と鼻を鳴らすと「あの弟を、貴様は溺愛しすぎじゃないのか。天狗のくせに愛だと?ちゃんちゃらおかしくて、へそで茶がわける」
 「それだ、八枯れ。俺には良いが、あの子には駄目だ。いけない」
 「いけない、って、貴様」
 子供を叱るようなタイマの声に脱力し、わしは縁側で前足をおって、座り込んだ。タイマはそれに対して、愉快そうに眼を細め「なんだか、飼い犬のようで、愛着が持てそうだ」などと、気味の悪いことを言った。
本当に嫌な男だと思う。考えているように見えて、まったく考えていないと思えば、考えていないように見えて、考えている。昔からそうだったが、人間に生まれてからと言うもの、わしはこの馬鹿な天狗のことが、もっとわからなくなった。
 「俺たちは、簡単には傷がつかない。心身ともにそうだ。それに長生きだろう」
 「今さらだな」
 「今だからだ。より弱い生き物のことを、考えてやらなくちゃ」
 「偽善だな。強いものが弱いものを喰うのは、自然の理だ。わしらは、そういうものじゃ。そんなこと動物だって知っとることじゃないか」
 「俺はおかしいか」
 「ああ、おかしいな」
 はは、と声をもらして笑ったタイマを見上げ、目を細めた。
 「うん、おかしいかもしれん。だけど、見てしまったのだから、仕様がない。それを見てしまったら、力の加減ができなかった」
 「何の話だ」わしは、訝しそうに眉間に皺をよせた。タイマはそれに笑みを浮かべて、するどい目を細めた。
 「京也が、傷ついた顔をした。一瞬だったけどね。とても、とても、悲しそうに顔を歪めたんだよ」
 タイマは、白い前髪をかきあげて、空を見上げる。かすかにゆらす、団扇にのって、天狗の風が宙を舞った。人でも、化け物でもないくせに、こいつはわしより、生きることを楽しんでいる。
 「あの子は、聡明だ。お前だってよく知ってるだろう」
 時折、言葉遊びのように曖昧にしか話さない。その抽象的な内容を、理解してやろうとするほど、わしは親切ではない。だから尻尾を振って鼻息を荒くすると、タイマを睨み上げる。
 「まどろっこしいな。はっきりしろ」
 「京也はね。俺が、京也が生まれたために、この家を継げないことをわかっているんだ。あの母親の、この家の溺愛ぶりは異常だ。俺の後に、あんな立派な子が生まれたんだ。当然さ」
 目を細めて、ちら、とその表情をうかがう。タイマは相変わらず、快活な笑顔を浮かべている。
 「知っていたか?坂島恭一郎と言う人物は、まだ戸籍に入っていないんだ。ここのじいさんは、政界の人だからね。それぐらい造作もないことだ。それで京也が生まれ、登録を済ませた。さて困ったものだよ」
 わしは怪訝そうに眉をよせた。
 「何が問題なのかよくわからん。半分以上、貴様が言っていることは呪文にしか聞こえんぞ」
 そう言って真剣なまなざしをやると、タイマは一度、目を大きく見開いてから、盛大に笑いだした。しばらく腹を抱えて、両肩を震わせている。よくわからないが、おそらく馬鹿にされている。
 「お前も、少しはこっちのことを勉強したらどうだ。これが、なかなか、面白いんだ。特にいまのこの国は、外来のものと、自国のものが行き来して、混在しはじめていてね。どこに向かって行きゃ良いのか、わからない。わからないが、表ではそれをそれとして出さない。へらへら笑うものでもないが、身軽な様を演じてみせる。だが、その実は重いものだ。矛盾している」
 タイマは目尻にたまった涙をぬぐいながら、書棚の方を指さした。その指の先をたどって見ると、赤や、黄の布に巻かれた本がいくつか、並んでいる。一度、じっと眺めてから、鼻を鳴らした。
「くだらん」と、低くうなる。「最近、夜ふかしだったのは、そういうことか。貴様は一応、人間のことを学ばねば振舞えまい。だが、わしは違う。鬼だからな」
 「犬に見えるがね。まったく、お前のおかげで、深刻な話しが台無しじゃないか。緊張感のない奴だな」
 「貴様にだけは、言われたくないな。なんでもかんでも、楽しむ癖をどうにかしろ。迷惑じゃ」
 「生きている限り、迷惑はなくならない。良いことじゃないか」
 「無駄なことじゃ」
 「無駄が大事なのさ」
 「言ってろ」
 「だから、京也に木偶だとか、人形だなんて、言っちゃいけないよ。それはこの家じゃ、本当のことなんだから。本当と言うのは大事だが、時として激しく人を傷つけるんだから。厄介なものだ」
 タイマの鋭い目をのぞきこみ、首をかしげて眉間に皺をよせた。
 「さっぱりわからん」
 「勉強しろって」
 タイマは、苦笑を浮かべて頬づえをついていたが、それに鼻を鳴らして、尻尾を振った。知ろうとしたところで、どうにかなるものでもなし、なにより種族の違いなど、活字を通して越えられるとは到底、思えない。喰っても、生まれ変わっても、所詮、化け物は化け物でしかない。そこに来て、人間の考えをいくつ紐といたところで、同じことだ。
「さて、そろそろ一杯やろうか」
立ち上がって伸びをすると、愉快そうに笑ってそう言った。わしとタイマが、開け放なしだった障子を越えて、部屋に入った時だった。慌ただしい足音が、近づいてきた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

【本編完結】転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
ファンタジー
転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...