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第一章
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四
タイマが、十五になったころ、「家守」になろうと言いだした。「トカゲか、何かか」と、馬鹿にしてみたが、タイマは一向気にも留めず、もくもくと事をやりはじめた。妙な護符やら、なにやらをつくり、それを家人の見えないところに、貼りつけて回った。あげく、鬼門には塩を盛られ、わしはついにそこを通れなくなった。
愚痴をこぼすと、「肉体」を用意してきた。二尺(約一メートル)はある黒い狼犬の亡骸を、どこでつかまえてきたのか、「これで良いだろう」と言って、中に入るよう示した。わしは、その犬の中に飛び込んで、しばらくすると眼を開けた。伸びをして、尻尾を振り、体の具合をたしかめる。「なかなか悪くない」と言って、しゃがみこむと、ようやく肌に風を感じることができた。
それもこれもタイマの奇行のせいじゃ、と文句を言ったが、「でもお前以外の悪いものはいなくなったじゃないか」と言って、快活に笑っていた。一番、頭のおかしい奴にだけは言われたくない。
「兄さん、失礼します」
そうして、わしとタイマが喧嘩をしている時に限って、弟の京也がひょいと顔を出す。タイマは嬉々としてそれを迎え入れるが、わしは不機嫌になって京也の顔を睨みつける。
不思議なことに、次男の京也はタイマのことを、心から慕っていた。京也にもそれなりに妙なものが見えるからか、タイマの人柄だろうか。いずれにせよ、この兄弟は仲が良かった。
もちろん、兄と親しいことは家族に秘密にするよう、タイマから注意されていたので、屋敷の中では滅多なことをしなかった。まだ、十に満たない子供だったが、京也は頭が良い。タイマの処遇がなぜそうなのか、うすうす勘づいてはいたのだろう。これまでも、決して駄々をこねることなどなかった。それも気味の悪い話しである。
「どうだい、体の調子は。悪くないか」
タイマはにこにこ笑いながら、立ち尽くしていた京也に座るよう、うながした。京也は微笑をもらして、それに従い座布団の横に正座した。
「兄さんの護符のおかげでしょう。悪い気がみんな消えてしまった」
「そりゃよかった」
「ただの風邪だって言ったのに、大げさなんだから」
「お前に何かあっては困る」
「兄さんのほうが、体が悪いじゃないですか。それなのにこんなところに閉じ込めて」
「不自由はしていないよ」
京也には、兄の恭一郎は体が丈夫じゃないから、特別に部屋を用意している、とでも言ってあるのだろう。この聡明な弟は、それを全部鵜呑みにしてやしないだろうが、タイマの外見には何かあるのだろうと、考えているようだった。タイマはあえて本当のことは語らず、快活な笑みの後ろに隠していた。
「兄さんは、優しい人ですから。母さんのこともご心配なのでしょう。でも僕に何かあったら、それこそ兄さんを罪人扱いして、家から放りだすに違いない」
京也の辛辣な母親批判に声を上げて笑いながら、冗談めかしてつぶやいた。
「そうさ。打算からお前に優しくしているのだよ」
「それでも構いません」
京也は微笑を落として、タイマの鋭い双眸をじっと、見つめた。それに軽く息をついて前髪をかきあげると、苦笑を浮かべた。
「冗談だ。そう気に病むことはない」
「兄さん」
「こいつの脳内の基本律は、自分の損得だけだ。大概の善行は、気まぐれに過ぎん」
「それは、あんまりじゃないか。八枯れ」
当人はそうして苦笑するだけだったが、京也は鋭い視線で、わしを射った。
横から嘴を入れただけで、その陰鬱な黒い瞳を細めて、じとり、と睨みつけてくる。タイマを悪く言うと、いつもこうだ。根暗な弟め。
「お前は黙っていろ。兄さんにとり憑いた悪霊のくせをして」
「哀れな小僧じゃ。タイマを神格化しおって。よく見ろ。この男は、世界でもっとも迷惑な化け物なんじゃ。騙されると、痛い目にあうぞ」
「黙れ。これ以上、兄さんを愚弄するなら追い出すぞ」
「やってみろ。タイマの作った札でな。結局はタイマなしでは、何もできん木偶のくせをして、口だけは達者な奴だ」
わしが京也を嘲笑して見た瞬間、眼の前を大きな手のひらが覆った。衝撃と共に、後方にふっとばされ、襖に激突した。一瞬、何をされたのかわからなかったが、畳に打ちつけられた時、ようやく自分が、タイマに殴られたのだとわかった。
はじめ、肉体の痛みにとまどった。今まで感じたことのなかった、妙な不快感に、眉をしかめた。じんじんと痛む鼻を押えながら、起き上がる。困惑した京也の顔と、無表情にわしを見つめる、タイマの顔を睨み、牙をのぞかせた。
「何をする」
怒りに目をむきだし、うなり声を上げた。しかし、タイマは相変わらずぴくり、とも表情を変えなかった。その鋭い目と、威圧感におびえて、京也は二の句をつげないでいた。
「弟なんだ。悪く言うなよ」
どこか物悲しく響いた。そして、京也の方を向くと、左頬をぴしゃり、と軽く叩いた。京也は打たれた頬をおさえながら、唖然とした。わしも訳がわからず、二人の様子を黙って見つめていたが、タイマのやわらかな声が重苦しい沈黙をいとも容易く破る。
「けんか両成敗ってね」
そう言って笑った顔に、京也はようやく力を抜いた。その場にしゃがみこんで、ごめんなさい、とつぶやいていた。「両成敗」と言う割に、力の比率がおかしくないだろうか。そう思ったが、ばかばかしくなったので、やめた。
「口より先に手が出るのを、どうにかしろ」
うんざりしながら低くつぶやいたが、タイマは変わらずにこにこと笑って「ついね。咄嗟に動いてしまった。すまん」と、言った。本当に勝手な男だ、と舌うちをして部屋を出て行った。
タイマが、十五になったころ、「家守」になろうと言いだした。「トカゲか、何かか」と、馬鹿にしてみたが、タイマは一向気にも留めず、もくもくと事をやりはじめた。妙な護符やら、なにやらをつくり、それを家人の見えないところに、貼りつけて回った。あげく、鬼門には塩を盛られ、わしはついにそこを通れなくなった。
愚痴をこぼすと、「肉体」を用意してきた。二尺(約一メートル)はある黒い狼犬の亡骸を、どこでつかまえてきたのか、「これで良いだろう」と言って、中に入るよう示した。わしは、その犬の中に飛び込んで、しばらくすると眼を開けた。伸びをして、尻尾を振り、体の具合をたしかめる。「なかなか悪くない」と言って、しゃがみこむと、ようやく肌に風を感じることができた。
それもこれもタイマの奇行のせいじゃ、と文句を言ったが、「でもお前以外の悪いものはいなくなったじゃないか」と言って、快活に笑っていた。一番、頭のおかしい奴にだけは言われたくない。
「兄さん、失礼します」
そうして、わしとタイマが喧嘩をしている時に限って、弟の京也がひょいと顔を出す。タイマは嬉々としてそれを迎え入れるが、わしは不機嫌になって京也の顔を睨みつける。
不思議なことに、次男の京也はタイマのことを、心から慕っていた。京也にもそれなりに妙なものが見えるからか、タイマの人柄だろうか。いずれにせよ、この兄弟は仲が良かった。
もちろん、兄と親しいことは家族に秘密にするよう、タイマから注意されていたので、屋敷の中では滅多なことをしなかった。まだ、十に満たない子供だったが、京也は頭が良い。タイマの処遇がなぜそうなのか、うすうす勘づいてはいたのだろう。これまでも、決して駄々をこねることなどなかった。それも気味の悪い話しである。
「どうだい、体の調子は。悪くないか」
タイマはにこにこ笑いながら、立ち尽くしていた京也に座るよう、うながした。京也は微笑をもらして、それに従い座布団の横に正座した。
「兄さんの護符のおかげでしょう。悪い気がみんな消えてしまった」
「そりゃよかった」
「ただの風邪だって言ったのに、大げさなんだから」
「お前に何かあっては困る」
「兄さんのほうが、体が悪いじゃないですか。それなのにこんなところに閉じ込めて」
「不自由はしていないよ」
京也には、兄の恭一郎は体が丈夫じゃないから、特別に部屋を用意している、とでも言ってあるのだろう。この聡明な弟は、それを全部鵜呑みにしてやしないだろうが、タイマの外見には何かあるのだろうと、考えているようだった。タイマはあえて本当のことは語らず、快活な笑みの後ろに隠していた。
「兄さんは、優しい人ですから。母さんのこともご心配なのでしょう。でも僕に何かあったら、それこそ兄さんを罪人扱いして、家から放りだすに違いない」
京也の辛辣な母親批判に声を上げて笑いながら、冗談めかしてつぶやいた。
「そうさ。打算からお前に優しくしているのだよ」
「それでも構いません」
京也は微笑を落として、タイマの鋭い双眸をじっと、見つめた。それに軽く息をついて前髪をかきあげると、苦笑を浮かべた。
「冗談だ。そう気に病むことはない」
「兄さん」
「こいつの脳内の基本律は、自分の損得だけだ。大概の善行は、気まぐれに過ぎん」
「それは、あんまりじゃないか。八枯れ」
当人はそうして苦笑するだけだったが、京也は鋭い視線で、わしを射った。
横から嘴を入れただけで、その陰鬱な黒い瞳を細めて、じとり、と睨みつけてくる。タイマを悪く言うと、いつもこうだ。根暗な弟め。
「お前は黙っていろ。兄さんにとり憑いた悪霊のくせをして」
「哀れな小僧じゃ。タイマを神格化しおって。よく見ろ。この男は、世界でもっとも迷惑な化け物なんじゃ。騙されると、痛い目にあうぞ」
「黙れ。これ以上、兄さんを愚弄するなら追い出すぞ」
「やってみろ。タイマの作った札でな。結局はタイマなしでは、何もできん木偶のくせをして、口だけは達者な奴だ」
わしが京也を嘲笑して見た瞬間、眼の前を大きな手のひらが覆った。衝撃と共に、後方にふっとばされ、襖に激突した。一瞬、何をされたのかわからなかったが、畳に打ちつけられた時、ようやく自分が、タイマに殴られたのだとわかった。
はじめ、肉体の痛みにとまどった。今まで感じたことのなかった、妙な不快感に、眉をしかめた。じんじんと痛む鼻を押えながら、起き上がる。困惑した京也の顔と、無表情にわしを見つめる、タイマの顔を睨み、牙をのぞかせた。
「何をする」
怒りに目をむきだし、うなり声を上げた。しかし、タイマは相変わらずぴくり、とも表情を変えなかった。その鋭い目と、威圧感におびえて、京也は二の句をつげないでいた。
「弟なんだ。悪く言うなよ」
どこか物悲しく響いた。そして、京也の方を向くと、左頬をぴしゃり、と軽く叩いた。京也は打たれた頬をおさえながら、唖然とした。わしも訳がわからず、二人の様子を黙って見つめていたが、タイマのやわらかな声が重苦しい沈黙をいとも容易く破る。
「けんか両成敗ってね」
そう言って笑った顔に、京也はようやく力を抜いた。その場にしゃがみこんで、ごめんなさい、とつぶやいていた。「両成敗」と言う割に、力の比率がおかしくないだろうか。そう思ったが、ばかばかしくなったので、やめた。
「口より先に手が出るのを、どうにかしろ」
うんざりしながら低くつぶやいたが、タイマは変わらずにこにこと笑って「ついね。咄嗟に動いてしまった。すまん」と、言った。本当に勝手な男だ、と舌うちをして部屋を出て行った。
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