天地伝(てんちでん)

当麻あい

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第一章

1-8

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  八

 無事屋敷に送り届けてから数日、ようやく目を覚ました京也の証言によって、犯人の捜索が行われているらしい。捕まったかそうじゃないかなど、どうでも良かった。事件に関して、まったく興味がなかったので、半分もタイマの話を聞いていなかった。そうして、また文句を言われた。何なんだ。
 「兄さん、入ります」と言って、部屋の襖を開けて、件の弟が顔を見せた。タイマは開いていた和書を閉じて「もういいのか?」と、目を細めて笑った。京也は赤く腫れあがった頬を、不器用に歪めて笑ってみせると、わしが丸くなっているすぐ隣にしゃがみこんで、深く頭を下げた。突然のことに、タイマは目を見開いて、気の抜けた声を出した。
 「いきなり、どうした」
 京也は、額を畳につけたまま、「申し訳ありませんでした」と、低くつぶやいた。これが本当に、数えで八つの子供のすることなのか。わしは、横眼でちらとそれを見つめながら、ため息をついた。タイマは、ううん、とうなって困惑した表情を浮かべ、顎をかいている。
 「凛から聞きました。兄さんが、僕を救ってくれたって」
 「凛?」
 「兄さんの世話係りをやっている、下女です」
 「ああ」と、つぶやいてから「凛と言うんだったかあ」と、ぼんやりした眼で虚空を眺めた。おそらくまだ顔と名前が、一致していないのだろう。
 「それで」と、なにやら言い辛そうに、口をまごつかせている京也の言葉を遮り、「ひとまず、頭を上げてくれ」と、タイマは苦笑を浮かべた。こんな時ばかりは思う。ずいぶん、人間のように複雑な表情を浮かべるようになった。
京也は顔を上げると、居心地悪そうに、指先をいじくっていた。
 「兄さん、その、僕は、つい、兄さんの心が、嬉しくて、ですね」
 「うん?」
 「悪気はなかったのですが、その」
 「まったく話が見えん」団扇で前髪をゆらしながら言うと、京也は一度、大きく息をついた。
 「父さんと母さんに、言ってしまいました」
 意外なことに目を見開いて、二人の顔を交互に見比べた。タイマも余程、驚いているのか、表情はいつものように笑っているのだが、手に持っていた団扇を、畳の上に落とした。兄の笑顔が曇ったことにあわてて、先を続けた。
 「もちろん、変な力があるってことは、言ってません。でも、兄さんのおかげで、僕はここにいるのに、母さんが、あんまりひどいから、兄さんの悪口ばかり言うものだから。つい、口がすべって」
 タイマは、額を押えて考え込んだ。どう返答したものか、悩んでいるようだ。しばらくして、顔を上げて京也を見ると、いつも通り、にっこりと笑った。
 「まあ、それはいいや」
 「まだです。続きがあります」
 「そうか」タイマは、笑みを微かに歪めて、うなずいた。京也も兄の様子に苦笑を浮かべると、話を先に進める。
 「兄さんを座敷の方へ連れて来い、と言われて。それで、僕が迎えに来ました」
 「なんだって?」
 タイマは、今度こそ驚きを隠さず、頓狂な声を上げた。京也は眉尻を下げて謝ったが、でも、と言って、すぐにとりつくろった笑みを浮かべた。
 「ようやく、家族の集まる座敷に上げてもらえるんです。僕は、うれしい。もしかしたら、これを機に兄さんが」
 「いや、それはない。いや、そういうことじゃなくて」
 「落ち着け。らしくないぞ」
 わしは、目を瞑ったまま、億劫そうにつぶやいた。タイマは、畳の上に落としたままにしていた団扇をひろって、風を送ると、前髪をゆらせた。
 何度もため息をついて「まずいなあ」と、億劫そうに言うと、漆塗りの机の上に肘をついて、額を押えた。京也は、不安そうに眉間に皺をよせ「どうして。悪いことをした訳じゃないのに」と、タイマの着流しの袖を、つかんだ。
 「いや、そういうことじゃない」苦笑を浮かべて、京也の頭をゆっくりとなでた。「言い訳を考えてるんだ」
 「九割方、貴様の所為になるな。あの陰険な母親のことだ。貴様が京也の誘拐を企てたと、考えとるにちがいない。ありゃ病気じゃ」
 「だから関わっていることは伏せたかった」
 「あきらめろ」
 わしの横やりに、タイマは苦笑を浮かべて「あの人は、すごい妄想力をお持ちだからね」と、言った。団扇の柄で頭をかきながら、「どうせなら、お前も一緒に考えてくれよ」などと、ほざいたので、無言で尻尾を動かした。京也は、憮然とした表情を浮かべて、「そんなの、ひどすぎる」と言って、突然怒り出した。
 「兄さんは、何にも悪くない。髪の毛が白いのも、しゃべる犬を連れているのも、変なものが見えるのも、全部、兄さんが悪いんじゃないのに。まるで、まるで、いないものみたいに、扱って、こんなところに、隠すみたいに、閉じ籠めて、あんまりだ」
 こいつが閉じ込められているおかげで、お前は自由を享受しているんじゃないか。そう言いそうになったわしの口を、タイマの手が塞いだ。京也は、気持ちが高ぶっているのか、よほど不満が溜まっていたのか、声を震わせている。赤くなった目をこすり、うつむいた。
 タイマは一度大きく目を見開いてから、京也の頭をなでた。すぐに、わしの方を向いて「見ろよ、可愛いだろう。だから、人は面白い」と言って、快活に笑っていた。それにため息をつきながら、首を振った。わしなら、こんな兄は欲しくない。
 京也は、顔を上げると、「笑いごとじゃないでしょう」と言って、へらへらしているタイマを睨んだ。「まあ、落ち着け」と言いながら、両手を広げてつきだすと、困ったように笑った。
 「今回ばかりは、仕様がないよ。後のことを考えている暇もなかったしね」
 「貴様も、やましいことがない訳でもないしな」わしは、投げ飛ばされた男たちの姿を、思い浮かべる。
 「その通りだ」
 声を上げて笑った瞬間、部屋の外で、タイマを呼ぶ下女の声がした。あんまり、ぐずぐずしていたものだから、業を煮やした佳子が、使いをやったのだろう。白髪をかきあげ「行くか」と、言って京也の頭を、ぽんぽん叩いた。
 タイマは着流しの結びを直しながら、わしを見下ろして「お前も来るか?」と、いたずらっぽく目を細めた。どうせやるなら、盛大に、代なしにしたいらしい。わしは、ため息をついて耳の裏をかくと、「暇だから、ついて行ってやる」とつぶやいた。

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