11 / 53
第一章
1-10
しおりを挟む
十
午後のやわらかな日差しを受けながら、わしは窓際でうたた寝をしていた。
縁側で、横になっていたタイマが、団扇を仰ぎながら、わしの名を呼ぶ。それに応えず、ちらと目を開けると、タイマは空を見上げながら、ぼんやりとしていた。
「人の心って、何かわかるか?」
「またその話か。荷造りはどうした」
「どうやら、あとで下男が移すようだ」
「それで今日も怠惰な生活か。道楽者め」
「そうでもない。出るよ」
「どこに」
「例の家へ」
タイマの言葉に驚いて、目を見開いた。ゆっくりと起き上がると、眉間に皺をよせて、その気だるそうな様を眺める。相変わらず勝手なやつだ。
「なぜいつも突然、動こうとするんだ」と、愚痴をこぼしたが、タイマは気にした風でもなく、団扇をゆるく、動かしているだけだった。
「と、言っても、様子を見に行くだけだよ。なんでも、お嬢さんはもうそこで暮らしているんだそうだ。正式な見合の前に、あいさつをしておこうと思っているんだけど」
タイマも起き上がってそう言うと、快活に笑って、わしに向かって団扇を仰いだ。毛が逆立つたびに、鳥肌が立った。
「お前が思っている以上に、結婚は、簡単にいかんよ。段取りがあるんだ」
「そもそも、結婚とは何だ?」
わしが、毛づくろいをしながらそう言うと、「ほうらね」と言って、今度はわしを、馬鹿にしたように笑った。こいつは、日に日に、性格が悪くなってゆく。
「だから、人の心はわかるか?って聞いているんじゃないか」
タイマは団扇の柄で、頭をかきながらため息をついた。わしは、それを眺めながら、眉間に皺をよせる。
「まったく話が見えん」
「結婚と言うのはそういうことだ。心がわからんと、どうにもできない」
「結婚をすると言うことは、何かの動作のことか?」
「うん、それはそれで面白いかもしれないが」
「まじめに答えろ」
わしが、眉間に皺をよせて低くうなった時、襖の向こうで女の声が、タイマの名を呼んだ。愛想よく「どうぞ」と応えると、見覚えのある女が顔をのぞかせた。
タイマもわしと同じことを考えたのか、「あっ」と、つぶやいた。しばらく虚空を眺めた後に「蘭さん、いや、蓮さん、いや、論さん」と、いい加減な名前を次々と上げていった。タイマの世話をしていた奇特な女は、苦笑を浮かべたまま「凛でございます」と、殊勝な声でそう言った。タイマは、ああ、と言って苦笑を浮かべると、「どうかしましたか?」首をかしげた。
凛は、頬を微かに染めながら、「差し出がましいことは、重々承知の上で、これから申すことを、お許しいただけますでしょうか」と言ったぎり、うつむいてしまった。
「もちろん、言うだけは無料ですから。どうぞ」と、言って、親切なんだか、酷いんだか、よくわからん対応をした。それでも凛は顔を上げると、まっすぐにタイマの双眸を見つめて、明朗に言った。
「恭一郎様のお屋敷の下女として、使える訳には参りませんか?」
「え?」
「ご結婚なさるのですから、無用かもしれませんが、でも、奥さまの負担を和らげることも、できるかもしれませんし。いえ、もちろん働かせていただければ、そのように精いっぱい、勤めるつもりです」
凛は、早口でまくしたてるように言うと、突然、勢いを無くして、静かにうつむいてしまった。タイマの口数が少ない、と言うことも手伝ってか、凛が黙ると、余計に室内の静寂が際立った。
タイマはしばらく、虚空を見つめてから、袖の間に手をつっこみ、快活に笑った。
「お気持はありがたいのですが、そういう訳にもゆきません」
はっきりとした言葉に、凛はうつむいたまま「そうですか」と、つぶやいた。タイマは、にっこりと笑んだまま、凛の肩をつかむと、そのまま引きよせて腕の中に抱いた。突然のことに、凛だけではない、わしも驚き、目を見張った。あの天狗は、いま何をやっているのだ?
「京也のそばにいてやってください」
凛の耳元でそう囁くと、やわらかな笑みを浮かべた。凛は、これまでにないほど顔を赤くして、「はい、はい、はい」と、何度もうなずいていた。腕の中で身を縮こまらせ、うつむいてしまった。タイマはようやくそれを離して、いつもの通り、快活な笑いを浮かべて、凛の名を呼んだ。
「あなたを連れて行くのは、あんまり酷でしょう」
凛は、タイマの言葉の意味をくんだのか、苦笑を浮かべて「いやですね、そんなこと口に出すほうが、よっぽど酷です」と、言った。タイマは笑みを返して「そうですか」と、つぶやいただけだった。止まっていた団扇を動かして、前髪をゆらしながら、凛に軽く頭を下げる。凛もうっすらと笑みを浮かべるだけで、黙っていた。会話が途切れ、静かな部屋の中では、タイマのゆらす団扇の、パタパタと言う、間抜けな音だけがする。
それ以上、二人は複雑な言葉を交わすことはなかったが、どこかしっとりとした雰囲気を残したまま、凛は部屋を後にした。それをしばらく見送って、タイマはその場にしゃがみこむと、白髪をかきまぜ、低くうめいていた。
午後のやわらかな日差しを受けながら、わしは窓際でうたた寝をしていた。
縁側で、横になっていたタイマが、団扇を仰ぎながら、わしの名を呼ぶ。それに応えず、ちらと目を開けると、タイマは空を見上げながら、ぼんやりとしていた。
「人の心って、何かわかるか?」
「またその話か。荷造りはどうした」
「どうやら、あとで下男が移すようだ」
「それで今日も怠惰な生活か。道楽者め」
「そうでもない。出るよ」
「どこに」
「例の家へ」
タイマの言葉に驚いて、目を見開いた。ゆっくりと起き上がると、眉間に皺をよせて、その気だるそうな様を眺める。相変わらず勝手なやつだ。
「なぜいつも突然、動こうとするんだ」と、愚痴をこぼしたが、タイマは気にした風でもなく、団扇をゆるく、動かしているだけだった。
「と、言っても、様子を見に行くだけだよ。なんでも、お嬢さんはもうそこで暮らしているんだそうだ。正式な見合の前に、あいさつをしておこうと思っているんだけど」
タイマも起き上がってそう言うと、快活に笑って、わしに向かって団扇を仰いだ。毛が逆立つたびに、鳥肌が立った。
「お前が思っている以上に、結婚は、簡単にいかんよ。段取りがあるんだ」
「そもそも、結婚とは何だ?」
わしが、毛づくろいをしながらそう言うと、「ほうらね」と言って、今度はわしを、馬鹿にしたように笑った。こいつは、日に日に、性格が悪くなってゆく。
「だから、人の心はわかるか?って聞いているんじゃないか」
タイマは団扇の柄で、頭をかきながらため息をついた。わしは、それを眺めながら、眉間に皺をよせる。
「まったく話が見えん」
「結婚と言うのはそういうことだ。心がわからんと、どうにもできない」
「結婚をすると言うことは、何かの動作のことか?」
「うん、それはそれで面白いかもしれないが」
「まじめに答えろ」
わしが、眉間に皺をよせて低くうなった時、襖の向こうで女の声が、タイマの名を呼んだ。愛想よく「どうぞ」と応えると、見覚えのある女が顔をのぞかせた。
タイマもわしと同じことを考えたのか、「あっ」と、つぶやいた。しばらく虚空を眺めた後に「蘭さん、いや、蓮さん、いや、論さん」と、いい加減な名前を次々と上げていった。タイマの世話をしていた奇特な女は、苦笑を浮かべたまま「凛でございます」と、殊勝な声でそう言った。タイマは、ああ、と言って苦笑を浮かべると、「どうかしましたか?」首をかしげた。
凛は、頬を微かに染めながら、「差し出がましいことは、重々承知の上で、これから申すことを、お許しいただけますでしょうか」と言ったぎり、うつむいてしまった。
「もちろん、言うだけは無料ですから。どうぞ」と、言って、親切なんだか、酷いんだか、よくわからん対応をした。それでも凛は顔を上げると、まっすぐにタイマの双眸を見つめて、明朗に言った。
「恭一郎様のお屋敷の下女として、使える訳には参りませんか?」
「え?」
「ご結婚なさるのですから、無用かもしれませんが、でも、奥さまの負担を和らげることも、できるかもしれませんし。いえ、もちろん働かせていただければ、そのように精いっぱい、勤めるつもりです」
凛は、早口でまくしたてるように言うと、突然、勢いを無くして、静かにうつむいてしまった。タイマの口数が少ない、と言うことも手伝ってか、凛が黙ると、余計に室内の静寂が際立った。
タイマはしばらく、虚空を見つめてから、袖の間に手をつっこみ、快活に笑った。
「お気持はありがたいのですが、そういう訳にもゆきません」
はっきりとした言葉に、凛はうつむいたまま「そうですか」と、つぶやいた。タイマは、にっこりと笑んだまま、凛の肩をつかむと、そのまま引きよせて腕の中に抱いた。突然のことに、凛だけではない、わしも驚き、目を見張った。あの天狗は、いま何をやっているのだ?
「京也のそばにいてやってください」
凛の耳元でそう囁くと、やわらかな笑みを浮かべた。凛は、これまでにないほど顔を赤くして、「はい、はい、はい」と、何度もうなずいていた。腕の中で身を縮こまらせ、うつむいてしまった。タイマはようやくそれを離して、いつもの通り、快活な笑いを浮かべて、凛の名を呼んだ。
「あなたを連れて行くのは、あんまり酷でしょう」
凛は、タイマの言葉の意味をくんだのか、苦笑を浮かべて「いやですね、そんなこと口に出すほうが、よっぽど酷です」と、言った。タイマは笑みを返して「そうですか」と、つぶやいただけだった。止まっていた団扇を動かして、前髪をゆらしながら、凛に軽く頭を下げる。凛もうっすらと笑みを浮かべるだけで、黙っていた。会話が途切れ、静かな部屋の中では、タイマのゆらす団扇の、パタパタと言う、間抜けな音だけがする。
それ以上、二人は複雑な言葉を交わすことはなかったが、どこかしっとりとした雰囲気を残したまま、凛は部屋を後にした。それをしばらく見送って、タイマはその場にしゃがみこむと、白髪をかきまぜ、低くうめいていた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる