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第二章
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「まさか、貴様が自分の妻を見世物にするとはな」
タイマは、縁側で丸くなっていたわしをまたいで、にっこりと笑うと、肩をすくめて座敷に上がった。
「見世物にするのは、由紀じゃなくて、俺さ。それに、これは、東堂から回ってきた仕事でね。試しにやってみようじゃないか、ってことだよ。いつまでも、身入りが日払いの銭湯屋の掃除だったり、下駄の直しや、茶屋の給仕や、寺子屋の手伝いじゃあね、厳しい」
「しばしば姿を見んと思うとったが、そんなことまでやっていたのか」
「甘いよ、八枯れ。働かざるもの食うべからず、と言うのはどこもそうだ。下男も雇えんぐらい、きゅうきゅうなのさ。俺の実家は、ほぼ勘当状態で、由紀の家は金をくれるようだが、それも雀の涙程度だよ。この外見じゃ、まず雇ってくれんし。仕様がないからって、お前が、時々食ってた鍋の中身は、俺が山で捕ってきた猪さ。参ったか」
タイマはそう言って、もっともらしい格好をしなければならないなあ、など適当なことをつぶやいて、灰色の着物を着つけた。いつもは櫛も入れない白髪も整え、黒い扇子を開くと、それで前髪をゆらす。それに目を細めて、ため息をつくと、足を折って丸くなった。
「あんまりひどいんじゃないか?あの女は、ただでさえ、盲であることを、とやかく言われてきたんだ。そのうえ、人前で予知などやった日には、いま以上に出不精になって、貴様の飯もろくに作れなくなる。先見に、良心の呵責を持つ脆弱な精神だ。ましてや、それを売り物にできるはずが、」
そこまで言って、わしは黙りこんだ。ちらと、タイマの方を見ると、目を見開いて、わしの顔を凝視していた。しまった、と思ったが、もう遅い。次の瞬間には、にやにやと嫌な笑いを貼りつけて、わしのそばまで、にじりよってきた。
「なに、何だって?」
「黙れ。うるさい。違う」
「すごいなおい。由紀が心配なのか?」
「黙れ喰うぞ」
「大丈夫だよ」タイマはそう言って、わしの頭を二三度、ぽんぽんと、なでた。それを払って「だから、違うと言っとるだろうが」と、睨みつけたが、タイマは嬉しそうに笑っているだけだった。
「表に顔を出すのは俺だけだ。何かあっても、由紀には手を出させんよ」
「そもそも、商売が成り立つかどうか、そっちの心配をしろ。阿呆天狗め」
「それ、久しぶりに聞いたなあ」タイマは、白髪をかきあげて、苦笑を浮かべた。「うん、でも、どうせ東堂の店の客が、こっちに流れてくるだけだからね。で、こっちで予知された未来に必要な物や、関連する物を、東堂の店で購入できる仕組みだ。それに予知も当たれば、口を伝って客もつくし、常連もできればさらに良い」
にやにやと笑って、指を二本立てて見せたタイマに、わしは大きなため息をついた。やはり、ろくなことを考えていない。しかも、あの男と一緒になるとなおさら質が悪い。
「そういうのを詐欺と言うんじゃなかったか」
「人聞きの悪い奴だ。予知は本当なのだから良いじゃないか」
「やり方に問題はないのか」
「あっても証拠は残らん」
「悪党の台詞だと気づいているか」
どうかなあ、と笑って扇子を閉じた。丁度良く襖から顔を出した由紀が、来客を知らせる。「釣れたか」と、言って楽しそうに笑った声に、盛大なため息をついた。
タイマのやり方は、他と違うのか、はじめ客にも不信感を抱かせた。無理もない。特に何の道具も使わず、客の話を聞いて、応えていくというやり方だったからだ。
もちろん、事前に東堂が顧客の情報を流しているとは言え、大体が由紀の見た夢の内容に、タイマが勝手な解釈をつけて、客に話して聞かせるだけだった。もちろん、それが当たるかどうかもわからないし、注意してもらえれば良いんじゃないか、と言うに済ましているので、騙している訳でもないのだろう。
しかし、これは「占い屋」と言うより、「お悩み相談所」のようなもので、予言や予知を、ようは助言の域で済ませているのだった。だが、これはうまいやり方だ。わしは珍しく、タイマのやることに感心した。それと同時に、複雑な思いがした。
これは、「良心が痛む」と、言った由紀のために、できるかぎりのことをやってやる、夫としての行いだからだ。そして、「同じ景色が見たい」と言った、あの寂しい笑みの答えでもある。それに気づいたのは、占いの客が、よく入りはじめたころ、タイマが座敷で客の相手をしていた時だ。
わしは、いつものように縁側で丸くなって、うとうとしていた。夏も超え、残暑の熱も引いて、木枯らしが庭に降り積もる。風のつめたさに、心地よくなっていた。いつの間にか、隣に座っていた由紀が、今度はわしの頭に触れようとしていたので、目を開けた。
「何度、触るなと言ったらわかるんじゃ」
不機嫌にそう言うと、由紀は苦笑を浮かべて「やっぱりお嫌なのね」と、言って手をひっこめる。その白い指先を追いかけ、爪のあたりが赤くなっているのが目に入った。さきほどまで井戸で、洗濯をしていたようだ。
「これで良いのか?」
「何がですか?」由紀は、のんびりとした声でそう言うと、わしの隣で足を崩した。藤色の着物の裾の間からのぞく、くるぶしがやけに白かった。
「先見は気が滅入るのだろう。あの男に、良い様に利用されているとは思わんのか?阿呆め」
わしがそう言って、ため息を吐き出すと、由紀は透明な声でふふ、と笑う。
「そうなんですか?八枯れがそう言うなら、恭一郎さんって余程、悪者なんですね」
「少なくとも、良い奴ではないだろうな」
由紀は、微笑を浮かべてわしの尻尾をなでた。それを払いながら、ちらと振り向くと、うれしそうに頬をほころばせていた。そうして、焦点のはっきりしていない双眸を開き、わしの顔をまっすぐに見つめた。
「恭一郎さんは、やさしいのですよ」
由紀の声は、艶っぽかった。そしてやわらかな笑顔の向こうに、茜色の陽が射したタイマの横顔が浮かんだ。そうかと、目を細めた。同時に鳥肌が立つ。背後から頭を強く抑え込まれているような、妙な感覚がした。血管の中を重たく熱いものが流れはじめる。
「貴様を喰ったら、あいつはどんな顔をするかな」
「え」と、由紀が返事をする前に、無防備な右肩にかじりついた。同時に黄色い酸の煙を吐きだすと、辺りはそれで満たされてゆく。由紀は未だ、何が起こったのか理解できていないのか、暗闇の中で「八枯れ」と、声を発した。しかし、それを伝えるものも、鳴動させるものも、いまこの空間のなかにはいっさい存在しない。震える由紀のくちびるを眺めながら、牙をのぞかせて笑みを浮かべる。
「この女を喰いたい」わしははじめて、抑えがたい衝動を抱いた。
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