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第二章
2-18
しおりを挟む十八
庭に降り立ってすぐ、白い頭が目に入った。縁側に腰かけている男は楓の木から視線を下して、相変わらずの快活な笑みを浮かべる。
「やあ、八枯れ」
それに軽く尾を振って応え、池の縁石を飛び越えると、縁側の上に飛び上った。隣に坐して、ようやく息をつく。
燃え残った炉の匂い、鈴虫の鳴く声と合わせて、時折、庭の木々がゆるやかに葉をこすらせ、風のあることを知らせる。なつかしさがこみあげてくる。不思議なものだ。
「ずいぶん早起きだな。まだ夜明け前だぞ」
頭をかきながら、白い息を吐きだした。
「近頃、寝つきが悪いんだ」
「どうせ煙草のやりすぎだろう。ひかえろ」
「由紀と同じことを言う。お前も口うるさくなったな」
そう言って、快活に笑う横顔を見上げながら双眸を細める。わしは鼻先をこすりながら、尻尾を丸めて伏せた。夜明け前のつめたい風が肌を刺す。胃の中におさめた肉が、熱をもっている。だが生物はみな、そうして生きているのだ。
「貴様は、なぜ迷わないんだ?」
タイマは一度目を大きく見開いたが、すぐに苦笑を浮かべて頬をかいた。
「迷うさ。だがお前がいるからな。いざとなったら止めてくれる」
「よく言う。貴様と違って情け容赦などせんぞ」
そうしてこれまでの経緯を適当に話した。しばらく愉快そうに聞いていたが、わしが語り終えると同時に、突然こんなことを言った。
「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」
白い息を吐き出しながら、眉間に皺をよせて鼻を鳴らした。
「何だそれは」
「伊達政宗公の有名な言葉さ。この国には、武士道と言うものが理としてある。お前がそうなのかもな」
「知るかそんなもの。わしは人ではない」
「俺もさ」タイマは、苦笑を浮かべて見せる。「人でも化け物でもない。だから心なんか、なんだかわかりゃしない。正儀も悪も行えないが、好ましいことを振舞うことはできる。だから、そんなに自分を卑下することはないんじゃないか?」
「わしが卑下しているだと?」
「ああ。お前はわかってるはずだぜ。生きるなんてことに上がるも下がるも、ありゃしないんだってことを。生きるってのは生きるってことさ。良いも悪いもない。そこにお前の信じるものがあるんなら、どうなろうと信じきるべきだって俺は思っているよ」
そう言って双眸を細めたタイマの顔を眺めながら、ふんと鼻を鳴らした。どいつもこいつも、うんちくだけは立派に語る。
「わしはどちらでもない。だからこそ何でもできるんじゃ」
タイマは意外そうに眉を持ちあげると、すぐに笑みを浮かべて、表情を崩した。それは心底から嬉しそうなものだった。
「やはり、お前はそうでないとつまらない」
朝霜の降りる夜明け、白い光が庭を照らしはじめた。わしは白い息を吐き出して体を丸くすると、そのまま眼を閉じる。タイマは立ちあがると、厠に向かって歩きだした。その足音を聞きながら、ああ、と苦笑を浮かべる。朝餉の支度をはじめた、由紀の忙しない足音と重なって、心地良い韻を刻んでいる。
湯気のただよう盆を運びながら、縁側を通過しようとした由紀の細い脚に、尾をからめ、あいさつがてら、からかった。由紀は一度、大きな悲鳴を上げてから、わしの尻尾を踏んづけた。しかし、すぐに盆を置いて、身をかがめると「帰っていたんですか、八枯れ」と、言って抱きついてきた。わしは、目の明かない笑顔を眺めながら、びりびりとしびれる尻尾の先を舐めた。
「ただいま」
わしのつぶやいた言葉に咲いた笑顔は、白い光をあびて、かがやいていた。それは庭先で開いている朝顔のように、美しかった。
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