天地伝(てんちでん)

当麻あい

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第三章

3-5

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    五



 十を迎えた年の春、かつてタイマが下働きをしていた寺子屋に、通うことになった。世話役と、様子見として、毎度のごとく「何でも屋」に仲介を依頼したようだ。タイマが言うには、犬のわしでは至らぬところを、補佐してくれる相手なのだそうだが、保護も過ぎるとわずらわしくて敵わない。なにより、またあの男と関わり合いになるのかと思うと、甚だ辟易してくる。
 「相変わらず、つれないお犬やな、八枯れはーん」
 登紀子を連れてとっとと、先を歩くわしに向かって、東堂ののんびりした声が追いかけてくる。振り返って見ると、茶色い角刈りをかきながら、灰色の双眸を細め、うすく笑っていた。頬によった皺の数は、幾分増したようだが、それでもまだ、年を感じさせない若々しさが残っている。灰色のワイシャツに、紺色のズボン、緋色の皮靴を鳴らしながら歩く様は、相変わらず奇天烈だった。
 「気色の悪い声を出すな。喰うぞ」
 「どうぞ、かまへんよ」
 そう言って、にっこりとした東堂の笑顔に、うっすらと寒気を覚えながら、わしは歩く速度を速めた。隣を歩いていた登紀子は、それを咎めて、苦笑をもらしながら「八枯れ、失礼だよ。いつもだけど」と、言ってわしの頭を軽く叩いた。目を細めて、不機嫌そうに登紀子を見上げた。
 「失礼なものか。こいつは変態なんだ」
 「二人とも十分おかしいわよ」
 「あんまりやな、お二人とも」
 東堂は、登紀子の大人びた口調に笑みをもらしながら、後ろからその茶色い頭をなでた。
 「しかし、ときちゃんも背伸びたなあ。今なんぼ?」
 「四尺と、九寸(約一五○センチ)くらいです。みっともないよ、手足長くって」
 「そうか?格好ええよ」
 そう言ってうれしそうに笑った東堂に、登紀子は表情を歪めて、曖昧に笑っていた。複雑な表情を浮かべている登紀子の横顔を、にやにやとしながら眺めていると、前足を踏まれた。わしは、つんのめって、絶句した。誰に似たのか。ずいぶんと乱暴な娘である。
寺子屋の門前に着くと、登紀子を中まで見送って、別れた。「夕方くらいには終わるから」と、言いながら颯爽と駆けて行く、登紀子の後姿を見つめながら、耳の裏をかいた。
藍色の男物の着物を翻しながら、一つにしばった茶色の髪の毛が、風にゆれ、奥の建物の中へと消えて行った。長身のため、女物の着物が似合わないと、朝まで嘆いていたのが、嘘のような切り替えの早さである。ぼんやりと、それを眺めていると、東堂が、靴の先でわしの尻を蹴った。
「あの子も、すぐ別嬪さんになってまうで。パパさん」
「貴様、あまりふざけたことばかり言っていると、出入り禁止にするからな」
 「僕はときちゃんのためを思って、言うとんのや。あない美人やのに、誰も気遣わへんのやろ?君も少しは、女心ちゅうもんを、知って欲しいわ」
 「貴様にだけは、言われたくないな」
 「は?」
 不機嫌な声でそうつぶやくと、わしは踵を返し歩きだした。東堂は、怪訝そうな表情をして、その後を追ってくる。「どういう意味や?」と、しつこくしてくるので、わしは大きなため息をついて、ちら、と後ろを振り返った。
 「そんなことより、何の用だ?」
 東堂は、突然のことに目を大きく見開いたが、すぐに不敵な笑みを浮かべて立ち止まった。わしは、ふん、と鼻を鳴らして尻尾を振った。
 「貴様が、慈善事業なんてたまか?恭一郎は、どうせ自業自得だろうから、知ったことではないが。アレは駄目だ。妙なことに巻き込むつもりなら、承知せんぞ」
 「前にも増して敏感になってもうて。さすがパパは違いますなあ」
 「それ以上、無駄口をたたいたら、八つ裂きにするからな」
 牙を見せて威嚇すると、東堂は大仰に両手を上げて、降参のポーズをとった。苦笑を浮かべ、わしを見下ろすと、「早とちりなんは、変わらんなあ」と、つぶやいた。早とちりではない。鬼は気が短いのだ。
 「えげつない話を聞きましてな。せやから、旦那達の耳にも、入れとこ思いまして」
 「えげつない話しをか」
 「ええ」
 東堂は真剣な声でつぶやき、灰色の双眸を細めて、頭をかいた。わしは東堂の隣を歩きながら、「それで?」と、先をうながした。
 「なんでも、捨て子がな、金欲しさに引き取った女に、殺されているんやそうや。養育費目当てやからね、預かったらその子供はもう不要なんや。まだ、事件として明るみにはされとらんけど、風の噂で耳にしたもんで、念のためお二人のお耳にも入れとこ思て、馳せ参じた訳ですわ」
 そう言って、苦笑を浮かべた東堂の革靴を見つめる。馳せ参じた割には、泥土に汚れていない、下ろしたての新品のようなかがやきだった。わしはため息をついて、尻尾を振った。
 「それは、私生児の話だろう。そういう話しは、登紀子を売る時にでもしてくれ」
 過保護は貴様だ、と言う眼で見ると、東堂は頭をぽんぽん、と叩きながら「僕も、ときちゃんに甘いんかな」と、言って笑っていた。わしは、ふん、と鼻を鳴らして家門を通り抜けると、庭先に向かって歩いて行った。

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