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第三章
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しおりを挟む六
「恭一郎、開けるぞ」
縁側によじ登って、そう声をかけると、返事も待たずに障子を開けた。斜陽の射した座敷の上で、白い布団が光っていた。そのまぶしさに一瞬、目を細めたが、座敷に上がってしゃがみこんだ。
タイマは、起き上がってわしの顔を見ると、苦笑を浮かべ「言う前に、入ってるじゃないか」と、枯れた声でつぶやいた。わしはそれに笑みを浮かべて、「わしの家じゃ。好きにする」と、言った。
東堂は絶句していた。おそらく、思っていたよりも、よほど衰弱していたタイマの様子に一瞬、とまどったのだろう。だが、すぐに平生を装って「旦那、しばらくでした」と、恭しく頭を垂れた。
「ああ、なつかしいな。本当に、いつぐらいぶりだ」
タイマはそう言って、頬に皺をよせると、快活な笑みを浮かべた。病床に伏している、と言ったものの、由紀がいつも身なりを整えている。痩せて、声が枯れている他は、平生と変らぬ「タイマ」の雄々しさを、残していた。
しかし、見た眼には整えることができても、わしには、もう先の長くないことがわかっていた。タイマの体内をめぐっている、生命の光が少しずつ、確実に、登紀子の生へと移って行っている。それを留めることは、もはやできず、登紀子を殺さぬ限り、タイマは死ぬのだろう。
わしは双眸を細め、ため息をついた。面倒なことをこれ以上、考えたくはない。わしにしか、できぬことがある。目を閉じて、うずくまった。
「八枯れ」
ハッとして顔を上げると、東堂とタイマがこちらをじっと、見つめていた。わしは眉間に皺をよせて「何じゃ、気色が悪い」と、鼻を鳴らした。それにタイマが苦笑を浮かべて、「何だよ、聞いて無かったのか」と、言った。
「いま話を聞いた。なんでも、貰い子の事件は、あの寺子屋の近くで起こっているそうだな」
そう言った、タイマの双眸はかつての天狗を思わせるほど、鋭いものだった。わしは、それに舌打ちをして「おい、そんなことは初耳だぞ」と、東堂の顔を睨んだ。東堂は、わしとタイマの迫力に押されて、苦笑を浮かべると、頭をかいた。
「否、旦那も一緒に聞いてもろた方がええと思いましてね。でも、あそこも学習塾やさかい、授業が終わるまで、そう中に入れるもんでもないですよって。過保護すぎても、ときちゃんが気の毒や」
東堂の意見にも一理ある。なにより、この事件は事実確認のない、噂に過ぎない。犯人と思わしき女の存在はおろか、子供の死骸さえ、実際に見た者はいないのだ。だが、数日、子供の行方がわかっていない、という家の話は、わしとタイマも人づてに聞いてはいた。なんとも、とらえどころのない話である。それに気を揉んでいても仕様がないように思うのだが、タイマの双眸は、そうは語っていない。
こいつは、何を危惧しているのだろうか?じっと、鋭い双眸を見据えていると、タイマは大きなため息をついて、しばらく黙りこんだ。顎にそっと触れ、ううん、とうなる。
「はじめこそ、力の抑制はきかないんだ。望まずとも、それを口にしてしまい、精神をゆさぶられることは、俺も若い時分には、よくあった。ましてや、登紀子はまだ十の子供だぞ、八枯れ。いま、あの子にとって、世界は歪んで見えているんじゃないか。俺は、それだけが心配なんだ」
タイマの意味深長な話し方に、東堂は「は」と、短く声を上げて、首をかしげていた。しかし、わしにはそれだけで、十分何を言おうとしているのか、わかった。
鼻を鳴らして立ち上がると、縁側に飛びだし、一度タイマの方を振り返った。鋭い双眸を睨みながら、まるで本当の化け物をそこで見ているような、気になった。否、子供を生かそうとする親の姿なのか、守るべき荷をようやく下ろしはじめたために、ただの妖魔と化した生物なのか、わしには、もう判然としなかった。
「すべては貴様の行いが、招いたことだろう」
「だから守ってやってくれ」
「馬鹿め。貴様から理や義を抜いたら何も残るまい」
「ああ、化け物になる」
不敵に笑んだタイマに背を向けて、駆け出した。「だが、それさえもいずれ消える」走り去る前につぶやいた声は、しわがれたもので、わしにとってそれは、覇気のない幻として響いた。
不可視だ。故に孤独。タイマをタイマたらしめている、あらゆるものが、奪われてゆく。志も体現させていた能力も、一つとして残るまい。それを望んだのもタイマなら、あいつの生を望みながら、登紀子を守り続けるわしは、何なのだ。
あいつは、人だったのか?化け物だったのか?馬鹿馬鹿しい問いだ。わしは、最強の鬼で、あいつは最強の天狗なのだ。それだけは、変わるまい。たとえ他の誰が忘れようと、タイマさえも、それを手放そうと、たしかにここに存在している。そう言い聞かせることでしか、もはや走れなくなっているのかもしれない。
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