14 / 42
第一章
1-14
しおりを挟む十四
「本当にそうかはわかりませんけど。たぶん、名前のない欲望が入り込んできたんじゃないかと、思うんです」
一息入れたあとに、茶をすすっていた。邪植は盆を座卓の上に置くと、向い側に腰を下ろした。僕は湯呑を置いて、煙草を一本くわえた。マッチをすって火をつける。硫黄の焼ける匂いに満たされ、ホッとした。
「もっと、わかるように説明してくれ。今日は、もう散々だったんだから。どれもこれも、唐突すぎてついていけない」
「何かあったんですか?」
「こらこら。みかんの皮だけ吐くな。ぜんぶ喰え」座卓の下で丸くなっていた八枯れの尻を、軽く蹴った。「前はぶどうの皮まで、よろこんで食っていたのに。贅沢者め」
八枯れは、みかんの皮を咀嚼しながら、不機嫌そうにうなった。
「貴様が食い残しばかり寄こしたんじゃ」
「なんでも喰えるんだから構うまい」
「馬鹿にするなよ。わしにだって味の良し悪しくらいわかる」
「どうせ丸のみにするんだから、味わうもなにもないじゃないか」
「胃で味を見るんじゃ。貴様らは上でまごつくから獲物を逃すが、わしは胃袋に入れてから丹念に味わう。だから、うまいものしか喰わんのだ」
「いい加減なことばかり言いやがる」
「続けてもいいですか?」邪植は、苦笑を浮かべて、話しに割って入ってきた。僕は白い煙を吐き出して、目配せで先をうながした。
「俺のでも赤也さんのでもない、とにかくまったく別のところから、突然、その欲望が生まれてきたんですよ。それが、俺の体の中に入り込んだんです」
「まるで、憑依現象みたいなことを言うね。お前は妖怪じゃないか」
「でも、花は咲いたじゃないですか。枯らしたのに、俺は倒れなかった。それは俺の欲望ではなく、他の何かの欲望だからです。つまり、生命エネルギーの一部ですよ。まるで、俺の植える欲望花の種のように、俺は何者かに欲望を植えつけられたんだ」
煙を吐き出して、面倒くさそうに頭をかいた。「そんなSFじみた話しを本気でされてもな」と、苦笑を浮かべる。しかし、邪植はいつになく真剣なまなざしで、まっすぐに僕を射抜いた。
「だから、名前のない欲望なんです。誰の、と言う特定のない、別の次元からのエネルギーなんて、表現の仕様がないじゃないですか。現に俺は、それが入り込んでくる前に、妙な感覚にとらわれました」
「どんな?」
だんだん話しがとんでもない方向に向かい始めた気もするが、先をうながした。灰皿の上で、煙草の火をもみ消す。
「背後に、じっと何かが立っていたような。そんな何かです。幽霊とか魔とかではなくて。なんと言うか、空間と言うのか、隙間のようなものが、後ろに立っていたんです」
僕は、ハッとした。とんでもない方向も何もない。それは、やはり確かな事実として、そこにあるだけなのだ。それが、とんでもなく気味の悪いことであり、うんざりしてくるのは「つくりものめいているのに、現実である」と、言うことだ。この瞬間、僕が木下に対して、偉そうにぺらぺら話していたことも、実はまったく実感のないところで話していた、と言うことに、いまさら思い至った。
なぜなら、邪植の話しは本当だからだ。僕は、警棒で殴られる前に感じた、空白のことを思い出した。邪植の言う「名前のない欲望」が、どのようなものか、さっぱり理解はできないが、あながち共通体験がそこにあると、まったくの嘘とも思えなくなる。
木下が人の肉を喰うことを受け入れられなかったことと同じように、僕はこの目に見えないある現象を、受け入れられていない。それは、なぜか?簡単なことだ。実感がないものは、空想的で、幼稚なものに過ぎず、それゆえに共通の認識がないからだ。
僕は小さなころから、鬼や魔が人を喰うのを見ているが、木下は見ていない。だが、確かに人は喰われて死んでいる。同様に、邪植は実際に何かに心を奪われたが、僕は奪われたことがない。だが、その「空白」だけは、何か知っている。少なくとも、僕はそれで実際に骨を折られている。もちろん、偶然とも思えるが、そうではない根拠があった。
不意に、夢の中で言われた言葉を思い出した。一つ一つの情景が、パズルのようにつながってゆくようだ。最初の夢で、白髪の男は泣きながらあの歌をうたっていた。そうして、目を覚ましたあと、僕は無意識に口ずさんだ。
耳に残るメロディーだった。それだけのことなのに、あのフレーズを何度も、何度も、頭のなかでリフレインしていた。そして、ついに口をついて出てしまった。
ハッ、として顔を上げると、邪植の怪訝そうな眼と眼が合った。僕は口元を歪めて、前傾になる。
「きっかけがあった」
「何なんですか?」邪植は、頭を後ろに引いて眉根をよせた。
「歌だ。僕があのとき口にした、歌だ」
そうして、新聞紙の間にはさまっていた広告を取り出すと、その裏にペンを走らせた。邪植と八枯れは、しばらく呆然としていた。最初に聴いた歌の一節を、書きだした。
迷える子羊を集めよう。迷える子牛を集めよう。
俺は最後の牧歌をくちずさむ。
耳を傾けたaloneが、またつかまった。
一人、独り、ひとり。幸福なんか喰えないんだ。
Let well alone.
Let well alone.
裏紙をのぞきこんでいた二匹が、首をかしげる。
「何の歌なんですか、これ」と、言った邪植に、微笑を浮かべてボールペンを置いた。卓の上で、うさんくさそうな顔をして、歌詞を眺めていた八枯れを見つめて、小さくつぶやいた。
「『静寂の歌』だ」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる