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第三章
3-15
しおりを挟む十五
「少し来るのが遅いんじゃないか」僕は苦虫をかみつぶしたような顔をしながら、ゆっくりと起き上がる。右腕を押えながら、片膝を立てた。
「ちと量があっての、味わっていた」
「のんきなやつだな」
「間にあったのだから良いだろう。うるさい奴だな」
「うそつけ。間にあわせる気がなかったくせに」
黙り込んでしまったので、本当にそうなのかと八枯れを見下した。じっと、僕の首元から滴る血を見つめながら、よだれを垂らしている。このくそ鬼め、と頭をぽかり、とやる。まだ喰っていないだろう、と文句を言われたが、やはり喰うつもりだったんじゃないか、ともう一回ぽかりとやった。どいつもこいつも、本当に油断のならない奴ばかりだ。
うう、と言うつぐもの低いうめき声にハッとして、顔を上げた。はがれたお面の向こうには、崩れかけた肉がはりついていた。黒と赤の入り混じった皮は、固まっては溶け、溶けては固まってをくりかえす。顔をおおい、よろめくたびに、腐った肉が座敷の上に落ちた。それに眉をひそめて「すごいな」と、つぶやくと、指の間からぎっ、と睨みつけられた。
「ありゃ何じゃ」八枯れが尻尾を垂らして、げんなりとつぶやいた。どうせまずそうで喰いたくない、とでも思ったのだろう。
「自分の思念体に喰われかけてるようだけど。珍しい事例だな」
「足にからみついていたもんはこれの一部か」
「そのようだよ。顔に固執したばかりに、顔にはりついていた過去の影が、どんどん形態を変化させていったようだ。あれじゃ、もう元の形なんかあってないようなもんだね」
「なら良いじゃないか。あいつは自分の顔が嫌だったんだろう?望み通りじゃ」
「本人がそう満足していないんだから、仕様がないね」
そうしてごちゃごちゃ品評をしていたのが悪かった。突如、つぐもが両手を離すと、顔面から溶けだした黒い液体だか、なんだかよくわからないものが、まっすぐこちらに向かってきた。それは勢いあまって、僕の頬をかすめて、襖をつらぬいた。おいおい、マジかよ信じられない化けものじゃねえか、と後ろを見ると、伸びあがった黒い液体はそのまま隣室で溶けて、固まった。畳にしみこんで、はがれそうにない。それを見た八枯れは、愉快そうに笑いだして「そら、暴走しとるぞ。早く片付けんとこの家も終いじゃ」と騒いでいた。
「何でうれしそうなんだ、お前」
低くつぶやいて八枯れの体を踏みつけた。ぐ、っと低くうめいていたが、そんなことは知ったことじゃない。しかし、内輪でもめていると、ますます状況は悪化するものらしい。もはや原型をとどめなくなったつぐもは、黒い液体のようになって、こちらへ向かって来る。かすかに口ずさんでいるものは、「静寂の歌」の歌詞だった。どうやら、あの厄介な歌に理性さえも飲み込まれているらしい。なんと、面倒なことだろう。もはや言葉など通じるようには見えないし、物理的な対処が通じるのかわからない。夢だか幻だか、よくわからない空間とはこのことか。僕は八枯れと共に、屋敷から駆けだした。
「なんでお前、喰わないんだよ」走りながら叫ぶと、隣に並んでいた八枯れが不服そうにうなった。
「まずいもんは喰わん」
「お前本当に強いのか?肝心なときに役に立たない」
「少なくとも貴様よりは働いとるわ。ぐうたら亭主」
「一日中ごろごろしてるやつに言われたくないな」
そうして路地を曲がると、後ろから伸びてきた影がアスファルトに激突して、飛散した。もう少し曲がるのが遅かったら、背中をやられていただろう。あれが貼りついたらどうなるのか、想像がつかないのがなお気色悪い。
柵を飛び越えて、大きな公園内に入った。木々や藪のなかを抜けている最中、耳に触れた音の連なりに、ハッとした。木々でおおわれた空を見上げて、僕の頬や指先にぶつかるたびに、さら、と微かに鳴る葉の音は、どこか時間を切り取ったかのような、透明な響きを持っていた。白髪の男は、言葉の本質について考えろと、言っていた。
「そうか」
つぶやいた言葉に、足を止めた八枯れが怪訝そうに双眸を細める。僕はその場でしゃがみこむと、芝の上でそっと手のひらを広げた。
「ちと、自然の力とやらに頼ってみよう」
「何を言っている」
「八枯れ。お前、音を枯らすことはできるのか?」
「何だと?」眉根をよせて、牙をのぞかせた。いいからどうなんだ、と言ってちらと、見る。「まあ、できんこともない」と、不機嫌そうにつぶやいた。
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