静寂の歌(逢魔伝番外編)

当麻あい

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第三章

3-16

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    十六


 「だが、いまさら歌を枯らしても小僧の暴走は止まらんぞ」
 「ああ。でも書きかえることはできる」そうして手のひらの中に数枚の葉を乗せて、立ち上がった。「言の葉、とは先人はやれうまいことを言うね」
 柵を越えて、飛び出してきた黒い塊は、ヘドロのように蠢いていたが、その実質は霧のように、また影のように曖昧な姿を、無理に固着させようと一点に集まるゆえに、また離散してゆく、不安定な化け物と化していた。
なるほど。「化け物」とは昔よく言われたものだ、と苦笑を浮かべた。僕はただ不敵だっただけだ。そして幼かった。幼稚で不敵な者は、いつだって孤独だ。高橋つぐももそのうちの一人で、常に苦しんでいたように見える。そうした人間は本当に救いようがないのか。
「でも、僕には僕を叱る人たちがいたな。幸いなことに」
かすかに頬をなでる風に微笑を浮かべて、一枚の葉を指先に挟んだ。それを見た八枯れが大きく口を開けると、音にならない音波をくねらせ、辺りをゆさぶる。びりびり、と肌をつきさすようなその波は、つぐもにまとわりついていた大きな黒いヘドロを霧に変化させ、砂粒のように離散していった。同時に、気を失っていたつぐもがその場に倒れる。
 これで終いかと思ったら甘い。執着の分だけ、影はしつこく主を追い続けると言うものだ。だから淡泊なほうがとりつかれないか、と聞かれると首肯しかねるが。離散した霧は、一度大空を旋回した。その勢いに巻き込まれるようにして、四方八方から黒い塊が吸い寄せられて来た。
 「すごいな。各地に散っていた歌を呼んでるぜ」
 「でかくなっとるぞ」
 「丁度いいじゃないか。これで一掃できそうだ」
よりあつまった黒い霧の塊は、黒雲のようにうなって、しばらく蠢いていたが、突如一匹の蛇のようになって、芝のうえに倒れ伏しているつぐも目がけて降りて来た。
 僕は指先にかまえていた葉の一枚を風にのせ、その黒い霧の頭を吸い込んだ。黒い霧は、葉のうえに固着すると静かになった。体、腰、尻尾など、あとは手にしていた数枚の葉のなかに、次々と吸い込んでいった。そうして、風に乗って一度舞いあがった葉は、ちらちらと降ってくる。それはゆるやかに回りながら、ようやく地面に落ちると、僕の足元に降り積もって黙りこんだ。
 「こりゃ何だ」
 八枯れが不機嫌そうに鼻を鳴らして、積もった葉の匂いをかいだ。こらこれは喰うなよと、八枯れの鼻を押えながら葉の束を拾い上げる。
 「歌だよ」
 「どういうことじゃ」
 「存在しない歌を現実空間で、あたかも存在しているかのようにしたのは、人の欲だ。なら、本当に具現化してしまえば、あとはどうにでもなるだろう」
 「わからん」不機嫌そうにうなった八枯れの眼前に、歌詞の書かれた葉を一枚見せつける。
 「ようは体を与えたんだ。邪植の花の天然バージョンだと考えればいいかな。邪植の花は、人工的に植え付けて、欲望を糧に花を開く。でもこの歌は、土壌を選ばず種をつけて、どんどん増殖していった。しかも厄介なのは、人の思念体や影のように、意志がまるであるかのように動き回っていたことだよ」
 「つまり姿のないものが、姿があるように見えていたってことか?」
「まあ、そうだね。でも、本来この歌は姿を持たないから、思念体よりも厄介だった。だからどこにでも行けるし、とりついたものの意志に従って動き回るし、放って置けばでかくなる。だったら、姿を与えてやればこっちに存在できるだろう。存在したら、それはもう得体の知れない何かじゃなくなる」
 「じゃあこいつは何になったんだ」
 「まあ、歌う葉ってところじゃないか?」
 「ずいぶん不細工だな」
 「手続きを踏まずに生まれたんだから、仕様がないだろう。文句は神様とやらに言えよ」
 そんなものがいるなら是非会ってみたいものだ、とつぶやいて鼻を鳴らしていた。こいつは、鬼も幽霊も妖怪も魔物も宇宙人も、まあいろいろのものは信じるくせに、神とやらは信じていないらしい。鬼と言うのもよくわからない生物だ。どうせなら、あの夢に出てきた白髪の男にでも会わせてみようか。神かそうじゃないかと言ったら、あれはそのようなものに近いのかもしれない。
八枯れは大きなあくびをもらして尻尾を振ると、手のひらの上に乗っている数枚の葉を見上げながら、つぶやいた。
「それをどうする気じゃ」
 「持って帰るよ。こうなったら影響もないだろうけど、念のためにね。危険な芽はつんでおきたい」
 「ご苦労なことだな」
 歌詞の書きこまれた葉をズボンのポケットの中につっこむと、ようやく息をつくことができた。力を抜くと、いまになって折られた右腕が痛んでくるんだから、まったく嫌になる。この歳で無茶はするものじゃないな、と早くも引退を考えはじめる。
 「小僧はどうする?」
 つぐもの方を見ると、よほど体力を吸い取られたのか、ぐったりと倒れ伏したまま起き上がる気配がない。それこそ警察の領分だろうと、ため息をついて携帯電話を取り出した。
木下に電話をかけると簡単に状況を説明して、すぐ帰宅した。戻って見ると、庭に大量の花が束になって積んであった。何だこれは、と眺めていると、邪植が頭を拭きながら、縁側を歩いてきた。風呂上がりなのか。
 「あ、おかえりなさい」
 「どうだった」
 「どうもこうも。成果は見ての通りです」
 「喰わないんだな」僕は、ちらと積み上がった黄色い花の束を眺めながら苦笑を浮かべた。
 「ええ。ちと調べてみようかと思いまして」
 「何を」
 「歌の性質です。何か役に立つかもしれませんよ」
 「それはまあ、いいけど。暴動はどうなった」
それが、と邪植は怪訝そうな顔をしたまま、話し始めた。最初は暴れ回っていた人間と、暴れ出しそうな人間に片端から種を植えて行ったのだそうだ。花は急速に成長し、大きな欲望花を咲かせたので、すぐに手折って、始末をつけていた。しかし、しばらくすると、街頭で妙なメロディーが流れだした。それを聴いた人間たちは、茫然と立ち尽くすようになり、暴れていた男などは、倒れ伏してしまった、と言う。同時に、男をとりまいていた黒い影の塊が、空中に飛び上がって、どこかに飛んで行ってしまったのだそうだ。メロディーはともかく、影の飛んで行った先は想像がついた。
 「なるほど。それで、必要のなくなった花を刈り取って帰って来た訳か」
 「そうです。骨が折れました」
 「何を言うんだ。僕は本当に折られた」憮然として、右腕を見せると、邪植はうへ、と顔を歪めた。いま気がついたが、包帯が真っ赤に染まっていた。これは早いとこ巻きなおさないと、錦にとやかく言われてしまう。そう思い、すぐに腕を引っ込めたが、一瞬遅く、池から顔を出していた錦が飛んでやって来た。勢いあまって、左右にゆらめいた尾が、邪植と八枯れを吹き飛ばしていた。
 「赤也、ごめんなさい。私としたことが、邪気にやられて」
 おそらく、つぐもをとりまいていた黒い影のせいで、池から出てくることが難しかったのだろう。仕様がないよ、と苦笑を浮かべたが、錦は深刻そうに眉根をよせてうなだれると、その青い透明の瞳からぼろぼろと涙をこぼしはじめた。ぎょっとして、左手を振りながらなぐさめる。こりゃ、また面倒なことになってきた。
 「いい、いい。お前の所為じゃない」
 「お詫びに死にます、腹を切ります」
 「いいから、もう休ませてくれ」
 辟易した声でつぶやくと、錦はまたすまなそうに頭を垂れていた。縁石の向こう側まで、吹っ飛ばされた八枯れが、「いますぐ殺してやろうか」と、怒りに声を震わせていた。

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