逢魔伝(おうまでん)

当麻あい

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第二章

2-4

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  四
 
 「さて、時間もないし、本題に入ろう」
 僕は、膳を片づけてから、学生服に着替え、木下を待たせていた客間に入ってすぐ言った。
 後からついてきていた八枯れも、部屋に入るなり、座卓の横で丸くなった。
 木下は、持っていた文庫本を閉じて、鞄の中に入れた。彼の向いに、麻色の座布団を敷いて、座り込むと、まくしたてるようにしてしゃべった。
 「まず、いくつか先に言う。
 噂の内容はだいたい正しい。
 一つ。僕は坂島家の当主であって、それを売り物に商売などしてはいない。
 二つ。たしかに、妙な力を持っていることは認めるが、それは元からあったもので、知識とは違う。
 三つ。故に、お前の周囲でおかしな現象が起こっていたとしても、助言などできない。
 しかし、案外と悪い人間ではないようなので、話を聞くことによって、お前の気が済むなら、話だけは聞いてみようと思う。これでも、まだ僕に聞きたいことがあるなら、言ってくれ」
 話し終えるのを待ってから、しばらく眉間に皺をよせて、考えこむ素振りをしていた。
 盆に乗せてきた、冷えた麦茶を、彼の前に置いた。そばに投げ放しにしていた団扇を手に取り、扇ぐ。梅雨前とは言え、やけに蒸していた。
 「では、聞いてくれるか」
 木下は、まっすぐに僕を見つめた。
 「五つはなれた姉がいる。先ほど、写真で見せた通り、清楚でも、可憐でもない、平凡な女性だ。しかし、真面目で実直で、やさしく、思いやりのある人だ。
 昨年、渋谷にある、それほど、大きくもない眼鏡屋に就職し、所沢にある実家を離れ、下北沢周辺で、小さなアパートを借りて、一人暮らしをしている。週末はこっちの家に帰ることもあったし、僕もしばしば、姉と交流することもあった」
 木下は一度、息を整え、麦茶を飲んだ。
 そばで寝ころんでいた八枯れは、飽きてきたのか、半目で僕の顔を見上げている。いまにも、眠りに落ちそうだった。気持ちはわかる。木下の話し方は、本を読んでいるようで、なんと言うか、かたい。
 「しかし、二週間ほど前から、姉は実家に戻るたびに、家の金を無断で取っていくようになった。両親だけではない、僕の貯金にさえ手を出し始め、これはおかしい、と思い、事情を聞こうとしたが、姉はいらいらした様子で、僕の相手をしようともしなかった。しかし、盗んだことが両親に知れた。一週間前、大騒ぎになった」
 「まあ、男でもできたんだろう」
 僕は麦茶を一口飲んで、首をかしげた。
 「それと、僕と、一体、どうつながるんだ?ここまで聞く限り、お前の姉さんは、憤懣が溜まっていたのか知れんが、それを抑えていた箍が外れ、好き勝手やりはじめた。と、言うだけの話じゃないか。まさか、何かとり憑いているとでも、考えているのか?大げさだね」
 苦笑をもらして、そう言ったが、構わず木下は「まだ、話は終わっていない」と、静かに言った。僕は仕方がなく、頬づえをついて、八枯れの喉の下をくすぐることにした。
 「僕だって、そんなもの信じちゃいないさ。
 でも、母はね、姉が何かに、とり憑かれたと思っている。父は、神経症だの、精神病の類として、考え始めている。それぐらい、姉は何かに入れこんでいる様子だった。異常なほどだ。
 そして一昨日、姉はついに倒れたんだ。僕は、その日の夕方、たまたま、学校帰りに、駅で姉を見つけたんだ。誰かを待っていたのか。案の定、僕が声をかける前に、姉に近づいて行った男がいた」
 「ほら、やっぱり男じゃないか。そいつのせいだ」と、肩をすくめた。木下は、「いいか、ここからが大事なんだ」と、真剣なまなざしで、言った。
 「五月も終わると言うのに、その男は黒いコートを羽織っていた。それだけでも、十分怪しいだろう。男は姉と二三、何か言葉を交わした後、姉の肩に触れて、何かをつまむ動作をした。
 その後だ。姉は生気を無くし、昏倒した。僕は急いでかけ寄ったが、男はすでに立ち去った後だった。顔すら見えなかったよ」
 僕は何か、引っかかり、しかしそれが何なのか、言葉にすることができなかった。何かを忘れているような、本当は見たことがあるのに、思いだせない感覚とでも言おうか。
 それまで、億劫そうに喉を鳴らしていた八枯れが目を開けると、僕の顔を見つめ、黄色い目を細めて、にやにやした。
 そうだ。木下はいま、何かをつまむ動作、と言った。
 「いったい、その男は何をつまんだんだ?」
 「それが、遠くて、よく見えなかった」
 本当だろうか?
 本当にそれは、遠いから、見えないものだったのだろうか。僕は眉間に皺をよせて、しばらく黙った。
 すると、にやにやと笑っていた八枯れが、みゃあお、と鳴いた。木下の背後に周り、突然、その背中にしがみついた。木下は驚いて、立ち上がると「何なんだ、この猫は、」と、声を荒げた。
 僕は、ため息をついて、八枯れの尻尾をつかまえる。
 八枯れは、「離せ」と小声でうめいた。離せじゃない、お前は何をしているんだ。と、睨みつけると、八枯れはもぐもぐと口を動かして、何かを咀嚼していた。
 「お前、何を喰ってるんだ」僕は、怪訝そうな顔をして、八枯れの鬚を引っ張った。
 八枯れは、体をよじり、うまく僕の腕から逃げ出した。器用に畳の上に着地すると、木下の方を見上げて、ついに口を開いてしまった。
 「小僧。良いものを生やしているな」と、笑った。八枯れの言葉に、ハッとする。気持ちの悪い感覚が何か、ようやくわかった。
 僕は、あわてて木下のワイシャツをめくった。
 猫がしゃべったことに、放心していた彼の背中を見ると、そこにはびっしりと、何かが植えられている。だいぶ、成長してきているのか、一つ、二つは、小さなつぼみをつけている。
 よく見るとそれは、黄色い花のようだった。

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