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第二章
2-3
しおりを挟む縁側で、沢庵をかじりながら、八枯れは不機嫌そうにひげをひくつかせている。
胡散臭そうなものを見るような眼で、木下を見つめている。錦などは、池の中から、心配そうに顔をのぞかせていた。
木下は、八枯れを見ながら、豆腐の味噌汁をすする。そして、「うん、いい味噌だね」と、無表情に言った。僕はそれに、軽く首肯して、鰤の照り焼きをほぐす。
「それで。木下、そのポケットに入っているものを、見せに来たのか?」
塗の箸で指されたのが気に障ったのか、木下は不機嫌そうに眉間に皺をよせ「君は、そんなことまで見通しているのか」と、言って、学生服のポケットから、写真を取り出した。
「姉の、木下笹子だ」
「家族の紹介をしたくて、僕と向かい合って、味噌汁をすすっているのか?」
木下はため息をついて、そんな訳がないだろう、と姉笹子の写真を手渡してきた。それを受け取り、「平凡な女性じゃないか」と、言って、箸を口にくわえた。
見れば見るほど、平凡な女性だった。
白いワンピースの上に紺色の上着を羽織り、ひかえめに微笑んでいるその様子は、あまり写真慣れしているようには、見えない。
木下は、「行儀が悪いな」と不機嫌そうにつぶやいた。「箸で人をさすは、くわえるは、こんな立派な家に住んでいながら、不作法にも程があるよ」
「そんな不作法者は、この家の主だよ」
「噂は本当だったのか」
僕は木下の言葉に、眉間に皺をよせると、くわえていた箸を椀の上に置いた。木下はそれに対して、「次は、渡し箸か」と、嫌そうな顔をして言った。彼をまっすぐ見つめると、姿勢を正して、落ち着いた声で言った。
「その噂ってのは、何だ?」
様子の変わった僕に、木下は変わらず無表情で「ああ」と、軽い相槌を打って続けた。
「君が、坂島の家の主として働いている。また、その内容は巫術的なもので、君は霊能師だとか、そうじゃないとか。憑物落としや、霊視、預言の類もやっているんだとか」
ふん、と僕は鼻を鳴らした。「それは、良い方の噂か?それとも概ね、そのような、非現実的な内容なのかな」
「うん。これは、良い方の噂だ」木下は、ほぐした鰤を口に入れて、しばらく咀嚼していた。僕はそれに、薄笑いを浮かべた。
「悪い方はだいたい、見当がつくよ。ついに坂島家は、やばい奴に乗っ取られた、とか。自分の祖母を殺したのは僕だ、とか。遺産目当てだった、とか。妖怪や鬼を従えた、鬼の主だ、とか。そんなものだろうよ」
木下は、上目づかいに僕の方を見て、「まあ、そのようなものだ」と、つぶやき、沢庵を食う。パリパリと噛み砕きながら、無表情を崩さなかった。
「だが、噂は噂だ。君が良い者か、悪い者か、僕にとってはどうでもいい。しかし、火のないところに煙も立たない。
君に能力があろうとなかろうと、そうしたことに、くわしいのではないかと思い、参考までに意見を聞きに来ただけだ。もちろん、思い違いであれば、玄関先で、すぐに失礼しようと思っていた。
しかし、どうやら妙な男ではあるようだ。そう思ったので、すまないが、相談したいことがあるんだ」
意外な気がした。
目の前に座っているこの男も、根も葉もない噂を信じて、僕を冷やかしに来た輩の一人だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
ちょっとぐらい、話を聞いてやってもいい。そう思い直した。
木下は、僕の笑顔に怪訝そうな顔をした。
「しかし、君についての風評で、一つだけ確かなことはあったらしい」
「なんだ」
僕は、再び塗の箸を手に取ると、大根のつけものを、口の中に放り込んだ。
「坂島赤也は、女顔負けの美形だ、と言う」
「そんなもの。聞かなくたって、僕の顔は教室で見たことがあったんじゃないか?」
僕が不思議そうな顔をすると、今度は木下が笑みを浮かべた。
それは、右端だけを、異様につりあげた不敵な笑い方で、もちろん、あまり好感の持てる表情ではない。
「なぜ、僕が噂だけの男を頼りに、ここに来たと思うんだ?」
「そうだな。なぜ、相談相手が今朝、唐突に言葉を交わした僕なんだ?普通は、もっと親しい相手にするものだ」
そこまで言って、僕はピンときた。木下も、黙っていた。
「なるほど」僕は、頬づえをついて、今度こそ、心から笑みを浮かべた。「あれは、お前自身にも、あてはまっていた訳だ」
「もちろん、君ほどではないけどね。僕は、社会的な礼儀は心得ている方だよ。初対面の人間相手に敬語も使わず、お前、などと気安くしたりはしない」木下は、どうでもいいことだが、と言葉を切った。
「つまり、お前も僕の顔を、覚えていなかった訳だ」
「そうだ。僕の頭の中は、基本的に自己思考の構築でしかない。現実的な人間とのコミュニケーションに意味を見出す人間には、見えないだろう」
「どおりで、僕の言動に対してなんの嫌悪感も、優越も、劣等感も持っていなかった訳だ。奇特な人間だなあ」
そう言って、茶をすすると、木下は眉間に皺をよせて「君、肘をついて物を摂取するなんて」と、愚痴をこぼした。
自分の気に喰わないことは、本人に直接言うが、それ以外に関しては、あまり感心がないようだ。
こういうのを何と、言うのか。
ええと、ああ、そうだ。
「変人だ」
「君にだけは、言われたくないな」
そう言って木下は僕と同じように茶を、ずず、とすすった。
縁側で丸くなっていた八枯れが、その音を聞いて、みゃあお、と不機嫌そうに鳴く。それに続いて、昨年から、くくりつけたままだった南部鉄器の風鈴が、ちりりん、と鳴った。
ついつい、外し忘れて、一年経ってしまった。そろそろ、梅雨に入ろうと言う時期なのにだ。
今年も、その風鈴は外されることなく、共に夏を迎えるのだろう。
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