逢魔伝(おうまでん)

当麻あい

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第二章

2-9

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  九

 

 部屋に入ると、異様な光景が目に入った。
 「お前はお前のせいで、お前はいつもそうだ。わたしを見る目が嫌だ。見るな。消えろ、黙れ、やめろ、うるさいんだよっ、いやしい!卑しいんだ!死ね、死ね、死ねよ、しね!」
 木下の姉なのだろうか。
 白い顔をした女が、甲高い声を上げて、髪を振り乱している。点滴を指したまま、木下に馬乗りになって、殴りかかっていた。どうやら、錯乱しているらしい。
 枕もとに置いてあった花瓶を、窓に投げつけたのか。白い床には、花と水と水差しの破片、割れた窓の硝子が落ちていた。
 木下は、姉に殴られながら、声も上げず、体を丸くしていた。なぜ、抵抗をしない?精神が乱心しているとは言え、女の力など高が知れているじゃないか。
 僕は、八枯れに合図をして、女の後首をつかんだ。
 ぐっと、力を入れ、木下から引きはがす。そのまま、乱雑にベッドの上に投げると、ぐえ、とカエルのつぶれたような声を上げた。すぐに体勢を整えた女が、僕につかみかかろうとして来たが、八枯れが女の足を取り、またベッドの上に倒れた。
 その隙に、木下を起き上がらせ、病室を出ようとしたが、女が未だ、木下につかみかかろうとしたので、僕はつい、と正面から女の首をつかんで、ベッドの上に押さえつけた。
 女は声にならない声を上げ、苦しそうにもがいた。
 木下はそれを見て、動揺した声を上げ、僕の腕にすがりついてきた。僕は女の陰鬱な顔をしばらく見つめてから、くちびるを曲げた。
 「うるさい女だな」
 そう言って、薄く笑みを浮かべると、血が冷えてゆくのがわかった。
 このまま女をしめ殺してしまおうかと、本気で思った。しかし、それは腕にしがみついてきた木下の言葉によって、止められた。
 「やめろ!坂島っ」
 僕は、力が抜けてゆくのがわかった。
 そうして、この妙な感情の変化の原因に思い至り、舌を打った。
 やられた。
 そう思い、しばらく、動きを止めた。
 木下は、「出て行け」と、僕と八枯れを、姉から引きはがして、病室からたたき出した。リノリウムの廊下の上でしゃがみこんだまま、様子をうかがってきた八枯れを見る。ゆるく笑んで、大きく息を吐き出した。
 「なあ、僕の背中の花を、むしってくれないか」
 そう言って、ワイシャツをめくり、後ろを向いた。
 八枯れは、しばらく、沈黙した後に、「やられたのか」と、苦々しくつぶやいた。
 そうだ。芽になる前にむしった種は、フェイクだったのだ。本当は、こっそりと僕の背中にも、種を植えていたのだ。おそらくそれは、可憐に咲いていることだろう。
 八枯れは、僕の背中を見つめながら、低くつぶやいた。
 「構わんが、お前」
 「ああ、わかってる。だが、いまはそうするしかない。後は、お前と錦に任せるよ」
 苦笑をもらして、「間違っても、僕をここに入院させるなよ」と、つけたして言った。八枯れが、僕の背中に噛みついた。
 意識が遠のいてゆく瞬間、目に入った窓硝子の向こうで、錦の赤と白のうろこが、太陽の光に反射して、美しくかがやいていた。そのうろこに、黒い羽根がくっついていた。錦もしくじったか、見失ったのだろうか。
 「絶対につぶしてやる」
 恨み事をつぶやいて、僕はしばらく意識を手放した。
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