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第二章
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しおりを挟む八
「おい、どこに向かっているんだ?」
信号も無視してかけ抜ける八枯れを見失わないよう、その後を追いかける。何度かすれ違い様に、人とぶつかり、鞄やら、書類やらを落としてしまい、叱られた。
「おそらく、あの小僧の所じゃ。これ以上、あの馬鹿鳥を放って置くと、ろくなことにならん」
交差点を器用に渡りながら、八枯れは振り返って言った。
「ずいぶん、善良な考えになったな」と、軽口をたたいた。八枯れは、「ただでさえ、タダ働きなんじゃ。これ以上、わしの仕事が増えてたまるか」と、淡々と言い放った。
「木下の、居場所がわかるのか?」
「匂いでな。十キロ四方までは」
頬を伝う汗をぬぐって、顔を上げる。
それと同時に、八枯れは「いたぞ」と、小さな声で言った。木下は丁度、病院の入口を通り抜けるところだった。手には、見舞いの品なのか、紙袋をぶらさげていた。
僕は、カラスがいないか、辺りを見回したが、それらしいものは見当たらなかった。
病院に向かって、走り出した八枯れを追いかけ、「おい、見つからないように入れ」とだけ注意した。
いつもなら、外で待たせるのだが、状況が状況なだけ、置いて行く訳にもいかなかった。
木下は、院内に入ってすぐ、エレベーターホールに向かった。
その肩を勢いよくつかんだ。突然のことに、木下はわあ、と驚いた声を上げて、立ち止まった。
汗だくの僕がよほど珍しかったのか、「君、いったいどうしたんだ」と、目をむいていた。そんな木下を無視して、ぐったりと、壁にもたれかかった。これでようやく、息をつくことができる。そう思い、汗をぬぐった。
木下の姉の病室に向かう途中で、これまでの経緯を、簡単に説明した。すでに八枯れと接していたせいか、カラスについても、すんなりと納得がいったようだ。
そんな木下に、八枯れは「お前は、もう少し警戒心か、猜疑心を持った方が良いぞ」と、まじめな顔で言った。お前がそれを言うな、と八枯れの尻を、つま先で軽くつついた。
木下は、エレベーターの中で、深いため息をつくと、「こんなことに巻き込んで、すまない」と、殊勝な声を出した。
まったくだ、と言いたいところを、ぐっとこらえて、ポケットに手をつっこんだ。特に、なぐさめる言葉も思いつかなかったので、そのまま、階の上がってゆくエレベーターのランプを眺めていた。
「その、君は、姉さんに会うのか?」
「困るか」
「いや、その」
どうも、はっきりしない木下に、僕は今日何度目か、わからないため息をついた。
「別に、会うなと言うなら、会わないよ」
瞬間、エレベーター内の、空気が固まったような気がした。
木下を見ると、うつむいている。今朝、話していた時と同じように、顔には表情がない。しかし、木下の声は急に低い、冷たいものになっていた。
「君には、どうせわからない。人の心がないんだから」
エレベーターの扉が開くと共に、木下は、さっさと廊下へと出て行った。
僕は、しばらく訳もわからず、ぼんやりとしていたが、先を行った八枯れに「どうした、早く来い」と、言われ、ようやく足が動いた。
木下の様子がおかしい。
もちろん、会ってまだ間もない人間の性格の機微など、把握できる訳はない。根拠もない。しかし、今朝、僕の家でうまそうに飯を食っていた人間が、こうも変わるものだろうか?
不自然だ。それとも、彼が特別、精神不安定なだけなのだろうか。わからない。
僕は、珍しく混乱していた。それと共に、だんだん腹が立ってきていた。こめかみの辺りが、ぴりぴりと焼けるように、熱くなっている。僕はいま、冷静ではない?
それも、そうだ。
突然、家に訪ねて来たかと思えば、勝手に話をして、勝手に同情して、人を妙なことに巻き込んでおいて、今度はつきはなす。なんて、身勝手なのだろう。だから、嫌なんだ。人間は、だから、苦手なのだ。
「赤也」
八枯れの声にハッとして、立ち止まった。
足元を見ると、僕を見上げる黄色い双眸が、蛍光灯の光を反射して、かがやいていた。
僕は、しばらく八枯れを見つめて、いつものように微笑を浮かべた。
「心配いらない」
そう言うと、自然、火照っていた頭が冷えた。
八枯れを追い抜き、木下の入った病室の扉を、ノックしようとした時だ。病室の中から、窓ガラスを割る大きな音が響いた。僕は、考えるより先に、体が動いていた。
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