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第二章
2-13
しおりを挟む十三
「木下?」
坂を上がりきった先で、木下が門前に立っていた。
また、家の中をのぞきこんでいたようだ。僕の声にあわててふり向いたが、しばらく固まってしまった。自転車を引きながら、門を越える。自転車を止めると、所在なさそうに立ち尽くしていた木下をふり返って、微笑んだ。
「丁度良かった。お前に見せたいものがあるんだ」
木下は、しばらく逡巡した後に「ああ」と、曖昧にうなずいて、敷居を超えた。籠から飛び降りた八枯れが、木下の後ろを歩きながら、「ふむ」と、一人で何か納得していた。
居間に入ると、縛りの札をつけたまま気絶しているカラスが目に入った。
まだ、意識が戻っていないのか、眉間に皺をよせて、うなされているようだった。
背中を見ると、きちんと布が巻かれ、処置されていた。
「えらいな。座敷が汚れないか、心配だったんだ」
そう言って、縁側から顔を出していた錦に微笑んだ。錦は「簡易なものですが、そいつには十分かと」と、透き通るような声で、はっきりと言った。錦には、嫌いなものが多く、好きなものが少ない。
木下は部屋に入ってすぐ、短い悲鳴を上げて、後ず去った。
その時、後ろを歩いていた八枯れの前足を、踏んだようだ。小さく悲鳴を上げ、不機嫌な声で「どけ、間抜けめ」と言って、木下の股下から、するりと、中に入った。
「そいつは、誰だ?」
木下も本来の調子を取り戻したのか、眉間に皺をよせた。
学生鞄を抱えたまま、そろり、と中に入った。僕は、カラスを見下ろしながら、苦笑をもらした。
「お前の憂鬱の原因だよ。こいつのせいで、僕までやらなくてもいいことをやらされた」
「それじゃあ」
木下は、眼鏡のフレームを指で押し上げて、カラスと僕の顔を、交互に見比べた。
「そう。お前の姉さんと、お前と僕に種を植えて、花を咲かせて喰おうとした犯人はこいつ。都会生まれの鴉だ。先ほど、捕えたばかりでね。これから、式にする契約を結ぼうと思って、拉致監禁しているところだ」
そんな、木下は小さな声でつぶやいた。言葉が出ないのか、難しそうな顔で、沈黙している。僕は、うっすらと笑った。
「安心しろ。僕の式にすれば、お前の花も、枯らすことができるかもしれない」
「その必要はないぞ」
八枯れの声に、下を見ると、黄色い目を細めて、木下の背中をじっと見つめていた。僕は、もしやと思い、無理やり木下のワイシャツをめくった。背中はすっかり、奇麗になっており、花どころか、黒子の一つも見当たらなかった。僕は怪訝そうな顔をして、八枯れを見た。
「どういうことだ?」
八枯れは、ふい、とカラスの方に首を向けて、にやにやとした。
「大方、気を失って、花の能力を維持することができなくなったんじゃろう」
「だが、養分は欲望なんだろう?勝手に育つものなんじゃないのか?」
八枯れは、ふん、と鼻を鳴らして、前足を舐めた。
「畑に植わった作物も、放って置いたら虫に食われるし、天候によっては、水が干上がったり、水分過多で、根を腐らすこともある。なにより、この花は養殖なんじゃ。天然自然のものではない」
「ビニールハウスの栽培みたいなものか」
木下は妙な相の手を入れた。八枯れはそれに片眉を持ち上げたが、まあ、そうじゃ。と、小さな声で肯定した。
「欲望が養分なら、それを増加させた方が早く飯が食える。奴は、貴様らに気づかれぬよう、感情の降り幅を上げるか、なにかして、花を育てとったんじゃないのか」
「じゃあ」木下は、おそるおそる僕の方を見つめた。「僕や姉さんが、不安定になっていたのは、そのせいなのか?」
「さあな。それは、本人に聞いた方が早い」
八枯れは、大きなあくびをもらしてから、カラスの方を向いて黄色い目を細めた。僕も、両腕を組んで、その細い両目を見つめる。木下は、表情を凍らせて、言葉を無くしていた。
ようやく目覚めたカラスを囲んだまま、座敷の中に、しばらくの沈黙が落ちる。目覚めが悪かったのか、カラスの顔色は悪く、不機嫌そうに歪んでいた。それを八枯れは、にやにやしながら見下ろしている。
「気分はどうだ」
八枯れの顔をしばらく睨みつけてから、カラスは長々とため息を吐いて、「最悪だよ」と、低くうなった。僕は、八枯れの首根っこをつかんで、「邪魔するな」と、木下の方へ放った。木下は、うわ、と短い悲鳴を上げて、八枯れを抱えるようにして受け取った。
「さて、約束だ」
うっすらと笑みを浮かべた僕の顔を見上げて、カラスは顔をゆがめて、弱弱しくうめいた。
「わかってるよ。とにかく、この札をはがしてくれないか」
「終わるまで、ダメ」
僕は、親指の皮を噛み切って血を流すと、一滴、カラスの口の中に落とした。まずそうにそれを飲み下すと、大きく息を吐き出した。終始うらやましそうに眺めていた八枯れを無視して、「これでいい」と言って、縛りの札をはがしてやった。
ようやく自由になれた、と息をついたカラスは、体を起こして畳の上で胡坐をかいた。はがれた羽根が痛むのか、時々、顔を歪めてはいたが、すぐに持ち直して、僕を見上げた。
「怪我が治るまでは、丁重に扱ってくださいよ。一応」
「僕がそんな鬼畜に見えるのか、ひどいな」
カラスはうえ、と舌を出して「その笑顔が怖いんだ」と、震えていた。
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