逢魔伝(おうまでん)

当麻あい

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第四章

4-6

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    六


 「おい、本当にこんなことで見つけられるんだろうな」
 八枯れの不機嫌そうな声を背中に受けながら、苦笑を浮かべた。今回は、錦の手を大幅に借りなくてはならない。それが、なにより不服なのだろう。
 「嫌なら、ここで待っててもいいぞ」
 微笑を浮かべて、振り返った。見据えた黄色い双眸が、不機嫌そうに歪んだ。ふん、と鼻を鳴らして、一度くるりと尻尾を回す。
 「軟弱な人間風情が、よく言う」
 「言うだけは言うさ。僕が死んで困るのは、お前だからね」
 八枯れは悔しそうに眉間に皺をよせると、まだ何事かぶつぶつと文句をもらしていたが、帰ろうとはしなかった。悪態の一つでもつかないと、人の手を借りることもできない。難儀な性格である。
僕がため息をつくと同時に、水面から飛びあがった錦が、空中を漂いながら双眸を細めた。
 「いいんですね」
 紫の厚い雲が、もうすぐそこまで迫ってきていた。また空が隠れてしまっては、困る。これを逃すと、次はないかもしれないのだ。すぐにやってくれ、と錦に向かって叫んだ。
 錦は大仰にうなずいて、一度尾をゆらすと、空を仰いで息を吸いこんだ。その大きな深呼吸は、大気を震わせた。肌にびりびりと伝わってくる、鳴動は、大地の声か、水の叫びか。水滴が、錦に向かって集まってゆく。空気中のわずかな水分をも、川と共に空中に舞いあがらせた。
 「すごいな」
 夢を見ているようだった。紫の空の上に、錦の龍が浮かんでいる。沈みかけた黄昏の赤い光を受けて、うろこをきらきらとかがやかせ、白い尾を空中でただよわせている。その周りに、まるで水滴の帯を引いたように、水が集まっていた。雨が中途で静止しているように、細かな水滴が辺りをおおっていた。時間が停止したかのような景色のなかで、一つ一つの粒が、蜃気楼となって世界を包みこんでゆく。屈折は屈折を生み、歪んだ景色が途切れた先に、一つ浮かんだ大きなかがやきがあった。
 「街に光があったら、きっとこううまくはいかなかったろうね」
 黄色い半月のかがやきを見つめながら、微笑を浮かべた。目の前に浮かぶ月の表面は、細かなクレーターさえ確認できるほど、大きかった。まるで僕らのほうが、宇宙にでも投げ出されているかのようだ。
 水見式ではないが、錦のつくりだした蜃気楼に、空を映し出しているのだ。光年の距離を超えるほどの微細な粒子のぶつかりあいが、可能にする。あらゆる原子と電子の反応性が、光の速度を再現している。それは、実態のない錦だからこそつくりだせる、透明なスクリーンのようなものだ。
 「こんな子供だましみたいなもので良いのか」
 「仕様がないじゃないか。宇宙には行けないんだから。姿身ってのは、存在の分身みたいなものだからね。それも、一つの本当なんだ」
 「そもそも、こんな魚のつくった水にどこまで映るかわからんぞ」
 「できる限り広げてもらうさ。錦だってやるときゃやるよ」
 「運試しも良いとこだな」
 「うまいこと言うじゃないか」
 僕は、欄干の上に乗り上げて、眼前に広がる光の海に目を見張った。あとから、飛び上がってきた八枯れが、僕の肩につかまって「ほお」と、感心している。
 蜃気楼のなかに浮かんだのは、半月だけではなかった。それを取り囲むように続く無数の星の海だ。
銀河と、流星群が、目の前を流れているかのように、一つ一つの光がちかちかと、瞬いている。赤や、青や、黄や、白にかがやく、幾千の星は半月を横断し、また互いにぶつかりあって、混ざりあい、燃え上がる。これが、数億光年先にある、あるいは何十億年も昔の景色なのだと思うと、なんだか胸に迫ってくるものがある。
新生爆発。このかがやきの一つ一つは、光の誕生であり、また死である。僕らが「きれいだね」と言っているころには、そのきれいなかがやきは、消えている。一度きりの強力なエネルギーを放出したあと、彼らはまた元のかがやきへと戻る。たった一度の、そのかがやきが、光年の距離を超えるほどの威力を持っているのだ。
 「この中に飛び込むのか」
 大きなため息をついて、肩を落とした。愉快そうに笑いだした八枯れの声が、耳についた。むっとして、隣を見ると牙をのぞかせた、八枯れの不敵な笑いが目に入った。
 「いまさら、臆したか」
 「怖いって言ったら、お前が中途で僕を見捨てることくらいだね」
 「安心しろ。端っから捨てる気なら、ついては行かん」
 「いざとなったら、お前を置いて逃げてやるからな」
 軽口を訊いていると、蜃気楼が大きくゆれた。それと共に、宇宙がかき消えそうになる。頭上には、厚い雲が迫って来ていた。まずい、と僕は意を決して、かがやきの海の中へと飛び込んで行った。


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