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第四章
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しおりを挟む七
かすみがゆれる。全身を闇が包みこんでゆく。どぼん、と水の中に沈んだような音を間近で聞いた。一瞬、本当にかがやきの海に落っこちたのではないかと思い、どきどきした。
「赤也、ちゃんと見ろ。迷うぞ」
耳元で聞こえた八枯れの声に、ふっと瞼を開ける。頬をかすめるように、赤い閃光が通り抜けていった。それを追うと、暗闇のなかで、いくつものかがやきが飛びまわっていた。青い光が頬をかすめ、闇の奥へと消えてゆく。それをはじめとして、白や黄の光の粒子が、雨のように降りそそいできた。うわ、と両腕でそれを弾いて、立ち止まる。光は、僕らを通過して、全身を包みこみ、また動き回って、闇の中へと消えて行った。
不思議な感覚だった。どこが闇で、どこが光なのか、その境界さえもわからなくなっていた。光ったと思い、目の前が真っ白になると、すぐにそれを覆うような真っ黒い闇が、迫ってくる。それに目を瞑ろうとすると、次は滝のようなさまざまのかがやきの粒子が、眼前を通り過ぎて行った。宇宙のなかを泳いでいるのか、歩いているのか、あるいは落下しているのか、上昇しているのか、わからなくなる。
「方向」のない星の不規則な流れが、四方八方から現れては、忙しなく消えて行った。そのくりかえしのなかで、光と闇が点滅している。これが、宇宙のほんの一部なのかと思うと、なんだかゾッとして鳥肌が立った。
「すごいな」
僕が、感嘆のため息をつくと、肩にしがみついていた八枯れは、愉快そうに笑いだした。
「目が輝いているぞ」
からかうようなその響きに、くちびるをとがらせた。どうせ子供さ、と鼻を鳴らして、八枯れの鬚を引っ張った。
「わしらのいたところも、宇宙の一部だぞ。何にそう心を躍らせるんだ?」
八重歯をのぞかせて笑った八枯れを横目に、眉根をよせた。
「人間ってのはね、そんな高尚なもんじゃないのさ」
「そういうものか」
「そういうものさ」
人間ってのは、あっちへ、こっちへ気持ちが動いて、星のように忙しない。そこに茫漠とした生死が、この闇のように迫ってきているのだ。まったく、どうしようもない。でも、どうしようもないことってのは、数えられないほどあって、どうにでもできることも、また数えられないほどある。だから、人は選択するし、されるし、不満だらけで、自分勝手なんだ。そうやって、点滅をくりかして、いつの間にか消えている。
「星から見たら、人の生死なんて、もっと小さくて早い点滅なんだろうな」
「人間は弱いからな。すぐ死ぬ」
愉快そうに笑った八枯れの鬚を引っ張って、苦笑した。
「化け物なんか見えないくせに」
そうして、しばらくぼんやりとしながら、闇と光を見上げていると、肩にしがみついていた八枯れが、面倒くさそうにあくびをもらした。
「もう、光の海は視認したんだ。わしらの仕事は済んだろう」
「楊貴妃を見つけなくていいのか?」
「貴様は阿呆か」尻尾をゆらしながら、鼻を鳴らした。「奴らは個体じゃない。見つけるも何もあるものか」
「でも、見つけなくちゃ座はできない」
「だからなんじゃ」
「星座には、名前がついてるってことさ」
「ふざけてるのか?」
「おかしいか?」
ふっと、落したように笑うと、八枯れは怪訝そうに、首をかしげた。暗闇のただ中で立ち止まり、しばらく黙りこんだ。そばをかけ抜ける、あらゆる流星のかがやきが、目にまぶしかった。青い閃光が頬をかすめ、はじけて消える。その一瞬、強く光り輝いた明るさに、八枯れの無表情が照らしだされていた。
「石一つに、情のようなものを求めるってのは、感傷的かな」
「知るか。そんなこと」
相変わらずの返答に、苦笑するしかなかった。
「霊魂の行方じゃないけど、あらゆるものには、それなりに無視できない歴史が、刻まれているような気がしないか」
「関係ないだろう」
「そんなこと言ったら、全部がそうなる」八枯れの黄色い双眸を見つめて、肩をすくめた。「関係してゆくことにしか、関係なんてものは無いじゃないか」
「屁理屈だな」
「ふふ、逆に言うと僕らは選んでいるようでいて、結局は選べないようにできているのかもしれないぜ」
「運命だとでも言う気か?」
「そんな曖昧なものじゃないよ」ただ、と一呼吸置いて、つぶやくように言った。「生まれる前から刻み込まれている、あらゆる情報だけは捨てることができないってことさ」
「意味がわからん」
「なつかしさ、の中にしか、僕らは僕らを見出すことができないってことさ。どれだけ、旅をしようともね」
不意に、明るくなってきた。昼間のような明るさに、目を細めた。白いかがやきの流れが、眼下に広がっていた。そこは、星屑のしきつめられた、一つの大地のようだった。おい、降りられるんじゃないか、と下を指して、八枯れをうながした。
「ようやく休める」八枯れは息をついて、ひらり、と肩から飛び降りる。足音もさせず、光の大地の上に降り立った。辺りの様子をうかがいながら、尻尾を振っている。鼻をひくひくさせて「問題なさそうだな」と、こちらを見上げて合図した。
空中を足でかきながら、下降する。案外、しっかりと立つことができたことに、安堵のため息を吐いた。靴越しに伝わってくる熱は、光のせいだろうか。かすかに脈動している、鉱物のかたまりは、たしかに生きているようだった。
その場で膝をつくと、石の表面に触れた。ざら、とした感触のあとに、すうっと、指先を冷やすほど熱を奪われた。あわてて、手を放して見ると、僕の熱を吸い取った部分だけが、かすかに赤くかがやいているようだった。
「熱に反応するのか」
そう小さくつぶやいて、立ち上がる。ポケットに手をつっこんで、歩きだした。首を回して見たが、白い大地は地平も見えず、どこまでも続いているようだった。上から見たら、白い光の流れのように見えたのに、降りたって見るとまるで、果てのない大地のようなのだから、やはりここは一秒ごとに世界が回る。動いている。
「赤也」
呼ばれて顔を上げると、どこまでも広がる白いかがやきの先で、一際大きく、力強くかがやく石が埋まっていた。その赤い石のかがやきを見据えて、かすかにうなずいた。きっとあれが、探し続けたものなのだろう。
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