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第018話:優雅なキャンプ
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「今日この時をもって、其方を王家から外す。今後、其方は平民だ。真純金級以上の冒険者となり、自らの力で名誉貴族の称号を得るまで、エストリアの名を名乗ることは許されん。誰も、其方を王族としても貴族としても扱わぬ。特別扱いはするなと、国内全てのギルドおよび各都市の知事、領主に通達する。良いな?」
「ハッ……この場を持って、私はエストリアの名を改め、レイラ・エスコフィエと名乗ります。父上、母上、今日まで育てて頂き、有難うございました。そして兄上とマルコ、どうか達者で……」
謁見の間で、レイラは家族と別れの挨拶をしていた。俺はレイラの横で跪礼している。やべぇ、足が痺れそうだ。チラと周囲を見ると、白薔薇騎士団長や宰相らしき人もいる。後はよく顔の見えない魔術師みたいな人もいた。一通りの挨拶が終わると、国王フリードリヒ四世が俺に声を掛けてきた。
「カトーよ。其方には迷惑かもしれぬが、レイラを頼む。これは其方らへの餞別だ」
レイラの眼の前に、薄汚れた革袋が、俺の眼の前にはパンパンに膨らんだ袋が置かれた。
「王国が持つ最上級の〈収納袋〉だ。かつて活躍した神鋼鉄級冒険者パーティー〈雷鳴〉が、迷宮深部より持ち帰ったものだ。相当な収容力を持っておる。餞別としてレイラに下賜しよう。またカトーは既に収納袋を持っていると聞いておる。そこで路銀として金貨一千枚を下賜する。相当に重たいが、収納袋があれば問題なかろう?」
「こりゃ助か……コホンッ、失礼しました。有り難く頂戴いたします」
全ての儀礼が終わり、俺たちは王宮の外門へと向かっていた。すると白薔薇騎士団長のエリシアが追いかけてきた。いや、脳筋二人はさすがに重すぎるぞ、と思って身構えていたが、どうやら別の用事らしい。
「私の知り合いが〈ドム〉にいます。些か偏屈ではありますが、魔法研究家としてその道では知られた者です。よろしければ、訪ねてみてください」
そう言って、紹介状を手渡してくれた。レイラとエリシアは抱き合い、別れを告げた。
「行ってしまったな…… それで、あの者の〈鑑定〉は出来たか?」
私室に戻った国王は、去りゆく愛娘を窓から見下ろしながら、背後の人物に問い掛けた。頭までフードで覆ったその人物は、微かに首を振った。
「残念ながら、全ては鑑定できませんでした。我が〈加護〉をもってしても見えないということは、少なくとも同等の力が、彼の者にあるということでしょう。〈単一加護〉ではありません。〈複数加護〉でしょう」
「王国への脅威はあるか?」
「オーラがグリーンでしたので、敵意は無いかと存じます。ですが正体不明である以上、注意は必要でしょう。レイラ様がお持ちの剣には、所在確認の呪符が組み込まれています。それとなく、目を光らせておいては如何でしょうか?」
「そうだな。あの男が敵にならぬなら、それで良し。万一の時は、密かに消す必要もあろう」
「心得ております」
それ以上は話すことはないと、王は手を振った。背後の気配がすぐに消えた。
王国内は治安が良いとはいえ、街から街への移動は出来るだけ集団で行われる。俺とレイラは、行商隊を中心とした東部への移動者たちに加わっていた。東部の迷宮都市〈ドム〉までは、およそ一ヶ月の旅程だ。直線距離ならもっと短くなるが、途中で村や街に立ち寄るためである。無論、その間の野営や食事は個々人で用意しなければならない。
「ユーヤ、今夜は何を食べるのだ?」
「……まぁいいか。今日はガーリックステーキ&ライスにしようかと思う。つまり肉だ」
「ライスとは、以前食べた穀物のことか? アレは美味かった!」
以前に食べた焼肉丼を思い出し、レイラは口端に涎を蓄えていた。まったくポンコツである。黙っていれば美人なのに……
やがて最初の野営場所に到着する。街道から少し外れた砂地であった。恐らく東西を行き来する者たちの野営場なのだろう。焚き火の跡も無数にある。俺たちは手頃な場所に立つと、テントを張り始めた。
「本当に一緒に寝るのか?」
「当然だ。むしろ別々に寝たら、相手の様子が判らずに危険ではないか。野営は最低でも、二人一組で同じ天幕に寝るのが普通なのだ」
収納袋から鉄製の棒を取り出して、地面に突き刺していく。水を反発させる鞣した獣皮を被せれば、天幕の完成だ。地面にも獣毛が柔らかな皮を敷く。羊毛の毛布も用意してある。あとはテントの前に木製の机と椅子を置いて、即席キャンプの完成だ。
「さて、飯を作るぞ」
「待ってました!」
瞳をキラキラさせながら、レイラが椅子に座る。いや、お前……まぁいいか。屋台を改造した「野外キッチン」を召喚する。二メートル程の幅に、鉄板、コンロ、作業台が横並びになっている。いきなり出現した屋台に、周囲が驚きの声を上げる。
「凄いな。それも収納していたのか?」
「まぁそうだな。王都で使っていた屋台を少し改造しているがな」
まずは仕込みである。ビッグカウの肩ロースを取り出す。周囲が完全に黒ずんでいる。レイラが眉をひそめる。
「……それは、腐っているのではないか?」
「熟成肉だ。色々と試してみたが、ビッグカウなら可能だと判った。大丈夫、今まで食っていた肉とは訳が違うぞ?」
神スキル〈アルティメット・キッチン〉で召喚した脱水シートやラップ、キッチンペーパーを使えば、家庭でも簡単に熟成肉が作れる。まず二キロほどの肩ロースブロック肉を脱水シートで包み、冷蔵する。脱水シートを毎日替えながら三日間、次にキッチンペーパーで肉を包み、ラップでしっかりと包んで二度~四度の冷室に保存する。一週間ごとに巻き替えること三週間、それで熟成肉の完成だ。黒ずんだ部分を切り落とすと、鮮やかなルビー色の肉が現れる。重量も、当初から半分ほどにまで減っている。脱水された分、肉が凝縮しているのだ。それを厚さ二センチのステーキ肉にカットし、胡椒を両面にしっかりと振る。塩は焼く直前だ。
一時間ほど置くので、その間に米を炊く。土鍋に四合の無洗米を入れて水を張り、蓋をして中火に掛ける。その間にスープも用意する。野外なので即席で使える「コンソメスープの素」を使う。市場で仕入れたキャベツ、人参、玉葱を刻み、トメートから作った酸味の強いトマトピューレと共にスープにする。牛肉とトマトは相性が良い。牛の脂がリコピンの吸収を良くするし、トマトの程よい酸味が唾液を分泌させ、食欲を増進させる。
肉に取り掛かる前に、ソースに付随する食材を用意する。今日はガーリックバター醤油ソースで食べるつもりだ。つまり「わさび」が必要にある。召喚したわさびの表面を剥き、鮫皮でおろす。おろしたての生わさびは香りも弱く、辛味も少ない。本わさびはおろしてから三十分後が食べ頃なのだ。
「まだか? まだなのか? 早く食べたいぞ」
「お前なぁ。片付けはお前も手伝えよ?」
いよいよ、肉に取り掛かる。フライパンに牛脂を落とし、スライスしたニンニクを入れる。焦がさないように注意するのがポイントだ。程よくニンニクが茶色になったら、それを一旦取り出し、残った〈ガーリックオイル〉で肉を焼く。両面に岩塩を振った厚切り熟成肉をフライパンに置くと、ジュゥゥゥッという音と共に肉とニンニクの香りが周囲に広がる。堅い黒パンや干し肉程度を食んでいる他の旅人たちが、唾を飲み込みながらコッチを注視している。いや、お前らにはやらんぞ?
中火のまま、表面を二分、裏面を二分焼き、取り出して手早くアルミホイルに包む。余熱で内部まで火を通しつつ、中心温度が七〇度を超えないことがポイントだ。それ以上になると、肉が硬くなる。余熱を通している間に、ソースを作る。フライパンの残り脂に無塩バターを落とし、醤油と茶色くなったガーリックを入れる。溶けたバターの甘い香りと醤油の芳ばしい香り、そこにニンニクが加わり、これだけで飯が食えそうな芳香が広がる。レイラがソワソワと足を動かしている。まったく……
「米が炊けたぞ、取りに来い!」
蒸らし終え、土鍋の蓋を取り手早く混ぜる。白い皿に飯を盛る。同時にステーキも用意する。手早くそぎ切りにすると、丁度よいレアの状態の切り口が現れる。皿に置いて上からガーリックバターソースをかけ、わさびを添える。最後にコンソメトマトスープを用意して完成だ。
デカンタに〈朝の紅茶 無糖〉を汲み、スライスしたレモンを入れる。陶器のマグカップには大きめのロックアイスを入れた。他人の目が気になる? 知るか! 王女を連れている時点で、俺はもう諦めた!
夕暮れ時である。風が涼しくなり、西の空が赤く焼け、東から蒼い空が立ち上がってくる。中央にランプが置かれたテーブルに、私はユートと向かい合って座った。とても野外とは思えない料理に、私の口内は涎で一杯だ。元王女といっても、私も騎士団を束ねていたのだ。王都近郊での野外キャンプは何度も経験している。たとえ粗末であっても、皆で料理して食べた味は忘れられない。
だがこの男の野外キャンプは、私の常識を遥かに超えていた。野外にも関わらず、テーブルと椅子を用意し、屋台を出現させ、磁器の皿に料理を盛っていく。眼の前の料理が野外で作られたなど、誰も信じないだろう。
「んん~ バターとニンニクの香りが素晴らしい。その中に嗅いだことのない香ばしい匂いがするぞ? だが良い香りだ。匂いだけで、間違いなく美味いというのが理解る」
「まぁ食べろ。頂きます」
「い、頂きます?」
男は料理の前に両手を合わせ、瞑目して呟き、それから細い棒のようなものを二本、手にした。「箸」というモノらしい。棒二本を器用に操り、まだ中が赤い肉を取ると口に入れた。
「ウンマッ!」
フォークを手にし、私も一切れ、口に入れる。肉とは思えないような、まるで木の実のような香りがし、そして凝縮された肉の味が一気に口に広がる。
「ふぉぉぉっ! これはっ!」
「美味いだろ? これが熟成肉の味だ。一度、この味を識ってしまったら、もう普通のビッグカウは食えないぞ? まぁアレはアレで、料理の仕方次第で美味いんだがな。あ、ワサビを付けるとまた美味いぞ。その緑のやつだ」
勧められるまま、ネットリとした緑色のモノを肉につける。付けすぎるに気をつけろと言われたので、ごく少量だ。それを口に運ぶと、肉の味と共にツーンと鼻に抜けるような辛味が加わった。
「んんっ! 辛いっ」
「ホースラディッシュでも良かったんだが、やはり醤油ソースにはコッチのほうが合うな。コメが進む!」
男は笑いながら箸で肉を摘み、ライスを掻き込んでいる。私は野菜が入ったスープを飲んだ。これも信じられない程に味が深い。奥深い味とトメートの酸味、野菜類の甘みが加わり、滋味深く優しい味になっている。ハッキリ言おう。王宮で食べていたどの料理よりも、今宵の食事のほうが美味い。この男に付いていけば、これから毎日、こうした料理が食べられるのだろうか。もしそうなら、私の生涯全てをこの男に捧げてしまっても良い。そう思えるほどに美味な料理だ。これも、この男の持つ「加護」によるものなのだろうか?
「なぁユート、お前の加護は……」
「悪いな。それはドムに到着してからだ」
チラと横目を向けたので、私も頷いた。周囲から激しい視線を感じる。当然だろう。行商人や旅人などは地べたに座り、せいぜいパンと干し肉、水程度の夕食なのだ。その中で私たちは優雅にテーブルに座り、煮出した茶を飲み、出来たての食事をしている。注目するなと言う方が無理であろう。
「なんだか、申し訳ない気持ちになってきたな。もっとも、肉一切れすら売るつもりはないが……」
苦笑しながらそう言うと、男の動きが止まった。見ると肉が載っていた皿が消えている。まだ半分くらいは残っていたはずだ。男は呆然としそして肩を震わせ、立ち上がって夜空に叫んだ。
「あの駄女神めぇぇぇっ!」
空耳だろうか。どこからか「むはぁぁっ」という声が聞こえたような気がした。
「ハッ……この場を持って、私はエストリアの名を改め、レイラ・エスコフィエと名乗ります。父上、母上、今日まで育てて頂き、有難うございました。そして兄上とマルコ、どうか達者で……」
謁見の間で、レイラは家族と別れの挨拶をしていた。俺はレイラの横で跪礼している。やべぇ、足が痺れそうだ。チラと周囲を見ると、白薔薇騎士団長や宰相らしき人もいる。後はよく顔の見えない魔術師みたいな人もいた。一通りの挨拶が終わると、国王フリードリヒ四世が俺に声を掛けてきた。
「カトーよ。其方には迷惑かもしれぬが、レイラを頼む。これは其方らへの餞別だ」
レイラの眼の前に、薄汚れた革袋が、俺の眼の前にはパンパンに膨らんだ袋が置かれた。
「王国が持つ最上級の〈収納袋〉だ。かつて活躍した神鋼鉄級冒険者パーティー〈雷鳴〉が、迷宮深部より持ち帰ったものだ。相当な収容力を持っておる。餞別としてレイラに下賜しよう。またカトーは既に収納袋を持っていると聞いておる。そこで路銀として金貨一千枚を下賜する。相当に重たいが、収納袋があれば問題なかろう?」
「こりゃ助か……コホンッ、失礼しました。有り難く頂戴いたします」
全ての儀礼が終わり、俺たちは王宮の外門へと向かっていた。すると白薔薇騎士団長のエリシアが追いかけてきた。いや、脳筋二人はさすがに重すぎるぞ、と思って身構えていたが、どうやら別の用事らしい。
「私の知り合いが〈ドム〉にいます。些か偏屈ではありますが、魔法研究家としてその道では知られた者です。よろしければ、訪ねてみてください」
そう言って、紹介状を手渡してくれた。レイラとエリシアは抱き合い、別れを告げた。
「行ってしまったな…… それで、あの者の〈鑑定〉は出来たか?」
私室に戻った国王は、去りゆく愛娘を窓から見下ろしながら、背後の人物に問い掛けた。頭までフードで覆ったその人物は、微かに首を振った。
「残念ながら、全ては鑑定できませんでした。我が〈加護〉をもってしても見えないということは、少なくとも同等の力が、彼の者にあるということでしょう。〈単一加護〉ではありません。〈複数加護〉でしょう」
「王国への脅威はあるか?」
「オーラがグリーンでしたので、敵意は無いかと存じます。ですが正体不明である以上、注意は必要でしょう。レイラ様がお持ちの剣には、所在確認の呪符が組み込まれています。それとなく、目を光らせておいては如何でしょうか?」
「そうだな。あの男が敵にならぬなら、それで良し。万一の時は、密かに消す必要もあろう」
「心得ております」
それ以上は話すことはないと、王は手を振った。背後の気配がすぐに消えた。
王国内は治安が良いとはいえ、街から街への移動は出来るだけ集団で行われる。俺とレイラは、行商隊を中心とした東部への移動者たちに加わっていた。東部の迷宮都市〈ドム〉までは、およそ一ヶ月の旅程だ。直線距離ならもっと短くなるが、途中で村や街に立ち寄るためである。無論、その間の野営や食事は個々人で用意しなければならない。
「ユーヤ、今夜は何を食べるのだ?」
「……まぁいいか。今日はガーリックステーキ&ライスにしようかと思う。つまり肉だ」
「ライスとは、以前食べた穀物のことか? アレは美味かった!」
以前に食べた焼肉丼を思い出し、レイラは口端に涎を蓄えていた。まったくポンコツである。黙っていれば美人なのに……
やがて最初の野営場所に到着する。街道から少し外れた砂地であった。恐らく東西を行き来する者たちの野営場なのだろう。焚き火の跡も無数にある。俺たちは手頃な場所に立つと、テントを張り始めた。
「本当に一緒に寝るのか?」
「当然だ。むしろ別々に寝たら、相手の様子が判らずに危険ではないか。野営は最低でも、二人一組で同じ天幕に寝るのが普通なのだ」
収納袋から鉄製の棒を取り出して、地面に突き刺していく。水を反発させる鞣した獣皮を被せれば、天幕の完成だ。地面にも獣毛が柔らかな皮を敷く。羊毛の毛布も用意してある。あとはテントの前に木製の机と椅子を置いて、即席キャンプの完成だ。
「さて、飯を作るぞ」
「待ってました!」
瞳をキラキラさせながら、レイラが椅子に座る。いや、お前……まぁいいか。屋台を改造した「野外キッチン」を召喚する。二メートル程の幅に、鉄板、コンロ、作業台が横並びになっている。いきなり出現した屋台に、周囲が驚きの声を上げる。
「凄いな。それも収納していたのか?」
「まぁそうだな。王都で使っていた屋台を少し改造しているがな」
まずは仕込みである。ビッグカウの肩ロースを取り出す。周囲が完全に黒ずんでいる。レイラが眉をひそめる。
「……それは、腐っているのではないか?」
「熟成肉だ。色々と試してみたが、ビッグカウなら可能だと判った。大丈夫、今まで食っていた肉とは訳が違うぞ?」
神スキル〈アルティメット・キッチン〉で召喚した脱水シートやラップ、キッチンペーパーを使えば、家庭でも簡単に熟成肉が作れる。まず二キロほどの肩ロースブロック肉を脱水シートで包み、冷蔵する。脱水シートを毎日替えながら三日間、次にキッチンペーパーで肉を包み、ラップでしっかりと包んで二度~四度の冷室に保存する。一週間ごとに巻き替えること三週間、それで熟成肉の完成だ。黒ずんだ部分を切り落とすと、鮮やかなルビー色の肉が現れる。重量も、当初から半分ほどにまで減っている。脱水された分、肉が凝縮しているのだ。それを厚さ二センチのステーキ肉にカットし、胡椒を両面にしっかりと振る。塩は焼く直前だ。
一時間ほど置くので、その間に米を炊く。土鍋に四合の無洗米を入れて水を張り、蓋をして中火に掛ける。その間にスープも用意する。野外なので即席で使える「コンソメスープの素」を使う。市場で仕入れたキャベツ、人参、玉葱を刻み、トメートから作った酸味の強いトマトピューレと共にスープにする。牛肉とトマトは相性が良い。牛の脂がリコピンの吸収を良くするし、トマトの程よい酸味が唾液を分泌させ、食欲を増進させる。
肉に取り掛かる前に、ソースに付随する食材を用意する。今日はガーリックバター醤油ソースで食べるつもりだ。つまり「わさび」が必要にある。召喚したわさびの表面を剥き、鮫皮でおろす。おろしたての生わさびは香りも弱く、辛味も少ない。本わさびはおろしてから三十分後が食べ頃なのだ。
「まだか? まだなのか? 早く食べたいぞ」
「お前なぁ。片付けはお前も手伝えよ?」
いよいよ、肉に取り掛かる。フライパンに牛脂を落とし、スライスしたニンニクを入れる。焦がさないように注意するのがポイントだ。程よくニンニクが茶色になったら、それを一旦取り出し、残った〈ガーリックオイル〉で肉を焼く。両面に岩塩を振った厚切り熟成肉をフライパンに置くと、ジュゥゥゥッという音と共に肉とニンニクの香りが周囲に広がる。堅い黒パンや干し肉程度を食んでいる他の旅人たちが、唾を飲み込みながらコッチを注視している。いや、お前らにはやらんぞ?
中火のまま、表面を二分、裏面を二分焼き、取り出して手早くアルミホイルに包む。余熱で内部まで火を通しつつ、中心温度が七〇度を超えないことがポイントだ。それ以上になると、肉が硬くなる。余熱を通している間に、ソースを作る。フライパンの残り脂に無塩バターを落とし、醤油と茶色くなったガーリックを入れる。溶けたバターの甘い香りと醤油の芳ばしい香り、そこにニンニクが加わり、これだけで飯が食えそうな芳香が広がる。レイラがソワソワと足を動かしている。まったく……
「米が炊けたぞ、取りに来い!」
蒸らし終え、土鍋の蓋を取り手早く混ぜる。白い皿に飯を盛る。同時にステーキも用意する。手早くそぎ切りにすると、丁度よいレアの状態の切り口が現れる。皿に置いて上からガーリックバターソースをかけ、わさびを添える。最後にコンソメトマトスープを用意して完成だ。
デカンタに〈朝の紅茶 無糖〉を汲み、スライスしたレモンを入れる。陶器のマグカップには大きめのロックアイスを入れた。他人の目が気になる? 知るか! 王女を連れている時点で、俺はもう諦めた!
夕暮れ時である。風が涼しくなり、西の空が赤く焼け、東から蒼い空が立ち上がってくる。中央にランプが置かれたテーブルに、私はユートと向かい合って座った。とても野外とは思えない料理に、私の口内は涎で一杯だ。元王女といっても、私も騎士団を束ねていたのだ。王都近郊での野外キャンプは何度も経験している。たとえ粗末であっても、皆で料理して食べた味は忘れられない。
だがこの男の野外キャンプは、私の常識を遥かに超えていた。野外にも関わらず、テーブルと椅子を用意し、屋台を出現させ、磁器の皿に料理を盛っていく。眼の前の料理が野外で作られたなど、誰も信じないだろう。
「んん~ バターとニンニクの香りが素晴らしい。その中に嗅いだことのない香ばしい匂いがするぞ? だが良い香りだ。匂いだけで、間違いなく美味いというのが理解る」
「まぁ食べろ。頂きます」
「い、頂きます?」
男は料理の前に両手を合わせ、瞑目して呟き、それから細い棒のようなものを二本、手にした。「箸」というモノらしい。棒二本を器用に操り、まだ中が赤い肉を取ると口に入れた。
「ウンマッ!」
フォークを手にし、私も一切れ、口に入れる。肉とは思えないような、まるで木の実のような香りがし、そして凝縮された肉の味が一気に口に広がる。
「ふぉぉぉっ! これはっ!」
「美味いだろ? これが熟成肉の味だ。一度、この味を識ってしまったら、もう普通のビッグカウは食えないぞ? まぁアレはアレで、料理の仕方次第で美味いんだがな。あ、ワサビを付けるとまた美味いぞ。その緑のやつだ」
勧められるまま、ネットリとした緑色のモノを肉につける。付けすぎるに気をつけろと言われたので、ごく少量だ。それを口に運ぶと、肉の味と共にツーンと鼻に抜けるような辛味が加わった。
「んんっ! 辛いっ」
「ホースラディッシュでも良かったんだが、やはり醤油ソースにはコッチのほうが合うな。コメが進む!」
男は笑いながら箸で肉を摘み、ライスを掻き込んでいる。私は野菜が入ったスープを飲んだ。これも信じられない程に味が深い。奥深い味とトメートの酸味、野菜類の甘みが加わり、滋味深く優しい味になっている。ハッキリ言おう。王宮で食べていたどの料理よりも、今宵の食事のほうが美味い。この男に付いていけば、これから毎日、こうした料理が食べられるのだろうか。もしそうなら、私の生涯全てをこの男に捧げてしまっても良い。そう思えるほどに美味な料理だ。これも、この男の持つ「加護」によるものなのだろうか?
「なぁユート、お前の加護は……」
「悪いな。それはドムに到着してからだ」
チラと横目を向けたので、私も頷いた。周囲から激しい視線を感じる。当然だろう。行商人や旅人などは地べたに座り、せいぜいパンと干し肉、水程度の夕食なのだ。その中で私たちは優雅にテーブルに座り、煮出した茶を飲み、出来たての食事をしている。注目するなと言う方が無理であろう。
「なんだか、申し訳ない気持ちになってきたな。もっとも、肉一切れすら売るつもりはないが……」
苦笑しながらそう言うと、男の動きが止まった。見ると肉が載っていた皿が消えている。まだ半分くらいは残っていたはずだ。男は呆然としそして肩を震わせ、立ち上がって夜空に叫んだ。
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