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第三章「三河一向一揆」

第十二話「上和田」

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永禄七年正月 三河国 上和田砦

一揆の勃発から数ヶ月、家康公の家臣団と一揆側との争いは一進一退の攻防を繰り広げておりました。そうした中、我ら一揆側はこの状況を一変すべく、当時大久保一党が拠っておりましたこの上和田砦に門徒を集結させ、一同に攻め寄せました。

「七郎右殿も、もうそろそろええじゃろう?治右衛門はさっさと逃げ帰ったぞ」
拙者が槍を向ける先、そこには片膝をつき左目から血を流した髭面の武者がおりました。その武者は息を切らしながらもこちらを見据えて啖呵(たんか)を切る。
「うるさいわ!たとえ儂一人になろうとも、お主ら一向宗どもにそう簡単に降伏などするものか!」
拙者は、七郎右殿のあまりの威勢の良さに笑みを浮かべる。
この方は、大久保七郎右衛門忠世殿。拙者よりも十年上で、先代広忠様の頃から仕えており今川軍の先鋒として織田方の蟹江城を攻めた際には、その武勇から『蟹江の七本槍』の一人にも数えられた大久保一族を代表する人物と言っても過言ではございません。そんな七郎右殿に対し拙者は再度降伏を投げ掛ける。
「確かに大久保勢は頑張ってはおりまするが、数の上ではこちらが圧倒的に優位。潔く砦を明け渡しても殿も文句は言いませなんだ」
拙者が説得するも七郎右殿はまったくこちらの話に耳を傾けない。
「ふん、何を言われようとも儂は最後まで戦い、この砦と共に討ち果てる所存!」
その言葉に拙者は思わず溜め息をつく。
大久保の人間はどうしてこうも頑固かね・・・しかし、どうしても死にたいと言うのであらば・・・。
拙者はゆっくりと口を開く。
「左様でございますか。ならば、仕方無し」
拙者は七郎右殿に止めを刺すべく槍を持った手に力を入れるが、その直後、突如拙者の背筋が寒くなる。
すぐさま拙者は悪寒の出所を探るべく辺りを見渡す。
周囲では、大久保一党と門徒とが激しい戦いを繰り広げておりました。
そんな中、こちらに向かってゆっくりと歩を進める武者が一人。
門徒の一人が平然と歩くその武者に斬り掛かろうとするも、門徒はその武者が誰なのか気がつくと恐れをなして逃げ帰って行く。
大きな長槍を持ち、兜に鹿角の脇立をつけたこの男。数年前とは見間違うほどの雰囲気を醸し出しておりました。門徒が恐れをなして逃げて行くのもようわかりまする。どんと構えこちらを見据えるその姿は、まさに武神とでも言ったところでございましょうか。数年前の初首級で自信がついたのか、それとも生まれ持った才能がようやく開花したのか・・・。
此度の戦でこやつは、門徒たちからこう呼ばれて恐れられておりました。
「蜻蛉切(とんぼきり)の平八郎」
拙者は呟く。
蜻蛉切とは、平八郎の持っておる槍のことで穂先に止まろうとした蜻蛉が真っ二つに切れたことからこの名前がつきました。
平八郎の思わぬ登場に拙者は苦笑いを浮かべる。
「お主がここにおるっちゅうことは、岡崎城からの援軍が来たってわけか」
・・・こりゃ~もうちっと戦が長引くな。
心の中では焦りを感じつつも拙者は平然とした表情で平八郎に声をかける。
「それにしても、ええ顔つきになったな平八郎」
平八郎は無表情のまま何も答えない。
人が褒めてやっとるのに、相変わらずじゃの~こいつは。
拙者は渋い顔をしつつも言葉をつなげる。
「しかし殿のためとはいえ、わざわざ浄土真宗から浄土宗に改宗したのはいけ好かねえな」
一向一揆勃発の折、一向宗であった家康公の家臣の中には、一向宗を取るか家康公を取るか迷った末に、一向宗から改宗して家康公についた者が何人かおりました。この本多平八郎忠勝も、その一人でございまする。
平八郎は重たい口をゆっくりと開ける。
「拙者が仕えておるのは、仏ではなく我が主君でござる」
その言葉に拙者は笑みを浮かべる。
「ええ答えじゃ平八郎。お主、ええ侍になったな・・・しかし」
拙者は笑みを止め真剣な表情に戻る。
「ええ侍ほどすぐに死ぬ・・・主君のため御家のためにと死に急ぐ」
拙者の言葉に平八郎は、むっとした表情で言い返す。
「主君のため御家のために死する者こそ真の侍なり」
そんな平八郎の意外な反応に拙者は驚く。
あまり感情を表に出さんこやつが珍しいな・・・。
そこで拙者はあることを思い出す。
そういや、こやつの祖父と父親は主君の身代わりに討ち死にしとるんじゃったか・・・しかし、だからと言って儂の考えが変わる訳ではない。
拙者は自分の思いのままを述べる。
「死に急ぐ奴は好かんな。主君のため御家のためを思うのならば、死ぬのではなく生きるべきじゃろう」
拙者の言葉に平八郎は何も答えない。
その代わりに、二人のやり取りを聞いておった七郎右殿が口を開く。
「なるほど。それが八幡の合戦でのお主の活躍につながるのか」
「・・・八幡の合戦?」
平八郎が聞き返す。
「ああ、儂も話に聞いただけなので事実かどうかはわからんが、こやつの・・・渡辺半蔵の八幡の合戦での偉業を」
七郎右殿の言葉に、拙者は苦笑いを浮かべながら首を傾げる。
「偉業?愚行でござるよ」
七郎右殿は聞こえていないのか、それともあえて無視したのか話を続ける。
「八幡の合戦とは、二年前に起こった今川の将、板倉弾正(だんじょう)との戦のことじゃ。先陣は酒井左衛門尉殿の軍勢であったが、総崩れとなってしまい二手に分かれて撤退することと相成った。二手に分かれた一方では多数の死傷者が、しかし、もう一方では死傷者はほとんど出んかったと言う・・・なぜならば、殿軍(しんがり)を務めた者が奮戦し、さらには負傷した味方まで担いで帰って来たとの事。殿をはじめ世人は、その殿軍を務めた者を賞してこう呼んだ・・・『槍の半蔵』」
七郎右殿の話を聞いた平八郎は淡々とした表情で呟く。
「・・・意外と仲間思いなのだな」
その言葉に、拙者は再び苦笑いを浮かべる。
「どうしても生きたいっちゅー阿呆な仲間がおったでな」
拙者は、その者の事を思い浮かべる・・・矢田作十郎助吉。極楽浄土を作るため、是が非でも生きたいと願ったその武者は一向宗徒たちのために立ち上がるも、昨年冬の小豆坂での戦いで呆気なく討ち死を遂げてしまいもうした。
せっかく助けてやったのに・・・ど阿呆が。
彼に対して思う事はまだまだあるのだが、死んだ者に対してあれこれ言っても仕方がない、それに今はそんな時ではない。
拙者は気を取り直し平八郎に向け構え直す。
「ま、しかし、自ら死にに行くような人間よりはましじゃな。平八郎、お主がそんなに主君の為に死にたいと言うのならば止めはせん。むしろ、そんな阿呆には・・・協力してやるわ!」
そう言って拙者は、きりっと表情を変え平八郎に飛び掛かる。
平八郎は拙者の攻撃を避けると同時に、すかさず横から斬撃を繰り出す。
拙者は、その攻撃を受け止めるが・・・。
くっ、こんの馬鹿力が!
拙者は耐えきれずに平八郎の攻撃を受け流す。
その直後、拙者は背後から殺気を感じる。
「んっ!?」
拙者が慌てて振り返ると、そこには先ほどまで膝をついておった七郎右殿が太刀をかざしてこちらに斬り掛かって来ていた。
まだそんな余力が残っとったか!
拙者は、七郎右殿の攻撃を一度受け止めてから弾き返す。
「はぁ、はぁ」
拙者は息を整えつつ、七郎右殿には目で平八郎には槍を向け牽制する。
「手負いの将と、槍を持った鹿が一匹・・・上等じゃ!」
拙者は、まず迫り来る平八郎の攻撃を体を捌きながら避け、続いて七郎右殿の攻撃を下から槍で払い上げる。
その後も拙者は足を使い二人の攻撃を巧みに避けながら隙を窺うが、一向にその瞬間は訪れない。逆に、こちらの体力が消耗しはじめる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
さすが『蜻蛉切の平八郎』に『蟹江の七本槍』と言ったところか・・・。
拙者がそんなことを思い、立ち止まったその瞬間を二人は見逃さなかった。
二人は息を合わせたかのように同時にこちらに向かって迫ってくる。
拙者は左手の槍で七郎右殿の攻撃を、右手で太刀を抜いて平八郎の攻撃を受け止める・・・しかし。
くっ!
両手でも抑えられんかった平八郎の馬鹿力を片手で抑えられる訳がない。
拙者は堪らず膝をつく。
さすがに無茶しすぎたか。
後悔の念が頭を過った、その瞬間・・・。
「うおおおおおぉぉぉ!」
突如、大槍を持った大男が大声を上げながら平八郎と七郎右殿に向かい襲い掛かる。二人は突然の出来事に驚きつつも間一髪その攻撃を避けると、こちらとの間合いを計る。
拙者は立ち上がりながらゆっくりと太刀を納め、乱入して来たその大男の方を見向きもせず、敵対する二人を見据えたままぽつり呟く。
「遅えよ、来るのが」
「助けてもらっておいてよう言うわ」
大男が答える。
拙者の倍くらいはあろう身長に、これまた自分の背丈よりも大きい白い樫の槍を持つこの男・・・蜂屋半之丞(はんのじょう)貞次。
拙者は、心強い援軍の登場に思わず笑みを浮かべる。
「・・・二対二。さ~て、これで振り出しに戻ったかの」
そして、四人は間合いを取りながらじっと睨み合う。
誰が仕掛けてくるのか、皆お互いの様子を窺っている。気がつけば拙者たち四人だけでなく周囲の者たちも刃を止め、互いにじっと睨み合っておりました。
一触即発。そんな緊迫した状況を一人の武者が打ち破る。
「おい半蔵、殿に歯向かうなど馬鹿な真似はよさんか」
拙者はこの状況で自分の名前が呼ばれたことに驚きつつも、その声の主の方に目を向ける。そこには、髭を生やした細身の武者がこちらに太刀を向けて立っておりました・・・平岩七之助親吉。七之助は再度拙者に話しかける。
「半蔵。儂はな、お主とは戦いとうはないんじゃ」
その言葉に拙者は、ぶっきらぼうに答える。
「ほだら、さっさと刀納めて帰りん」
拙者の答えに七之助は渋い表情をするも説得を続ける。
「なあ半蔵、たとえ一向宗であろうとも儂ら殿にお仕えする同じ仲間ではないか。仲間同士が戦い合うなんておかしいとは思わんかや?」
そう言ってまじまじとこちらを見詰める七之助に拙者は少々うんざりする。
「甘いの~考えが。仲間だろうが、家族だろうが、敵として戦場で出会えば命を賭けて戦うのみ。そんな甘い考えではすぐに命を落とすぞ」
拙者の答えにため息をつく七之助。
「・・・どうしても戦うというのか?」
七之助の問いに拙者はさも当然といった表情で答える。
「侍たる者、戦場で戦わんでどうする?」
七之助は、ただただこちらを見据える。
「・・・お主の気持ちようわかった」
そして、周囲は再び緊迫した状況に逆戻りする。お互いがお互いの出方を窺う。誰が向かってきてもおかしくない状況だ。拙者は意識を研ぎ澄ませる。視野を広げ、できるだけ多くの人間を視界に入れて攻撃の予兆を探る。

拙者の視界の端、一人の武者がこちらをじっと見据えている。
・・・来るか。
そう思った瞬間、その武者は大声を上げながら槍を突き出し突進してきた。
「中根喜蔵利重、参るっ!」
その武者の攻撃をきっかけに周囲でも戦闘が開始された。
拙者は中根殿の攻撃を避けると同時に、槍の柄で背中を叩いて押し飛ばす。
前のめりになるもかろうじて体勢を立て直す中根殿。
その後、拙者は槍を振り回し中根殿の槍を弾き飛ばすが、中根殿はまったく怯む事無く、今度は太刀を抜いて拙者に斬り掛かる。
上等!
二、三度刃を合わせた後、お互いに間合いをあけて相対する。
拙者は中根殿に槍を向けつつも、不意打ちを食らわぬよう周囲にも目を向ける。
その時、拙者の視界に一人の武者が倒れ込むのが見えた。
拙者は一瞬そちらに視線を移す。
・・・七之助。
七之助が耳を抑えながら倒れ込んでおると、そこへ門徒の一人が太刀を携えて七之助に迫ってきていた。
助けるべきか否か・・・。
そんな考えが頭を過ったその瞬間、長刀を持った一騎の騎馬武者が両者の間に割って入った。
「止めんか!」
その声に、その場におる者たち全員の動きが止まる。
皆、その声の主が誰なのかよう知っておりました。
「殿!」
平八郎が叫ぶ。
・・・松平家康。
拙者は冷や汗をかく。
まさか家康公自らご出陣なさるとは、こりゃ~ちとやばいな・・・。
拙者の悪い予感は的中する。門徒、特に家康公の家臣だった者たちが殿のお姿を見るや否や一目散に逃げ始める。
その中には半之丞の姿もございました。拙者は堪らず声をかける。
「おい、半の字!」
拙者の声に半之丞は振り返る。
「おい半蔵、お主も逃げろ。儂は殿とは戦わん」
半之丞の言葉を聞くも、拙者は苦い顔をしてその場を動こうとはしない。
その行為に半之丞は苛立つ。
「くっ、勝手にせえ!」
そう言うと、半之丞はこちらに背を向け槍を担いでそそくさと退散する。
そして、数名の武者が半之丞を逃がすまいとその後を追って行く。
あやつのことだ、きっと大丈夫じゃろう・・・それはさておき。
拙者は周囲を見渡す。
半分とは言わないまでも結構いなくなったな。しかし、まだこちらの方が優勢。ここは一気に総大将を叩いて終わらせちまうか。
拙者は、にやりと笑い家康公を見詰める。そんな拙者の表情を読み取ったのか、数名の武者が家康公と拙者の間に割って入る。
・・・そりゃ~そう簡単にはいかんわな。
拙者がどう攻めるか考えあぐねておると、一発の銃声が辺りに響き渡った。
「・・・殿!」
その声に一同、家康公に目を向ける。
家康公は苦悶の表情を見せながら自分の胸元を見詰めておりました。
鎧の胸元には弾痕が残ってはおりますが、どうやら貫通はしていないご様子。
家康公の周囲におる武者たちがざわつく。
流れ弾に当たったか。よっしゃ、この隙に・・・。
そう思い拙者が前に進もうとした瞬間、隣におった門徒が槍を下ろして家康公に向かいゆっくりと歩いて行く。
「おい、長吉(ちょうきち)?」
不審に思った拙者が、その者の名前を呼ぶも歩みは止まらない。そして、長吉は家康公と門徒側のちょうど真ん中で立ち止まるとゆっくりと口を開く。
「拙者、土屋長吉重治。只今宗門に味方致しておりまするが、今まさに主君の危機に相対して、それを助けないのは不本意というもの。もし、この事で無間地獄に堕ちるのならば・・・それも厭(いと)わず!」
そう言うと長吉は、振り返って味方の門徒衆に向かい攻撃を始める。
何!?
その行為に拙者をはじめ門徒側は動揺する。
逃げるのならまだしも、相手側につ・・・。
「ぐっ!」
拙者は痛みのあまり堪らず膝をつく。
拙者の左肩に槍が突き刺さった。
くっそ、長吉に気を取られておった・・・。
槍の主は拙者からゆっくりと槍を引き抜く。面頬(めんぽう)をつけていて顔が見えませなんだが、身に着けておる甲冑には見覚えがありもうした。
・・・鵜殿(うどの)十郎三郎長祐。
十郎三郎殿は、拙者に止めを刺すべく槍を大きく振り上げる。
しかし、その瞬間再び銃声が辺りに響き渡る。
「ぐっ!」
全員の視線が声の主の方に集まる。
視線の先には、鎧の弾痕が一つから二つに増えた家康公のお姿がありました。その光景に一同唖然とする。
先ほどといい今回といい、偶然にも流れ弾が二発も続けて当たるのだろうか?偶然でないとするならば、誰かが故意に家康公を狙って・・・。
そう考えた瞬間、突然拙者の視界が真っ赤に染まる。驚く暇もなく、今度は目の前に立っておった十郎三郎殿がこちらの方へと倒れ込んできた。
急な出来事に拙者は十郎三郎殿を抱きかかえる。

十郎三郎殿の背中、そこには一本の槍が突き刺さっていた。
拙者が現状を理解できずに困惑しておると、そこへ槍の主が十郎三郎殿に突き刺さった槍を勢いよく抜き取った。
髭を生やした中年の武者、左手には火縄銃を担いでいる。
まさか、先ほどの銃撃は・・・。
そして、その中年の武者は家康公の方に向き直る。
「いやはや御大将自ら御出陣とは、こちらも探す手間が省けますな」
不敵な笑みを浮かべる中年の武者の甲冑には、至る所に三ツ星一文字の家紋が施(ほどこ)されておりました。
そして、七郎右殿がその者の名を呟く。
「・・・渡辺、源五左衛門」
そう、この者こそ今回の一揆で我ら渡辺の一党を率いる長にして拙者の父親、渡辺源五左衛門高綱でございまする。
父、源五左衛門は辺りを見渡す。
「こりゃまた、家康公の御登場でだいぶ逃げ帰ったな・・・」
「お主は逃げんのか?」
平八郎の呟きに、源五左衛門は笑みを浮かべながら答える。
「そりゃ~家康公と戦わんのだったら、最初からこっち側にはおらんわな」
そして源五左衛門は槍を脇に挟み、空いた手で腰元にある胴乱から早合(はやごう)を取り出し火縄銃の巣口に入れる。
その行動に周囲の武者たちの顔色が変わる。
親父、もう一発撃つ気か・・・。
周囲の武者たちは、これ以上撃たせまいと源五左衛門に詰め寄るも・・・。
「儂の邪魔立てをすれば無間地獄に堕ちるぞ」
その言葉に周囲の武者たちはたじろぐ。
そして、源五左衛門は台木で軽く地面を叩いた後、火縄を挟み火蓋を切る。
準備万端、後は引き金を引くだけ。源五左衛門は家康公に向け銃を構える。
・・・しかし、その前に一人の武者が立ち塞がる。
本多平八郎忠勝。
「どけ、儂には仏がついておる」
しかし、平八郎は巣口をじっと見据え微動だにしない。
「主君のために死してこそ真の侍なり」
平八郎の言葉に、源五左衛門はにやりと笑う。
「すまんな。儂が仕えておるのは主君ではなく、仏だ」
そう言うと源五左衛門は、右手の槍で平八郎の膝を狙い薙ぎ払う。膝を狙った攻撃は臑当(すねあて)に当たり切れはしなかったが平八郎の体勢を崩すには十分だった。源五左衛門は、すかさず平八郎の胴に蹴りを入れる。
「ぐっ!」
平八郎が膝をつくと同時に、源五左衛門は再び家康公に向け銃を構える。
しかし、平八郎も撃たせまいと何とか下から槍をすくい上げる。
槍と火縄銃が当たるか当たらないかの寸前で火縄銃が火を吹いた。
勢い良く上空に飛んで行く火縄銃。
皆が銃弾の行方を追う・・・銃弾は間一髪、家康公の脇をかすめる。
「ちっ」
源五左衛門は舌打ちをするも、そこで諦めることなく今度は槍を逆手に持ち替え、家康公に向かって槍を投げ飛ばそうとしたその瞬間、源五左衛門の体に数本の矢が突き刺さる。
「親父!」
拙者の声が辺りに響く。
源五左衛門はしばし平然と立っておりましたが、その後口から血を流して膝をつく。拙者は堪らず父の元に駆け寄り肩を抱く。そして、矢が飛んで来た方向に目を向ける。
一度に数本の矢を放ち、しかもすべて命中させられる強者などそうはいない。
拙者の視線の先、そこには弓を携え古風な甲冑を身につけた一人の騎馬武者の姿がありました。
拙者の想像通りの人物・・・内藤甚一郎正成、松平家随一の弓の使い手。
「殿に仇なす者、何人たりとも許すまじ」
甚一郎殿はそう言うと、こちらに向かい近づいてくる。
「源五左衛門殿、何故そうまで殿に楯突く?」
その問いに源五左衛門は、苦悶の表情を浮かべながらも馬上の甚一郎殿をじっと見据え答える。
「ふ、知れた事。主君の恩は現世限り、仏の恩は未来永劫なり」
「なるほど。ならば、その未来に思いを馳せ現世に別れを告げるがよかろう」
甚一郎殿は、空穂(うつぼ)から矢を取り出し源五左衛門に向け弓を構える。
しかし、両者の間に拙者が割って入る。
「・・・父の身代わりとなるか?」
拙者は黙ったまま甚一郎殿をじっと見据える。
「美談ではあるが思慮に欠けるな。この状況、お主が身代わりになったとて、その後父親が助かる訳もあるまい」
甚一郎殿は大きく弓の弦を引く。
「親子共々、あの世で仲睦まじく暮らすが良い」
甚一郎殿が弓を射ようとしたその瞬間、意外なところから声が発せられた。
「甚一郎殿」
名前を呼ばれた甚一郎殿は振り返る。
「・・・殿」
そこには、二発の銃弾を受けながらも凛としたお姿の家康公がおられました。
「何故止めまする?」
家康公は甚一郎殿からこちらに目を移し答える。
「窮鼠(きゅうそ)、猫を噛むこともある。それに、この者たちとて我が家臣。できることなら戦いたくはない」
「しかし・・・」
甚一郎殿が反論しようとするも家康公はそれを遮る。
「すでに雌雄は決しておる。これ以上、無駄に死人を増やす必要もあるまい」
その言葉に甚一郎殿はゆっくりと弓を下ろす。
そして、家康公は甚一郎殿の前に出ると拙者に一言こう告げる。
「・・・半蔵、こちらに戻ってはこんか?」
拙者は何も答えず家康公をじっと見据えたまま、手負いの父を右肩に担ぎ一歩二歩と後退りする。それに対し平八郎が追撃するべく一歩前に進むが、その行動を家康公が制止する。
「殿・・・」
「よい、放っておけ」
拙者は家康公から五、六間ほど離れると急いで振り返り一目散に駆け出した。傷と疲労で全力とまではいきませなんだが拙者は父を担ぎ精一杯走りもうした。肩に担いだ父が重くのしかかる。
しかし、見捨てて行く訳にはいくまい。なおも拙者は走り続ける。
「はぁ、はぁ、はぁ」
どれくらい走ったであろうか・・・拙者の体力も限界に近づいてくる。
そこで拙者は後ろを振り返る。
どうやら追って来てはいないようだ。安全を確認し拙者は速度を緩める。
「おい親父、大丈夫か?」
父はぐったりとした様子ではありましたが何とか意識だけは保っておりました。
「・・・守綱」
「ん?」
父の呼びかけに対し、拙者は足を止める事なく目だけそちらへと向ける。
「お前は、人を殺したいと思うか?」
急な質問に拙者は戸惑う。
「何じゃいきなり?」
「いいから答えろ」
答えろと言われてもな・・・。
拙者は渋々と口を開く。
「戦は好きじゃが・・・しかし、できることなら殺しとうはない」
「・・・甘いの~お前は」
父はため息まじりにそう言うが、すぐに真面目な口調に変わる。
「だが、お前はそう思いつつも戦場で人を殺(あや)める」
父の言葉に拙者はたじろぐ。
「それは・・・戦場とは、そのような場所じゃから」
「・・・そういうことじゃ」
微笑を浮かべる父に対し拙者は首を傾げる。拙者には、どういうことなのかさっぱりわかりませなんだ。
「殺したいから殺すのではない。殺さざるをえんから殺すのじゃ。それが仏の力、仏の縁というものじゃ」
「仏の、縁・・・」
復唱する拙者に対し父はさらに語りかける。
「お前がいくら人を殺したくないと思っていても人を殺さざるをえない・・・なぜか、それが戦国の世に生まれた我らの縁だからじゃ。おもしろいものじゃ。そういった自分の力ではどうすることもできん縁、それが仏の力なのじゃ」
そして父は拙者を横目で見る。
「お前は八幡の戦いで仲間を助け、そして賞賛された。しかし、自惚れるな。奢(おご)るな、誇るな。お前がすごいわけではない。仏の縁がお前にそうさせたのだ」
そう言うと、父は苦しそうに咳き込みながら口から血を吐き出す。その光景に拙者は動揺する。
「わかった。わかったからもう喋らんでええ」
父は口から血を流しながらも拙者に語り続ける。
「仏の力、仏の縁、それを知っておるか否か。それが、重要だ」
そして、父はゆっくりと目を瞑(つぶ)る。
「おい、親父!」
拙者は慌てて大声を上げる。
「・・・うるさいわ。大丈夫じゃからさっさと進め」
父の呟きに拙者は顔を顰(しか)める。
・・・このくそ親父が。
そんなことを思いつつも、拙者は急ぎ一向宗の拠点へと足を進めました。
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