鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔

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第十二章「本能寺の変(裏)」

第六十一話「安土」

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天正十年五月十七日戌の刻 近江国 安土城

この年の三月、織田信長殿は長年の宿敵であった武田家を滅ぼしました。また、各地の反信長勢力も徐々に鎮圧され、一時の安寧が訪れたのでありました。
そこで信長殿は、この機に家康公を歓待しようと我ら徳川勢を安土城へと招待したのであります。それに応じた家康公は三十名弱の手勢を引き連れ、信長殿の居城・安土城へと参りました。
安土での我らへの持て成しは殊の外素晴らしく、幸若舞や猿楽などの催しを行い、また信長殿が自ら配膳し菓子を作るなど至れり尽くせりでございました。
安土城に滞在し数日。この日の饗応も終わり、拙者は服部半蔵と二人で自分の寝屋に帰るべく歩いていると、隣を行く服部が急に声をかける。
「お主、此度の遊覧どう思う?」
「ん?何がじゃ?」
ほろ酔い気分の拙者がそう返すと、服部は落ち着いた口調でさらに質問する。
「少数で織田領を廻るなど危険だと思わんか?」
その問いに拙者は何も考えず即答する。
「大丈夫であろう。徳川と織田は同盟関係にあるのだぞ」
拙者の言葉を受け、服部は溜め息混じりに答える。
「お主は気楽じゃのう」
拙者は酒のせいもあり笑顔で服部の肩を叩く。
「何じゃ、この遊覧中に織田が我らを襲うとでも言いたいんか?安心せい、お主も連日のあの饗応を見ておるであろう」
「だがな・・・」
不安な表情を浮かべる服部に対し拙者は悠悠と答える。
「お主は心配し過ぎなのだ。それに先月、信長殿とて今の我ら同様、少数で我が徳川領を廻っておったではないか」
先月、織田信長殿は甲斐国にて武田攻めの論功行賞を終えると、富士山見物と称し少数で諏訪を発し徳川領の駿河・遠江を経て安土城へと帰って行ったのでありました。
「我らは襲う気がなくとも、向こうはわからんぞ」
「考え過ぎじゃ。慣れない土地で疲れているのではないか。今日はゆっくり寝りん」
拙者の言葉に服部は少し考え静かに頷く。
「・・・そうかもしれんな。今日は、ゆっくり休むとしよう」
その後、我らはお互い自分の寝屋に向かうべく別れました。
そして、一人になった拙者はふと考える。
・・・同盟関係にある織田が徳川を襲う、か。
拙者が空を見上げると、そこには綺麗な月が夜空を照らしておりました。
つい先ほどまで話をしていたせいか、それほど眠気はない。
眠くなるまで、しばし月見とでも洒落込むか。
拙者は、そう思うと庭へ出る。
織田と徳川。同盟を結び約二十年、思い出せば色々なことがあった。姉川や長篠での共闘。どちらもお互いの力がなければ勝てなかった戦であろう。しかし、いい事ばかりでもない。水野信元殿や信康様の件もある。徳川内部でも織田に敵意を持っておる者も少なくはない。この同盟関係はこれからも続くのであろうか、それとも・・・。
そのような事を考えているうちに、自然と時間が過ぎて行く。
「・・・へっくしゅい!」
拙者は堪らずくしゃみをする。
月も大分傾いてきたな。風邪をひく前に戻るとするか。
拙者は庭先から出ようとすると、まだ明かりのついている部屋を見つける。
ん、まだ起きとるもんがいるのか。
拙者は気になってその部屋に近づいて行くと、聞き覚えのある声を耳にする。
この声は・・・左衛門殿?
誰かと話をしているのだが、何を話しているのかまではわからない。
こんな夜更けに誰と話をしているんじゃ。
拙者がさらに近づこうとすると次の瞬間、突如その部屋の戸が開かれる。

拙者は驚いて思わず草陰に隠れる。
おっと、体が勝手に動いちまったわ。
隠れる必要はないと思いながらも、拙者は草陰から部屋の方を盗み見る。
最初に出て来たのは酒井左衛門殿、それに続き家康公も姿を現す。
殿と二人で密会か?二人で何を企んで・・・。
そう思った矢先、部屋の中から意外な人物が現れる。
あれは・・・明智光秀殿?
明智殿は、この日まで徳川の接待役を務めておりましたが、信長殿によりその任を解かれ、居城の坂本城に戻る事となっておりました。
明智殿が何故ここに?
そして、明智殿の奥からさらにもう一人現れました。
・・・長岡藤孝殿?
長岡藤孝殿は織田信長殿の家臣で武芸はもちろんの事、和歌や茶道なども嗜み、一子相伝の古今伝授も受け当代随一の教養人と呼ばれた方でございまする。明智光秀殿とは、互いの子どもを結婚させるなど親しい間柄にございます。
殿に左衛門殿。そして、明智殿に長岡殿・・・。
思いがけない人物たちに拙者が困惑する中、四名は別れの挨拶をすますと、それぞれ別の方向へと帰って行く。
一体何を話しておったのだ?
拙者は草陰に隠れながらしばし思案する。
拙者が聞こえたのは、ほんの二言だけ。
『本能寺』
『織田信長』
この言葉は何を意味するのであろうか。
拙者は戦の前のような胸騒ぎを感じました。
何かが動こうとしている・・・。
夜中の冷たい風が拙者の体を包み込む。

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