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第十三章「小牧・長久手の戦い」
第七十三話「理由」
しおりを挟む拙者は馬を走らせる。
当てがある訳ではない。伯耆殿がどこに行ったのかは誰もわからない。他の者たちも当ても無く方々へ散って探している。拙者も、とりあえず矢作川沿いを北に向かって馬で駆ける。
もし、伯耆殿を見つけた所で拙者は引き留める事ができるのだろうか。何故出奔したのかもわからない・・・わからない事だらけじゃな。
そこまで考えると、拙者は馬を止める。
しばし休むか。
拙者は馬を下り、矢作川にて馬に水を飲ませる。
川のせせらぎが聞こえる。草深いがのどかな景色である。
拙者が辺りを見渡していると、草の茂みから人影が見える。一人ではない、何人か見える。どうやら、その一団も川で一休みをしているようだ。注意深く見ていると、その人影の中に拙者の探している人物がいました。
「・・・伯耆殿」
拙者の声に反応する伯耆殿。
「半蔵か」
落ち着き払う伯耆殿を余所に、周囲の者たちは拙者に気づき動揺している。
「大丈夫だ」
伯耆殿は周囲の者たちをなだめると、拙者の方に向き直る。
「半蔵、儂を止めに来たか?」
伯耆殿の問いに、拙者は問い返す。
「伯耆殿、何故ですか?何故、雲隠れを?」
拙者の問いに、伯耆殿は再び問い返してくる。
「お主は、羽柴秀吉をどう思う?」
想いも寄らない伯耆殿の質問に、拙者は考えながら答える。
「織田信長の後継者、ですか?」
拙者の答えに伯耆殿は頷く。
「その通りだ。儂も長久手の戦いが終わるまで羽柴秀吉など、たかが織田の一家臣くらいにしか思ってはおらなんだ」
伯耆殿はそこで一息つくと、言葉を繋げる。
「しかし、羽柴秀吉の強さは戦ではなかった・・・政(まつりごと)じゃ」
伯耆殿は真剣な眼差しで拙者を見詰める。
「長久手の戦で勝利した我らであったが、秀吉は戦では殿の方が一枚上手と見るや、織田信雄と和睦し戦の大義名分を失わせた」
伯耆殿は淡々と語り続ける。
「その後、秀吉は我らと結んでいた紀伊の雑賀衆や四国の長宗我部元親も攻略し、もはや羽柴秀吉を止められる者はどこにもいなくなった。このまま敵対関係を続けていては徳川は滅びるかもしれぬ。秀吉の力は強大だ。次にまた戦った所で勝てるかどうかわかりはせん」
「確かにそうではありますが・・・」
「故に、儂は羽柴に降る事にした」
伯耆殿の言葉に拙者は驚く。
「な、何ですと?」
拙者は伯耆殿を問いつめる。
「いくら羽柴が強大だからといって、徳川をお捨てになるおつもりか?」
「そうではない」
拙者は首を傾げる。
「と、言うと?」
「今のままでは徳川と羽柴はこのまま休戦状態が続く。いち早く和睦をする為には徳川の方からだけ動いても難しいのじゃ。故に儂が羽柴へ下り、羽柴側から殿をお助けする」
「な、何と・・・そんな事が可能なのですか?」
「できる」
伯耆殿の考えに拙者は驚嘆するが、伯耆殿の表情は好ましくない。
「ただ・・・」
「ただ?」
「儂は、もう徳川に戻る事はできんであろうな」
そう言った伯耆殿の顔は、とても寂しく見えました。
「相手は天下を狙う男じゃ。そんなに甘くはなかろう」
「・・・よいのですか?」
「もう決めた事じゃ。いいか、半蔵。この事は羽柴に漏れたら儂の命も危ない。他言無用じゃぞ」
「・・・はっ」
「では、な」
そう言うと伯耆殿は周囲の者たちと共に拙者に背を向ける。
拙者は、その後ろ姿をただ眺める事しかできませんでした。
徳川の為に徳川を裏切る。よほどの決意がなければできる事ではない。拙者は改めて石川数正殿の忠義心というものを感じました。
天正十三年十一月、徳川家の重臣・石川伯耆守数正、徳川家を出奔。
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