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風の残る場所
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砂と風が、戦場を洗っていた。
昼の陽光は白く、血の跡すら乾きかけている。
アランは荒い呼吸を整え、剣を握り直した。
遠く――矢を番えた盗賊の影が見える。
――その瞬間。
「先輩っ!」
振り向くより早く、鋭い音が走った。
視界いっぱいにレオンの体が映った。鈍い衝撃に、赤い飛沫。矢じりが腹部を貫く湿った音が、時間を止めた。
「……レオン!!」
地面に膝をつき、彼を抱きかかえる。
温かな血が指の間からこぼれ落ちた。
「だ、大丈夫です……ほら、当たりが浅い……」
無理に浮かべた笑みが、みるみる蒼褪めていく。
「なんで俺を庇ったんだっ!」
「先輩が無事なら、それで……」
その言葉が胸を抉る。
死を恐れぬ声音が、かつて憧れた誰かの姿と重なった。
「ふざけるなッ! お前が死んでいいわけあるか!」
「俺は……あなたが死ぬ方が嫌なんです!」
「そんなこと、誰も望んでねぇ!」
怒鳴り合う声が、焼けた空気を震わせた。
砂埃が舞い、風がふたりの間をすり抜ける。
「……悪い」
怒りで我を忘れていた。アランはレオンの怪我を思い出して、肩の力を抜いた。
どこか諦めを含んだ様子に、後輩騎士はようやく慌てた。
「先輩、ごめんなさい……ごめんなさい、俺っ……」
「もういい。盗賊は他の騎士たちで足りる。お前は手当てをしに行くぞ」
「でも、本当に俺……!」
「無駄口叩くな! まだ任務中だろーが!」
まだ安全とは言えない敵陣の只中。
アランは聞き分けのない後輩を叱咤し、戦闘を離脱して後衛の救護班へと急いだ。
★
夕暮れ。蝋燭の灯が布を淡く染めていた。
レオンの腹部には幾重もの包帯が巻かれ、息をするたびに痛みがかすかに滲む。
寝台の脇で、アランは黙って座り続けていた。
沈黙が、夜の底のように落ちている。
「アランさん……俺、やっぱり……怖かったんです」
「……何が」
「あなたを失ってしまうんじゃないかって……。また俺だけ、一人ぼっちになるんじゃないかって……」
アランは視線を落とした。
揺れる灯が手の甲を照らし、影が縫い目のように刻まれる。
「俺はな……」
言葉を探す。
だが喉が焼けるようで、声が出ない。
ようやく絞り出したその声は、風に触れれば消えてしまうほど弱かった。
「お前の先輩だぞ……。なんで後輩のお前に庇われなきゃいけないんだよ」
「それは……」
「後輩なら、後輩らしくしろ。……先輩面させろよ」
レオンは唇を噛んだ。
伝えたい気持ちが言葉にならず、胸の奥で軋んでいる。
そのとき、外でラッパ音が鳴った。
乾いた空気を揺らしながら、任務の終わりを告げる音だった。
★
数日が過ぎた。
アランは石畳の上で、報せの紙を握りしめていた。
インクのにじみが掌に広がり、熱のはけ口を失っていく。
「……俺の先輩が、死んだ」
隣でレオンが静かに頷く。
街路樹の影が風に揺れ、遠くでまた鐘が鳴った。
「行きましょう、アランさん。……会いに」
アランは言葉を返さず、ふたりで葬地へ向かった。
丘を越えた先には緑の風が流れ、影が長く伸びていた。
歩きながら、アランはぽつりと口を開いた。
「お前にやった外套は、あの人がくれたものだったんだ」
「雨の日の話……ですよね」
「ああ。あの人がいなければ、俺はここにいない」
アランの声は風と混じって揺れる。
「優しい人だったんですね」
「優しすぎたよ。真っ先に戦陣を切るような人だった」
レオンは俯いた。
その横顔を見て、アランはわずかに笑う。
「お前も、あの人と同じだ。……よく似てる」
「俺が、ですか?」
「ああ。仲間のために命を投げ出すところなんか、とくにな」
「俺は、アランさんだから──! ……すみません」
「……もういい。分かってる」
それだけ言い、アランは歩みを進めた。
朝霧がまだ石畳の目地に残っていた。白い花が供えられ、風が墓碑を静かになぞる。
鐘が一度だけ鳴り、鳥の鳴き声が遠のいた。
墓域の一角で、鎧の肩当ても乾かぬまま、ひとりの騎士が墓碑にしがみついていた。額を石に押しつけ、唇を冷たい岩肌に寄せている。
深い喪失に沈み込む姿だった。
その人こそ――あの日、先輩が口づけを交わしていた相手だった。
周囲に漂う囁きが霧に溶けていく。
「……あの人をかばって、盾になったって」
「最期は、眠るように息を引き取ったらしい」
アランはゆっくりと歩き、距離を詰めた。
泣き崩れる騎士の肩越しに、先輩の名を呼ぶ震えた唇が見えた。
胸の底で古い記憶が軋む。
雨の匂い、外套の縫い目、肩に掛けられた温もり。
すべてが一つの像となって甦る。
外套を胸に抱き、縫い目を指でなぞった日の記憶。アランは声を失ったまま立ち尽くした。嗚咽が、風より静かに墓石を震わせる。
――彼も本気で、あの人を愛していたのだ。
「……俺に剣を教えてくれた先輩だ。いつかお前も、誰かを守れるようになれるって言ってくれた」
「アランさん……」
「俺は……何ひとつ返せなかった……」
嗚咽まじりの声が風にほどけた。
その瞬間、背に温もりが触れる。
レオンだった。
何も言わず、ただ強く抱きしめてくる。その腕の震えは、謝罪そのもののようだった。
「……ごめんなさい」
「……もう、いい」
声が掠れ、外套の裾が風に揺れた。
白い花びらが舞い、墓碑の影へ落ちる。
アランはレオンの胸に額を預け、低く呟いた。
「──お前は……死んでくれるなよ」
レオンは返事をしなかった。
ただ、深く頷いた。
それだけで、十分だった。
風が追い越し、外套の裾がひるがえる。
透けた布地の向こうに淡い青が広がる。
頬を撫でる風は、誰かの手のようにやさしかった。
――あの日の雨も、今の風も、同じ空の下にある。
風は静かにふたりの髪を揺らし、失われたものと、受け継がれたものの境をやわらげていく。
優しさは、かたちを変えて吹き渡る。
誰かを守ろうとした痛みは、次の誰かを生かす光になる。
そして、風は残る。
その残響の中に、確かに人の生があった。
【END】
読んでくださってありがとうございます。
今後もBL小説を投稿していきますので、よろしくお願いします。
昼の陽光は白く、血の跡すら乾きかけている。
アランは荒い呼吸を整え、剣を握り直した。
遠く――矢を番えた盗賊の影が見える。
――その瞬間。
「先輩っ!」
振り向くより早く、鋭い音が走った。
視界いっぱいにレオンの体が映った。鈍い衝撃に、赤い飛沫。矢じりが腹部を貫く湿った音が、時間を止めた。
「……レオン!!」
地面に膝をつき、彼を抱きかかえる。
温かな血が指の間からこぼれ落ちた。
「だ、大丈夫です……ほら、当たりが浅い……」
無理に浮かべた笑みが、みるみる蒼褪めていく。
「なんで俺を庇ったんだっ!」
「先輩が無事なら、それで……」
その言葉が胸を抉る。
死を恐れぬ声音が、かつて憧れた誰かの姿と重なった。
「ふざけるなッ! お前が死んでいいわけあるか!」
「俺は……あなたが死ぬ方が嫌なんです!」
「そんなこと、誰も望んでねぇ!」
怒鳴り合う声が、焼けた空気を震わせた。
砂埃が舞い、風がふたりの間をすり抜ける。
「……悪い」
怒りで我を忘れていた。アランはレオンの怪我を思い出して、肩の力を抜いた。
どこか諦めを含んだ様子に、後輩騎士はようやく慌てた。
「先輩、ごめんなさい……ごめんなさい、俺っ……」
「もういい。盗賊は他の騎士たちで足りる。お前は手当てをしに行くぞ」
「でも、本当に俺……!」
「無駄口叩くな! まだ任務中だろーが!」
まだ安全とは言えない敵陣の只中。
アランは聞き分けのない後輩を叱咤し、戦闘を離脱して後衛の救護班へと急いだ。
★
夕暮れ。蝋燭の灯が布を淡く染めていた。
レオンの腹部には幾重もの包帯が巻かれ、息をするたびに痛みがかすかに滲む。
寝台の脇で、アランは黙って座り続けていた。
沈黙が、夜の底のように落ちている。
「アランさん……俺、やっぱり……怖かったんです」
「……何が」
「あなたを失ってしまうんじゃないかって……。また俺だけ、一人ぼっちになるんじゃないかって……」
アランは視線を落とした。
揺れる灯が手の甲を照らし、影が縫い目のように刻まれる。
「俺はな……」
言葉を探す。
だが喉が焼けるようで、声が出ない。
ようやく絞り出したその声は、風に触れれば消えてしまうほど弱かった。
「お前の先輩だぞ……。なんで後輩のお前に庇われなきゃいけないんだよ」
「それは……」
「後輩なら、後輩らしくしろ。……先輩面させろよ」
レオンは唇を噛んだ。
伝えたい気持ちが言葉にならず、胸の奥で軋んでいる。
そのとき、外でラッパ音が鳴った。
乾いた空気を揺らしながら、任務の終わりを告げる音だった。
★
数日が過ぎた。
アランは石畳の上で、報せの紙を握りしめていた。
インクのにじみが掌に広がり、熱のはけ口を失っていく。
「……俺の先輩が、死んだ」
隣でレオンが静かに頷く。
街路樹の影が風に揺れ、遠くでまた鐘が鳴った。
「行きましょう、アランさん。……会いに」
アランは言葉を返さず、ふたりで葬地へ向かった。
丘を越えた先には緑の風が流れ、影が長く伸びていた。
歩きながら、アランはぽつりと口を開いた。
「お前にやった外套は、あの人がくれたものだったんだ」
「雨の日の話……ですよね」
「ああ。あの人がいなければ、俺はここにいない」
アランの声は風と混じって揺れる。
「優しい人だったんですね」
「優しすぎたよ。真っ先に戦陣を切るような人だった」
レオンは俯いた。
その横顔を見て、アランはわずかに笑う。
「お前も、あの人と同じだ。……よく似てる」
「俺が、ですか?」
「ああ。仲間のために命を投げ出すところなんか、とくにな」
「俺は、アランさんだから──! ……すみません」
「……もういい。分かってる」
それだけ言い、アランは歩みを進めた。
朝霧がまだ石畳の目地に残っていた。白い花が供えられ、風が墓碑を静かになぞる。
鐘が一度だけ鳴り、鳥の鳴き声が遠のいた。
墓域の一角で、鎧の肩当ても乾かぬまま、ひとりの騎士が墓碑にしがみついていた。額を石に押しつけ、唇を冷たい岩肌に寄せている。
深い喪失に沈み込む姿だった。
その人こそ――あの日、先輩が口づけを交わしていた相手だった。
周囲に漂う囁きが霧に溶けていく。
「……あの人をかばって、盾になったって」
「最期は、眠るように息を引き取ったらしい」
アランはゆっくりと歩き、距離を詰めた。
泣き崩れる騎士の肩越しに、先輩の名を呼ぶ震えた唇が見えた。
胸の底で古い記憶が軋む。
雨の匂い、外套の縫い目、肩に掛けられた温もり。
すべてが一つの像となって甦る。
外套を胸に抱き、縫い目を指でなぞった日の記憶。アランは声を失ったまま立ち尽くした。嗚咽が、風より静かに墓石を震わせる。
――彼も本気で、あの人を愛していたのだ。
「……俺に剣を教えてくれた先輩だ。いつかお前も、誰かを守れるようになれるって言ってくれた」
「アランさん……」
「俺は……何ひとつ返せなかった……」
嗚咽まじりの声が風にほどけた。
その瞬間、背に温もりが触れる。
レオンだった。
何も言わず、ただ強く抱きしめてくる。その腕の震えは、謝罪そのもののようだった。
「……ごめんなさい」
「……もう、いい」
声が掠れ、外套の裾が風に揺れた。
白い花びらが舞い、墓碑の影へ落ちる。
アランはレオンの胸に額を預け、低く呟いた。
「──お前は……死んでくれるなよ」
レオンは返事をしなかった。
ただ、深く頷いた。
それだけで、十分だった。
風が追い越し、外套の裾がひるがえる。
透けた布地の向こうに淡い青が広がる。
頬を撫でる風は、誰かの手のようにやさしかった。
――あの日の雨も、今の風も、同じ空の下にある。
風は静かにふたりの髪を揺らし、失われたものと、受け継がれたものの境をやわらげていく。
優しさは、かたちを変えて吹き渡る。
誰かを守ろうとした痛みは、次の誰かを生かす光になる。
そして、風は残る。
その残響の中に、確かに人の生があった。
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