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暗雲
しおりを挟む目的地の森に着いて、まず目に張り込んだのは鬱蒼と生い茂る木々だった。
背の高い木々は日光を遮り、夜と見紛うほどの暗さを孕んでいた。
生暖かい空気に不気味な風景、揺れる茂みの音は不安を助長するには十分だった。
俺とジョゼはターゲットである魔猪を探し、暗く淀んだ森を奥へ奥へと突き進む。
どうやらワイルドボアは日中活動せず、水辺近くの藪や窪地に身を潜めているそうだ。
「お、おい、ジョゼ。本当にここなのか? 幽霊でも出てきそうなんだけど……」
「怖いんですか幽霊?」
「まさか……そんな訳ないだろ。ジョゼが怖がるかなって思っただけだ」
「でも……あなたの背中にずっと憑いてますよ……」
「おいおい、冗談は辞め――うわあああっ!?」
ジョゼの冗談を否定する為に、背後へと目をやった。
そこには、青白く燃える人魂の様な物が浮かんでいる。
音も熱さも感じさせない、気配すらない人魂は、ただフワフワと漂うだけ。
「やっぱり怖いんじゃないですか……安心してください。この子は私が操っているので害はありませんよ」
「操るってどうやって? ネクロマンサーとか呪術師みたいなもんか?」
「似たようなものですね。私、闇魔術が使えるんですよ。中でも魂魄や死霊の分野なら自信あるんです」
彼女はそう言うと、誇らしげに胸を張る。
かなり巨乳なので、ローブがはち切れんばかりに揺れている。
毒気のない彼女の行いに、目のやり場を失う。
「魔術で使役してるって事か……流石にかわいそうだと思うんだが……」
「もちろん死者の魂はちゃんと慰めてます。成仏できる子は送ってあげる。でもこの子達みたいに、成仏する事もできず、自分が何だったかすら忘れてしまった子も中にはいるの。ネームレスって言われてるんですけどね」
「ネーム……レス……」
「本来は害なんて無いんです。ただ、魔素を大量に取り込んだり魔物に取り付いてしまうと、とたんに凶暴になってしまって……魂が擦り切れるまで、見境の無く暴れ始めちゃうんです。そんなの放っておけないでしょ? 誰かが付いていてあげないと……」
「そんな危険な霊、ジョゼは操ってて大丈夫なのか!? お前が取り付かれるんじゃ……」
まさか彼女の使う魔術がそんな危険な物なんて思ってもいなかった。
術者に影響が無い様には到底思えないのだが……
「ショウ君は優しいですね。でも大丈夫ですよ。私はちょっと特殊ですから……それに、普段はこの人魂灯に入ってもらってるから影響ないの」
彼女は腰に掛けているランタンの様な物を指差した。
人魂灯と呼ばれたそれは、青白い光を薄っすらと発しながら揺れている。
すると突然、背後に居たはずの人魂はジョゼの元へと飛んで行き、赤く発光し何かを訴えるように周りをクルクルと旋回しだした。
「どうしたんだ。様子が変だけど」
「……ショウ君、構えて。斥候に出してた子が獲物を見つけたみたい」
ジョゼは素早くローブの内側から、30センチほどの木の棒を取り出し薮奥に向かって構える。
恐らく彼女の杖なのだろう。以前スカーレットベアを退治した際に、ニーナが似たような物を使っていた。
しかし、彼女の杖はニーナの物と比べると一回りも二回りも小さいように見えた。
そうこうしている間に、どこからともなく地響きのような音が辺りに響く。
音は次第に大きくなり、やがて音だけで無く振動までもが当たり一面に響き始めた。
ガサガサ、ドスンドスンと、轟音を引きつれ藪の奥から顔を表したのは、多数のネームレスと見上げるほど巨大な猪だった。
ネームレス達は逃げるように、ジョゼの人魂灯に飛び込んでいった。
想像していた猪の数倍大きな姿をしているではないか。あまりの大きさに血の気が引いていくのをを感じる。
それもつかの間、山の主が如き姿態を震わせ、勢いそのままに突っ込んでくる。
進路上にいた俺達は、咄嗟に左右に飛び避け、反撃しようとワイルドボアの方へと向き直る。
しかし、ワイルドボアは有ろう事か岩肌へと突っ込み、巨大な音とともに倒れ動かなくなってしまう。
「何なんだよ一体……こいつ馬鹿なのか」
「ショウ君、何したの? これが流れ人の能力って奴ですか……」
「ちげーよ! 俺の能力はチー……いや、なんでもない忘れてくれ」
「フフッ、冗談です。能力の事はニーナに聞いてるから隠さなくても大丈夫ですよ。大事な友人の隠し事を言いふらしたりしませんってば」
「ニーナの奴……」
ニーナは言いふらしてるじゃねーか。そんなことを愚痴りたくもなったが、今はそれどころではない。
件の猪をどうにかしなくてはいけない。
こんなデカブツどうやってギルドに持って帰るのか。
討伐する事ばかり考えて、その後の事は全く考えていなかった。
「とりあえず俺の事は置いておくとして、そこで伸びてるデカブツどうする? 魔術でパッと持って帰れないか?」
「無理ですね。ここから村まで距離ありますから。売却できないのは残念だけど元々討伐が目当てですし、始末したら体の一部か血液だけ報告用に持っていきましょうか」
「血液? 体の一部を持って帰るのは分かるけど、なんで血なんて持って帰るのさ。呪術にでも使うのか?」
「使いませんよ! 全く……ギルドで魔紋の説明されませんでした? 血液さえ持って帰れば個体の識別から、生死の判定までやってくれるで、かさ張らない血液を持って帰るのが楽ですよ」
確か、魔力の模様が魔紋だったか。魔術に明るくない俺には指紋みたいな認識しかない。
ここはジョゼの言う通り血液を持って帰る事にしよう。
持って帰りたいのは山々だが、仕方ない。
夜間は魔獣や賊が徘徊しだすそうなので、欲張って帰りが遅くなるのだけは避けたい。
「ただ……少し気になるんですよね。さっきのワイルドボアの様子」
「そうか? こっちに向かって一直線に突撃してただけの様に見えたけど」
「う~ん……何かから必死に逃げてきたような感じがするんですよね。ワイルドボアから敵意を感じなかったというか、何と言うか……」
ジョゼは何やら首を傾げ、倒れたワイルドボアの方へと視線を向けている。
ハンターとして何か引っかかる事でもあるのだろうか。
兎も角、ワイルドボアが死んでいるのか気絶しているだけなのか、確認するのが先決だ。
「とりあえずワイルドボアを確認しよう。気絶してるだけかも知れ――」
突如ワイルドボアが走り抜けてきた藪から、ぼろ布を身に纏った女性が姿を現した。
薄汚れた長い金色の髪からは異常に尖った耳が姿を見せている。
局部を隠すだけがやっとの服に両手には木製の手錠。
明らかな異常性を孕んでいる。特殊なプレイを森の奥地でやっていたのであれば別だが。
全身をドロだらけに汚した彼女は、息も絶え絶えに俺達の元へと向かってくる。
「お願いします助けてください! どうか……どうか、お助けください! 死にたくない!」
「ちょ、ちょっと待て。あんた誰だ! 落ち着けって!」
青ざめた彼女はいきなり地面にひざを折ると、懇願するようにすがり付いてきた。
全身はひどく振るえ、歯をガチガチ言わせている。ひどいパニック状態だ。
頻りに、助けて、お願いしますを繰り返すばかり。
この様子では、落ち着くまで話を聞くのは無理そうだ。
困り果てた俺はジョゼに助け舟を求め、フッと視線を向けた。
すると――
「何者ですか貴方達! 今すぐ武器を下げなさい!」
それまでのジョゼからは想像出来ない声色と口調で何かに向かって叫んでいた。
ジョゼの手には杖と分銅鎖の様な物が握られており、藪の方を睨み付けている。
彼女の目線を追った先には二人の男が立っていた。
錆びた胸当てに汚れた毛皮の衣服を身に着け、腰に剣を挿している。
粗野な格好ではあるものの、それ自体は珍しくなく、彼らを警戒するほどの物ではない。ただ一点を除けば……
彼らはこちらに敵意を剥き出しにしているのだ。
その手には弓が握られており、いつでも射抜けるよう弦はすでに引き絞られている。
何かを要求するでもなく、ただ無言のままこちらに狙いを定めていた。
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