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NEX SEG

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〈NEX SEG.〉



  私は奇怪な熊の顔をした正義のヒーローと成って、多くの犯罪に立ち向かい、対決した。
  キバー・プンダーは、非常に軽く、強化された素材でカバリングされて居る。其のサイバーマッスルは、通常の人の平均の二十五倍のパワーが出力可能だ。私は、つぎつぎに、バイオレンス犯罪者やテロ集団を倒した。私の本体とキバー・プンダーは既に記述した通り、ニューロリンクで連動して居る為、キバー・プンダーの体験は、私のものとして感じられるのだ。つまり私はキバー・プンダーなのだ。



  私はキバー・プンダー、所謂化身(アバタール)の姿で、ルーローハンの店を再訪した。
  インドの神話では、一つの神が、複数の姿、肉体を受肉し、其の肉体は肉で在ったか、光フォトンで在ったか、其れは検証出来無いが、古代史の中で現れた、と伝えられる。それらの姿をアバタールと呼ぶらしいが、私はまるで、インドの古代の神の様な、いや、ひとは神には成れ無いが、其の様な体験がどう云うもので在るか、を今味わって居た。だが此れは、神の体験を思い起こさせるが、当然それと本当はかなりの距離があるだろう・・・。ひとは、人でしかないのだ。
  だが、我々は、人として、多くの事を想像することが許されているだろう?
  久しぶりに再会したルーローハン店の技術者、ドク・サンチャゴは私に言った、「やあ、キバー・プンダー。たのしんでいるかい?」サンチャゴは、おおらかな性格だったので、私もなんだか、楽しくなった。彼は言った、「ボクもね、若い時はさ、タイペイのカサノバ、なんて言われてたもんだがな、今じゃ、すっかりサイバネティックスとVRに入れ込んじゃってさ、自分勝手にやりてーから、ルーローハン食堂の地下が今はラボさ。」
  彼は言う、「サイバネティックスは、意識の入れものとしてのドールなんだ。だが、子供をつくることはできない。命は神秘だ。ある意味、人間とは、魂の存在で、そして心の存在なんだ。魂を人為的に製造することは出来ない。不可能なんだ。その意味で、ドールは、アソビなんだ。だが、アソビも、この世にあったほうがいい。」
  私は思った、「この技術者は哲学者でもあった。」

私は考えた。
「ヒーローは飛ばなくちゃ。」

  私はXIMENルーローハン店のサンチャゴ博士を、又訪ねた。サンチャゴ博士は訊く、「お、キバー・プンダー、どうしたのだ?」私は言う、「飛べるようになりませんか、ね?」
「飛びたいのか?」
  サンチャゴ博士は聞き返す。

  そうだ。飛ぶ事は人間の夢だった。自由に大空を飛ぶ事。

サンチャゴ「キバー・プンダー、そう、君の事をキバー・プンダーと呼ばせてもらうが・・・。」
  私は頷いた。
サンチャゴ「キバー・プンダーとしての活躍の記事は時々読む。」
  私は、彼がキバー・プンダーとしても私を受け入れてくれて居る事が嬉しかった。
サンチャゴ「君は天使に成りたいの?」
  私は言葉に詰った、「・・・・・・・・・・。」
サンチャゴ「・・・それは無理だ。人は天使には成れない。又、成ろうと云う考えはいけない。地上に居る間はね。」
  私は問うた、「何故?」
サンチャゴ「そうは成れないからだ。人も天使も被造物だ。だが、人は人だ・・・・・・・・・・。天使は人間の様な肉体を持たない。我々は天使をイメージするが其れを完全に知る事は出来無い。私はサイバネティックスを極めたが、天使を創る事は出来無い。多分、其れは神の仕事だ。」
  私はかつて観た天使の映画を思い出した。人間に成ろうとする天使の物語だ。天使は、・・・単体で完結する存在だ。しかし、人間は違う。人間の男の肋骨が取られて、其れから女が創られた。此れはヘブライの民が伝えて来た事だ。此れをどう捉えるべきかハッキリ分からないが、其の時、男は完全性を失ってしまった、そう誰かが言った。其の映画の天使は『女の愛』を知る為にあえて人間の男に変身したがる。そして男に為った時、天使は其処で完全性を失うのだ。
  「男」に為る、と云う事は単体での完全性を失う事件だと言うのか。『女の愛』とは、完全性を失ってさえ其れを欲するに足る魅力を持つ何かなのか・・・・・。そうとも言える。多くの出来事に対して疑問が湧く。割り切れ無い。元々人間が矛盾の存在だからか・・・。
  そう、矛盾の存在、・・・人間は其れ故に、矛盾の中で生きてゆける。コンピュータは矛盾を受け入れられない、と云う。矛盾を理解する事の無いコンピュータは矛盾の中で狂ってしまう。コンピュータの限界、マルファンクション・・・・人とコンピュータは其の様にも違う。人は神の様に成ろうとして、善と悪を知る木の実を食べた事の故に、矛盾の存在に為ったのか?

  本来エゴイスティックで悪を内包して居る人間が、全き善である神になろうとする行為は、矛盾を招く。私はこれまでの人生、困難もあったとしても、神様に感謝すべき、すばらしい日々を過ごしてきた。そうだ、神に感謝だ。

  それから私は、かつてならった、飛行機操縦を再度おさらい始めた。
  数月後サンチャゴの伝手で、私は台北に在る国家管轄ライブラリーを出入りするようになって居た。ライブラリーで『ボーイの日記』を読んで居た。



[シバリンガム]
  もう、此処まで私の告白を読んでくれたリーダーなら、あえて言う必要も無いかも知れないが、私は或るミドルイーストの王子であった。そして今は国を追われた身だ。其れも有って、私は影の映画プロデューサーとして生活し、特定の人間にしか会わず、公の場では滅多に本当の顔を出さない。旅する時もお忍びである。だが、台北はXIMENの地下ラボで研究を重ねるサンチャゴ博士によって、私の意識を入れる事が出来るもう一つのボディ『キバー・プンダー』を得た。私は現在、此のキバー・プンダーの体で活動する事が増えた。殆ど此の姿で歩き回って居る。本当の私は今イタリア・トスカーナ州はコルトナの、一昔前迄はカトリック女子修道院で在ったカーサ(ヴィラ)の中に居る、そして其処からサンチャゴ博士の製作したニューロウェーブ送信ニット帽を被り、キバー・プンダーを遠隔操作して居る、と云う訳だ。私の本体が居る元カトリック女子修道院は、ミドルイースト某国王であった父が、修道女が新しい修道院に移る時に丸ごと購入した地所だ。私は此のカーサが好きだ。此処は聖母マリア様に守られて居る実感が在る。
 
  台北のライブラリーで見付けた『ボーイの日記』には、『コニの地図』が挟まれて居た・・・。(ボーイとコニは夫婦だった様だ。)図に記されて居た海域でボーイたちが出会ったのは、次の様なもので在った。(宝の地図とも云えるが、宝と呼ぶには驚異的過ぎる。)其れは一万六千年前の人々が沖縄周辺海域に残した海洋遺跡だった・・・・・・・。人類の宝であり、数人の人間が所有出来る様なモノでは無かった。
  海洋考古学には多少明るい。かつて私に付いたチューターが其の道の専門職で、世界の様々な海に潜って居たのだ。一万六千年前はラスト・グレイシャル・マキシマム、つまり氷河期の最後であり、地球極部の氷山が最も巨大で在った最後の日々だ。此の時期、地球各地の温度は多少ずつ低かった。氷山が溶け出す前で在った事から現在海底に沈んで居る土地も、其の時代には陸地だった。地上最初期の文明の揺り篭だったインディアは現在よりずっと面積が大きく、今其の周辺海域に沈む宇宙山とも呼べる尖塔建築も、人々で賑わって居た、と云う説も在る。(其の頃シチリア島と、地中海のマルタ島も地続きだった。)西印沖海底に其の時代の古代尖塔建築が沈んで居る・・・。現地ダイバーで、其れを目撃した者も居ると云う。かつてインディアでは現代アメリカを超えるシビリゼーションが繁栄した、とするスカラーも居る。
  そうしたシビリゼーションを根底で支えたエナジー発生装置が、巨大なシバリンガムで在った。
  古代文明に於いて、シバリンガムを建造した者たちが地球人であったかどうかは分からない。別の惑星から来た者たちだったのかも知れない。其れは地球そのもの、つまりマグマからエナジーを採り出すシステムだった様だ。そう、再生可能エナジーを実現して居たのだ。伝説のアトランティスも、こう云ったシステムを持って居たに違い無い。巨大シバリンガム、其の遺構は世界様々な場所に残って居る!
  ボーイは其の一つを沖縄周辺海域で見たのだ。
  そうだ。我々も一万六千年前の地球を感じるべきだ。其処には、現代英知を超えたハイパー文明が開化して居た。此の文明は、地球規模でネットワークさえ持って居た、と云う研究者も居る。其のネットで繋がれたシビリゼーションは、インディアを発祥として、マルタ、フロリダ、琉球と云った海域にも在った様だ。琉球・沖縄に於ける其の遺構は今日、『センターサークル』と呼ばれ、研究されて居る。サンチャゴ博士は、沖縄・慶良間海域の『センターサークル』を見て、其れが一万六千年前の文明が築いた、バイオ・サイバネティック・シティのセントラル・コンピュータ遺跡だと言う。今は全てが海の神秘のベールに覆われてしまった。ベールのビヨンド(向う側)を求める事に大いなる内的情熱を私は感じ始めた。『センターサークル』セントラル・コンピュータを再起動する事は、出来るのだろうか、・・・私はそんな事を考えて居た。

[沖縄周辺海域・夏]
  私たちの船は、一機のVTOLを載せて航行して居た。乗船したのは、私キバー・プンダー、サンチャゴ博士、さらにミスター・サイドだ。
  ミスター・サイドは私の古くからの友人で、今はマレーシアの石油王と成って居た。マレーシアとオーストラリアで商売をして潤ったのだ。此の我々が乗って居る船を提供したのもミスター・サイドだ。船は高性能レーダーを積んで居た。しばらくの探査が必要だったが、伝説のシバリンガムを見つけられる可能性は在った。『センターサークル』から、そう遠くはないだろう、・・・サンチャゴ博士はコンピューティングの知識から、そう推測していた。私も考古学的見地から、そう睨んだ。同時に、私たちは泳いだり、ダイビングしたり、海を楽しんだ。搭載の小ボートで、近海の珍しい魚を見に行ったりもした。ミスター・サイドは腕のいい料理人でもあった。トマトのタブーリサラッドや、ハーブチキンなど彼は幾つもの最高のプレートを出した。
  私は人類学及び考古学の知識と、ライブラリーで調べたデータから、より細かな海域の特定をしていった。
  二週間後、KX海域1064ゾーン海底で、特殊なレーダー反応があった。皆で潜ると、シバリンガムは其処に在った・・・。私たちは巨大なエネルギアを見つけ出した事になる。

  巨大シバリンガムは溢れるエナジーを絶えず噴出して居た。

  地下には莫大なエナジーが眠っているようだ。

  其の夜、私たちは星々の下、甲板のハンモックで静かな食事の時を過ごした・・・。やがて一人又一人、それぞれ船室に戻って行ったので、私は独り深夜の甲板のハンモックに揺られ続けながら考えに耽った。妻の事を考えて居た。十一月の終わり頃だった・・・。町はもうクリスマス一色だった。其れは心を温かくした。
  ・・・・・・・・あの日のディナーの事はよく覚えて居る。
  妻と帆立ジェノベーゼを食べたのだ。帆立と云えば聖ヤコブのシンボルだ。私は聖ヤコブの守護の強さが世界を守って居ると思う。帆立ジェノベーゼとデザートにバニラアイスクリーム・エスプレッソソース。そしてイタリアンコーヒーを妻と楽しんだ。ヘブライの聖書に、妻と楽しむのが、神がよしとされる人生の素晴らしい事だ、と在ったはずだ。妻と愛し合う。神は其れを祝福する。ありがたい。神はユダヤ人を選び、其処から世界が祝福されるようにした。すべての祝福はアブラハムをはじめとしてやって来る。すべての人、民はアブラハムによって祝福に入る。地球上の全ての人が、アブラハムを神が祝福した其の事によって、神の祝福を与る事が出来る。私はアブラハムが好きだ。日曜日があってゆっくり出来るのも、アブラハムを選んだ神のお陰。私はユダヤの慣習をありがたいと思っている。
  しかし、ほんとうに、このミスター・サイドの船は居心地がいい。ミスター・サイドが船内浴室へ連れて行ってくれた。そこは、ジャパニーズスタイルと、ブリティッシュスタイルのミックスで、温泉の雰囲気も味わえ、又ブリテンの温室の様に熱帯プラントが栽培されて居て、チェアで小説を読みながら、くつろぐ事も出来るのだった。考えてみると、いままで、いろいろあった。世界に神様が介在しているとしか思えない神秘も見た。幻惑の中で、自分を何度も見失おうとしたが、安全な場所へといつも帰る事が出来た。預言者の言葉は聴くべきだ。・・・年の頃十四歳の少年兵に武器を突き付けられ、或るアジアの島で殺されかけた時も在った。ジャングルの蔦に覆われた教会へ逃げ込んで暫し過ごし、其の荒れ果てた地域からやっと脱出した。色々な事を通り抜けて来た。

  ものおもいに耽りながら夜の甲板で過ごして居た。夏の慶良間海域の海風は気持ちがいい。沖縄の海はアジア最高の海の一つなんだ。
  静かな波の音・・・。船はまだ、かなり陸地からは遠い。そして、辺りはまだ暗い・・・。だが甲板は心地良い。大富豪サイドの船は素晴らしい。我々は此の船で海底に沈んだ古代遺跡を発見した。其れは神秘のエネルギーを宿して居た。私とサイドは、考え方に違いも色々と在る。が、長い間良い付き合いをして来た。
  ミスター・サイドは今回見付けた、海底の神秘の地球エネルギーである『シバリンガム・エネルギア』の一部を利用して、オーストラリア、シンガポール、そしてマレーシアの三ヶ所に在る、彼のエネルギープラントを拡大する計画の様だ。彼は事業も上手い。そしてナイスガイでもある。(彼には私に無い『躊躇しない行動力』が在る。)



  ・・・・・・・・・・・・今、ミスター・サイドの、此の舟には三十三人の子供達が乗って居る。いや、突然こんな話もビックリするかも知れないが、こう云う訳だ。『シバリンガム・エネルギア』を発見した海域で、何かの紛争から逃れて来た子供達が乗って居た漂流する舟を我々は見付けたんだ。其の舟には三十三人の子供達しか居なかった。他は居ない・・・。事情は分からずだ。ただ、難民であった事は確かで、食料も尽きかけていた・・・。ミスター・サイドは直ぐに其の三十三人を彼の舟に乗せたんだ。サイドは、『シバリンガム・エネルギア』事業で此の子らを食べさせる事は出来るだろう、と、彼が国籍を持つ国に連れ帰る事にした。私はサイドの、そんなところが好きだな。

  船は南洋に浮かんで居る。今は早朝五時半だ。子供達三人はもう起きてさわいで居る。さわがしい子供も居るが、しかし子供は何故か私の魂に安らぎを与えてくれる時も多い。子供達を見ながら、故国を出る前に数年過ごした山岳地方の、親戚の三姉妹孫を思い出すのだった。三姉妹というのは意外と多い。母も三姉妹だった。従兄の子も三姉妹。大学校学友のワイフも三姉妹。ジャポンアニメで三姉妹泥棒の話も在った。
  ドク・サンチャゴは自分の船室に籠って、持参したコンピュータでプログラムを続けて居る様子だ。彼のコンピュータは地球上何処に在っても、台湾XIMENに在るラボ・メインフレームに繋がって居る端末だ。

  二十代は地中海でボートに揺られながら読書をした時期も在った。此処はあの地中海からは随分離れた・・・。此のゾーンは現在ジャポンの領海に入る。故郷小国ではマルコ・ポーロがジパングと呼んだ場所として知られる。現代の利器を使えば我々は簡単にマルコ・ポーロを凌駕する。だが、此れは利器のお陰だ。本当は彼より遥かに非力であり大海原で揺蕩うのみだ。処で、ポーロは実際にジパングを訪れてはいない。彼はモンゴリアの旅の中でジパングの話を聞いたのだ。ジパングには黄金が沢山ある、と。舟の上ではどういう訳か其れ迄の価値観が覆される様な気持ちに為る。我々がしがみ付いて居る様な価値観など一時的なものでさえある。モーシェは神の大いなる力に助けられ、ユダヤの民をファラオ率いる大帝国から脱出させたが、『(ユダヤ人達が入植する)約束の地・乳と蜜の流れる場所クナーアン』に入る迄、民は四十年間砂漠に滞在した。(其の間、マナと云う神の不思議な食べものが与えられたと云うが。)其の四十年で、民の持って居た価値観の間違いが正される為で在った、と云う人も居る。

  クナーアンにはユダヤ人入植以前、恐ろしいネフィリム(巨人)が住んで居たと云う記述がある。其れは凶暴な人間を比喩で表現したのだ、と言う学派もある。しかしながら巨人伝説は世界中に在る、・・・本当にネフィリムがクナーアンに住んで居たのかも知れない。私は考えるのだ、ネフィリムの様な種族がシバリンガムを造ったのではないか、と。

10

[終局]
  この世界の本当の主は誰なのか。人間は人間同士のもつれあう社会の中で人間自身を此の世界の主人の様に考えるようになり、間違う。その間違いこそが「正されなければならないオブザーベ―ション」なのだ。栄光は此の世界の創造主こそが保持するもの。自分が栄光を受けたい、と傲慢な気持ちに至っているなら、その栄光は神に返さなければいけない事を思い出すべきなのだ。

  映画をプロデュースする中で、多くのミステリーに会う。ネフィリムがシバリンガムを造ったのか、それはタイムマシンでもなければ分かりはしない。だが、サイドの情報によれば、タイムマシンが実在したような話を伺い知る事が出来るのだ。
  冷戦時代に、以下の様な事が起きて居たようだ、・・・信じられないかもしれないが。一九五九年頃に旧ソビエトではタイムトラベル理論が書かれ、其れを成し得るメカが造られた。其れは、四メートル四十四センチ長のボード形状物だった。旧ソビエトの高官は狙撃手を此のボードに乗せ、建国時代のアメリカへ送った。ジョージ・ワシントン大統領候補を狙撃殺害する事で、アメリカの建国を阻む作戦だった。そして其れは片道切符だった。其のメカの稼働には、地球コアからエナジーを抽出する必要があり、一度しか出来なかった。(機密文書に依ると此処でもシバリンガムテクノロジーが使用されている。)だが、其の作戦が成功すると、其の瞬間に現在のアメリカ合衆国が消失するはずだったのだ。其の理由を誰も知らずに・・・。それはこう・・・、つまり狙撃手を、送り出した瞬間に歴史が変わるはずだった・・・。しかし、何も起きなかった。高官らは、タイムトラベル中の事故と結論づけ、彼らがメカを進化させるように科学者を動かそうとしたところ、其の科学者はラトビアの方へ逃亡した。何も起きなかった理由、歴史が変わらなかった理由、其れは此の狙撃手がジョージ・ワシントンに出会い、其の事に由って、此の狙撃手自身の考えが変わったからだ、と科学者には分かって居た。感銘を受けたのだ。狙撃手は逆にジョージ・ワシントンのシークレットサービスと為り、ワシントンを守ったと云う。此の科学者は其れを裏付ける書簡をアレクサンドリアで発見した様だ。
  タイムトラベルを可能にするボードは、ワシントン時代のテクノロジーでは解明が難しく、その後、NYからサンフランシスコに移送され博物館にしまわれた。だが、一九六九年のアポロミッションで、月着陸船に秘密裡に搭載された。其の理由は不明・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

[AMERiKA](故国の学校で得た知識に依る)
  アメリカ合衆国、其処は二百年以上前イングランドコロニーで在った。イングランド本国の搾取が厳しかった為、本国からコロニー自体が独立し誕生した国だ。其の際コロニー独立に貢献したジョージ・ワシントンを初代大統領とした。ミスター・ワシントンには、集団を率いる者としての天与の才が有ったと云う。当時のアメリカ市民はワシントンを、アメリカの『王』にしようとした、と言われて居る。しかし、ワシントン自身が拒否した。其れは政治史に於ける大きなマイルストンだった。彼は『王』世襲が(多くの場合、民の言葉を聞かない政治に陥り)国を駄目にしてしまう、と考えた。そこで、実際の生活者である市民の中から立候補が出て、統率者を総選挙で選ぼう、其の任期は最長八年である、と打ち出した。大統領制である。此のシステムは柔軟性を持ち、多くの人々が幸せを分かち合える民主的方法と言える。

  つまり、『王』という存在、統率者という存在は、何かの時点で、集団を率いる才覚を出し、それによって集団の長として、自他共に認められ、その地位についた、と考えられるが、この『長』(おさ)としての立場に期限が付いていないと、やはりダメになってしまうのだ。時代が変わってゆく中で、常に才覚を出すことに恵まれるとはかぎらない。かつて、あのソロモン王さえ、若き日の才覚を老齢で失ったという・・・・・・・。

  王族として幼少期を過ごした私だが、その私が言える事は、王家の生活や風習というものは、内側に居てもたしかに大変であり、どこか非人間的、と云う事・・・。個と王家の造り出す幻影との間に分裂が生じ、虚言の中での日常生活を送る結果になる。此れは精神的にはよくないことだ。だが、私の(かつての)国の社会体制とも、王家やそのシステムが密接に緊張感を持って関わっていた為に、こうした異常なライフスタイルを王族が持ち続けて居た事は仕方が無かったのかも知れない。そうした事が今は、仕方が無かったと思えるのだ。つまり日常の維持に繋がって居た。如何に日常を安定させるか秩序づけるか、そういった事に王家も配慮しなければいけなかった。その王家も、いまは、消えてしまった。それは、やがて、消えゆくべきものであった。

  さて、此処に至って仕事関係で、かなり映画人の友人は居る。だが此の業界の不思議さだが、あまり互いの過去を詮索しない。かつてはヨーロッパからアメリカに渡ったジューイッシュらが此の業界の礎を築いた。其れは亡命者集団でもあった。幻を視覚化する産業・・・人間の夢でも在り又業界ファウンダーズにとっては生きる術だった。私はなんとか此の業界でやって居る。ファウンダーズの血を引く人々からの憐みも在ったろう。不思議な事に、関係性の在るべき者同士は奇妙な繋がりに依って結ばれて居る、と云うケースが多い。
  其れにしても現代は、意識転送をしたサイバネティックスが行き交う時代で良かった。おかげで私の意識はロボットに乗り移って、世界を旅する事もできる。私はまるで自分の体の様に、此れ(キバー・プンダー)を自由に動かす事が出来る。しかし実は既にこうしたロボットに意識を転送し日常、外を歩いて居る人々はかなり居るのだ。此の手記を読んで居る君も、そうしたロボットに街中でかなりすれ違って居るはずだ・・・・・。だが、既に、外見は本物の人間と見分けがつかない位のレベルまで完成されて居るロボットもかなり在るから、気付かない。まあ、どれが本物の人間か、なんて、野暮詮索はよせ。我々は、そういう時代に生きて居るのだから。
  私の様な逃亡者にとっては、其れが一番良い。
  そして、私の様な者にもクリスマスは優しい。今年もクリスマスだ。クリスマスは良い。全てが命を取り戻し、心が新しくなり、安らぎがある。そして少年の日のイタリアを思い出す。イタリアの田舎町は時が止まったかに思える場所だ。飾られたプレゼーピオを見ながら、心をゆっくりにする。其れが良い。此の恵みは本来ユダヤ人に与えられたものであり、其れは変わらず今も彼らが受ける恵みだ。一時期ヒステリックになったセントラルヨーロッパの一部では間違った解釈が為され、悲劇が産れた、しかし今メシアニック・ジューをはじめ我々は、此のアブラハムの神の恵みは変わらず其のヘブライの民に在り、其処から世界に恵みが溢れると心を正した。

[リガ*RIGA]
  リガは良い所だ。クリント・イースターとして二度訪れた事が有るが、キバー・プンダーとしての最初のクリスマスを過ごすのに此れ以上の町は無い。オールドリガ旧市街のホテルに部屋を取った。少し、リガを散歩した。昔、母に連れられて来たラトビア芸術アカデミーはリガに在った。此の町は多くの民族が行き交った歴史を持つマルチカルチャーのヒストリカルシティだ。そして今サイバネティックスも盛んで在る。ソビエト連邦で在った時代は長い。現在のリガは英語が非常に一般化して居て、誰もが旅し易い地域でも在る。此の時期のリガはかなり冷える時も在る。リガ国際空港に降り立つと冷たい気温に、ひやっと為るが、次第に其の気温と気候に慣れて来る。昨日は空港ゲートを直ぐ出た処に在ったショップで、チキンとコールスローのサンドウィッチ、そしてツナと水、又リガの現在の雰囲気を知る為のマガジン雑誌を買い込んだ。空港からオールドリガ迄は結構な距離が有る。タクシーに乗り、ネットで予約したオールドリガのホテルへ。ドライバーは東欧訛り英語で話す。そしてウィンドウ向うのオールドリガ迄の景色は、東ヨーロッパの其れで在る。或る種の懐かしさを思い起こさせるものでも在り、新しさも同時に感じる事が出来る風景だ。地平線、低木、緑の大地、捨てられた巨大建造物骨組コンクリート、碧い空、丸々した白雲、イースタンヨーロッパ社会主義系デザインアパート群、過剰デコレーションの茶壁建造物、黒いコートの人々、ブロンドの闊歩する女性達、・・・其処此処に行き交うのは韓国メーカー自動車群。広い道路は真っ直ぐ延びる。ゆったりと佇む道向うのどっしりした都市に、向かって流れる大きな川は深く煌いて居る。川を渡る巨大な橋、詩人の巨大モニュメント、・・・其れらは全てが、東ヨーロッパを思わせた。そして、時間が止ったかの様な・・・時間が動いて居ないかの様な・・・、そんな錯覚を起こさせもする。
  オールドリガには石畳が町中に敷かれて居る。歴史の町だ。多くの教会が在る。カトリック、ルテラン、オーソドックスチャーチ、ユダヤ教、アングリカン、・・・・・・・此の町で共存して来た。良い町だ。ホテルに着くと、中はとても過ごし易い温度に暖めてあった。

[エピローグ]
  其のホテルは歴史を感じさせる雰囲気を持って居た。百年程前から其処に在った建物らしい。部屋に入るなり、私はベッドに横に為った。此処迄、道のりは随分長かったのだ。リガはよく知られている様にバルト三国のラトビアに在るが、まずバルティックシーのハブ空港であるヘルシンキに向かわねばならない。ヘルシンキへの空路もかなりの距離だ。そして其処でバルティック・エアに乗り換え、リガへ。此れが一般的な空路となる。そんなこんなで、旅の疲れが少し出たのだ。ベッドに横に為りツナサンドを頬張った。旨かった。意外な旨さ。リガの人々は味覚が良い、此れは間違い無い。マガジンを見ながら暫く眠った。明日、リガ旧ユダヤ区に住む友人ブリジフィルに会う。
  リガと云う地名は此のバルティック諸国では、融合と自由を意味する。共存してゆく事を選んだから此の地は栄えて居る。プロフェッサー・ブリジフィルの母が東洋系なので、彼の顔にはオリエンタルの雰囲気が有った。彼はアートの研究者だ。
  聖書が示す聖家族とは、肉に於いては疑似家族だ。イエス・キリストは養父ヨセフに育てられ、マリアだけが肉に於ける親で在る。此れは恐らく肉に依る家族、と云うあり方が全てでは無い、ゆるしの家族が本当の家族だと云っているのではないか。しかし依然として世界の多くの地域で男系世襲が存在し続けて居る。混迷と過去の呪縛の中で前に進めず・・・。そう、世界はまだ呪縛に満ちている。しかし、そうした呪縛を断ち切る集団行動をとった東洋における様々な革命では、革命者が神に成り代わり、其れゆえに悲惨な結果をも招いた・・・。こんな人間の世界はどうしたら良いのか?
  答えは、「ゆるし」だ。他をゆるさない、という感情を捨てる事だ。ゆるし、其れこそ神が人に求めるもの。主なる神イエス・キリストはゆるした。ミスター・ブリジフィルとの会話は楽しかった。彼は、ゆるしのひと、でも在ったからだ。私の過去を知るブリジフィルは笑って言う、「映画プロデューサーと云う仕事は楽しそうじゃないか。」私は応えた、「ええ、此れ迄通り旅も続け、執筆を行いセルチュク付近へ移り住もうと考えて居ます。其処は聖母が被昇天迄、晩年を過ごした処です。SF映画も続けます。」私は冒険家で在りSF映画プロデューサー、クリント・イースター。人々が楽しめる、何かを感じられる、世界が広がる、其の様な映画を創る。私は神様に愛されている。神様はすべての人を愛している。ふと教会から祈りの声が聴こえた。妻が戻って来る気がする。
  
  この物語は、男と女と創造のものがたり、・・・だったのかもしれない。

第四エズラ書5-44
44 Then answered he me, and said, The creature may not haste above the maker; neither may the world hold them at once that shall be created therein. 
45 And I said, As thou hast said unto thy servant, that thou, which givest life to all, hast given life at once to the creature that thou hast created, and the creature bare it: even so it might now also bear them that now be present at once. 
46 And he said unto me, Ask the womb of a woman, and say unto her, If thou bringest forth children, why dost thou it not together, but one after another? pray her therefore to bring forth ten children at once. 
47 And I said, She cannot: but must do it by distance of time. 
48 Then said he unto me, Even so have I given the womb of the earth to those that be sown in it in their times. 
49 For like as a young child may not bring forth the things that belong to the aged, even so have I disposed the world which I created. 



  ラビット2メモリー保存完了*シャットダウン・・・。

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