いつわり王子は花嫁に酔う

佐倉 紫

文字の大きさ
8 / 23
番外編

2-1 侍女 前編

しおりを挟む
先日の浴場騒ぎの後日談。
アンリエッタ王子妃の筆頭侍女、エリナの苦労話。
********************************************

 ふわりと広がる紫のシフォン。藤色から濃い紫へと変わっていくスカートはたっぷりと襞を取ってあり、歩くたびにふわふわと軽やかに弾む仕組みだ。
 ともすれば大人っぽいと取られる紫色のドレスだが、腰につけられた大ぶりなリボンがその印象をぐっと華やかに演出している。
 袖にも胸元にも美しい縫い取りがされたドレスに、箱を開けた侍女たちは、一様にため息を送った。
「素晴らしいドレスですわ。次の夜会の主役は王子妃様に間違いございません」
「オーランド殿下も、たまには気の利いた贈り物をなさいますこと」
「一時の殿下は娼館に入り浸ることはあっても、女たちに贈り物をしようなど、これっぽっちも考えなかったことでしょうに」
「それだけ奥方様を大切にしているという証拠ですわ。まっ、当然ですけど」
 付け足された最後の一言に、うらやましいわぁ、素敵だわぁ、とさえずり合っていた侍女たちは、一様に明るい笑い声を響かせた。
 そんな彼女たちに、エリナは「はいはい」と音高く手を打ち鳴らして注意を促す。
「わかったなら、早くそのドレスを箱から出して、皺伸ばしと点検を急いでちょうだい。肝心の夜会は明日ですからね。当日になって不備があったら、王子妃様に申し訳が立たないでしょう」
 侍女たちは慌てたように本来の仕事に戻って、一緒に届けられた靴や小物なども腕に抱えて、そそくさと衣装室へ移動していった。
「まったく。久々の夜会だからと言って、はしゃぎすぎなのよ……」
 だが、やれやれと眉間を押さえるエリナの頭の中にしても、やはり明日の夜会のことでいっぱいいっぱいである。
 ましてこの夜会は、議会の人事が一新されて初めて開かれる顔合わせの会も兼ねている。
 すでに先日、レオン第二王子主催の晩餐会が開かれているが、本当の意味で全員が顔を合わせ、親しく言葉を交わすのは、明日行われる夜会ということになっていた。
 当日は大広間に久々に明かりが灯され、王国楽団による演奏が行われる。当日の料理の仕込みのため、三日前から大厨房は火の車だ。アンリエッタ王子妃の侍女であるエリナたちとて、人手が足りないから何人か手伝いに回してくれと、女官長に要請されるほどの忙しさである。
 これほどまでに大々的な夜会は、オーランド第一王子と王子妃アンリエッタの結婚式以来だ。これまで政権が落ち着かないという理由から自重されてきたということもあり、久々の華やかな催しに、城に勤める者は例外なく浮き足立っている状態なのである。
(こんなときこそ、わたしがしっかりしていないと)

 アンリエッタ王子妃の侍女であるエリナは、筆頭侍女という肩書きを与えられながらも、実はまだ十八歳と年若い。生まれはそこそこ歴史のある男爵家で、本来ならこの舞踏会に自分も着飾って参加してもいい年頃なのである。
 しかし、二代前の当主が散財した挙げ句に事業に失敗し、多大な負債を抱えることになってからは、華やかな場所とは縁のない生活を送ることになってしまった。ただでさえ生活は逼迫しているというのに、父である現男爵とその奥方は、仲がよいままぽんぽん子供をこさえてしまって、よけいに大変な生活を送る毎日になっているのである。
 男爵自ら農具を手に、畑で汗する姿を見せられては、長女であるエリナも黙って見ているというわけにもいかない。
 なので、ローリエ王妃が他国から嫁いでくる自分の息子の妻のため、侍女を欲しているという噂を聞きつけ、ツテを最大限に利用して、自分を売り込みに行ったのである。
 幸い、男爵家は古くから王妃の実家であるブラックフォード家を支持しており、採用されるのに支障はまったくなかった。
 そうして飛び込んできた侍女の世界だが、最初は驚きの連続であった。
 というのも、エリナと同じように採用されて王宮に上がった侍女たちが、全員侍女としての心持ちをあまりに持っていなかったせいである。
 王宮で働ける人間は、当然のことながら限られている。出自が明らかでないと城門をくぐることすら困難だし、貴人に仕えるとなると、自身も相応の血統を持っていなければならない。
 エリナが男爵家の娘であるのと同様、そこに集った侍女たちもだいたいは貴族や騎士の家からやってきた令嬢たちで、詰まるところ――誰かのために働く、ということにまったく慣れていなかったのである。
 なのになぜ侍女として志願したか。その目的は明かで、貴人の世話をするというのは建前、本音はこの城で働く男たちの中から、結婚相手としてめぼしい者たちを選ぶというものであった。
 実際、女官や侍従が恋に落ちて結婚するというのはよくある話で、王宮の女たちを束ねる女官長と、国王陛下の筆頭侍従は結婚三十年目の夫婦である。
 となると、侍女たちの興味は顔もわからぬ女主人ではなく、城で働く男たちに向けられることになってしまったわけだ。
 彼女たちが城に上がったのは、アンリエッタが嫁いでくる三ヶ月前のこと。エリナはなんとしてでも、女主人が嫁いでくるまでに彼女たちの意識を改革しなければならないということを真っ先に考えたひとりであった。
 彼女たちの中にはエリナより年上の者も何人かいたが、大勢の兄弟の面倒を見てきたせいか、自然とエリナがしきり役になってしまっていた。目を離すとすぐ男あさりをする侍女たちを引き戻し、女官長の指導のもと、貴人に仕えるための職務をひとつずつ覚えていく傍ら、エリナは彼女たちに必死に侍女としての心構えを説いたのである(エリナとて経験はなかったのだが、それでも彼女たちに比べれば侍女としての矜持はしっかり持っていたわけなので)。
(結局どこに行っても、わたしって誰かを世話するハメになるのかしらね)
 待ちに待った女主人の到着の日、エリナはそんな思いで、隣国からここまで旅してきた花嫁行列を出迎えた。
 花嫁の祖国であるフィノー王国は宝石の産地だ。決して大きくはない国だが、財政で苦労することはないようで、先頭を行く馬の額当てに宝石が嵌っているのを取っても、それは一目瞭然だった。
 だが降り立った姫君は、宝石というよりは野の花のような可憐で愛らしい姫君で、煌びやかな行列とは一線を画した、ふんわりとした雰囲気を纏っていた。
 ふわりと広がる金の髪は、彼女が纏う柔らかな雰囲気そのままに流れていて、エメラルドがこぼれそうな緑の瞳は、優しい光を宿していた。
 あ、このひとなら――と、エリナはそれまで抱いていた緊張がすっと抜けていくのを全身で感じた。
(このひとなら、誠心誠意お仕えできるような気がする)
 城へやってきたからには一流の侍女になる、そう心に決めていたエリナでさえ、やってくる姫君がとんでもない高飛車な女だったらどうしようという不安は常に胸にあった。
 しかし最初の対面のときに、そういった不安は一気に霧消した。
 それほどの魅力が、アンリエッタの中には無限に広がっていたのである。

 エリナの直感はほどなく正しいと証明された。
 慌ただしく婚儀が終わり、王妃が中心となって執り行われた夜会も盛大に終わって、アンリエッタは疲れと緊張に真っ白になりながら浴室に入ってきた。
 初夜を迎える身体はガチガチに固まっていて、エリナはそこで初めて、この年若い王子妃を気の毒に思った。というのも、放蕩の限りを尽くしている第一王子オーランドが、彼女を優しく扱うとは到底思えなかったからである。
(こんなに素直そうな方なのに……)
 夫に気に入ってもらうためだと説き伏せられ、真っ赤になりながらも下の毛を手入れさせているアンリエッタを見ると、ますますその気持ちが大きくなっていくエリナだった。
 そうして一夜明け、彼女は自分の考えが正しかったことをその目で確かめることになる。
 傷心かも知れないアンリエッタを思い、エリナひとりで寝室に入ると、アンリエッタは疲れきった様子で眠っていた。
 その太腿には乾き切った白濁がこびりついており、痛々しい様子に、さすがのエリナも同情と驚きを禁じ得なかったのである。
 それでも今朝は朝議がある。結婚初夜であれば許されることかも知れないが、他国から嫁いだ彼女が重鎮たちに侮られるようなことがあってはならない。
 そう心を鬼にして起こしたが、アンリエッタは自分の身体の不調に気づいて、ひどく心細そうな顔つきになった。
「こちらにお湯をご用意させていただきました。本来なら……浴槽を使われてもよろしいのですが、お時間が迫っておりますので」
 あまりのことに直視できず、かといってそこは譲れないという思いでエリナが口にすると、意外なことに、アンリエッタは小さく頷いた。
 てっきり泣き喚かれるか、こんな気持ちで人前に出られるわけがないと怒られるかと思っていたエリナは、続くアンリエッタの一言に強い衝撃を受けたのだ。
「面倒をかけてごめんなさい……」
 ――この一言に、エリナはアンリエッタという姫君の本質を見た。
(相当つらいはずなのに、侍女に謝罪の言葉を呟くなんて……)
 驚きはそれだけでは止まらない。エリナに促されすぐに着替えと化粧を終えた彼女は、下腹部の痛みに顔をしかめながらも、急かされるまま急いで朝議の場へと向かったのだ。
 結局朝議には参加しなかったものの、王妃の嫌味にも殊勝に頭を下げ、エリナに向かって気さくに仲良くしてねと声を掛けたりするなど、特異な面を次々に見せ始める。
 挙げ句、寝室を訪れない夫に焦れて、その部屋に乗り込んでいく姿を見たときには、エリナはもう尊敬に近い感情を女主人に抱くようになっていたのである。
(手ひどく扱われるとわかっていて、どうしてこんなに積極的に夫に近づくことができるのよ?)
 その疑問はやがて女主人を応援する気持ちになり、最終的に彼女の苦労が報われたときには、思わずほーっと安堵の息を吐いてしまったものである。
 逆に、アンリエッタへの忠誠心と親愛の情が増して行くにつれ、その夫であるオーランドには怒りと軽蔑の念が募っていったわけなのだが……

(……こーんなドレスを贈ってきたからと言って、その念が晴れたわけではありませんのよ)
 オーランドと相愛になってからというもの、アンリエッタは本当に楽しそうに毎日を笑顔で暮らしている。
 時折オーランドに可愛がられすぎて、身体を起こせなくなることもあるというのに、それすら最終的に許してしまうのだから、半ば救いようがないというのは明らかだった。
 だからこそ、彼女の侍女であるエリナだけは、彼への怒りを捨てないでとっておこうといつも肝に銘じている。
 可愛らしくて優しくて、懐の大きいアンリエッタ。自分はその影の存在として、彼女の暗~い面を存分に発揮していこうと思う所存だった。
 だからこそ、先日アンリエッタが噴水に突き落とされ、一晩も熱に魘されたときは、アンリエッタの怒りを助長するような言葉を使って、オーランドを寝室から締め出すことに成功したわけなのだけど……
 そのときのことを思い出し、エリナは思わず苦笑してしまった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

勘違い妻は騎士隊長に愛される。

更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。 ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ―― あれ?何か怒ってる? 私が一体何をした…っ!?なお話。 有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。 ※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

敵将を捕虜にしたら夫になって、気づけば家族までできていました

蜂蜜あやね
恋愛
戦場で幾度も刃を交えてきた二人―― “赤い鷲”の女将軍イサナと、 “青狼”と恐れられたザンザの将軍ソウガ。 最後の戦いで、ソウガはイサナの軍に捕らえられる。 死を覚悟したその瞬間―― イサナは思わず、矢面に立っていた。 「その者は殺させない。命は……私が引き受けます」 理由などなかった。 ただ、目の前の男を失いたくなかった。 その報告を受けた皇帝エンジュは、 静かに、しかし飄々とした口調で告げる。 「庇いたいというのなら――夫として下げ渡そう」 「ただし、子を成すこと。それが条件だ」 敵国の将を“夫”として迎えるという前代未聞の処置。 拒否権はない。 こうしてソウガは、捕虜でありながら 《イサナの夫》としてアマツキ邸に下げ渡される。 武でも策でも互角に戦ってきた男が、 今は同じ屋根の下にいる。 捕虜として――そして夫として。 反発から始まった奇妙な同居生活。 だが、戦場では知り得なかった互いの素顔と静かな温度が、 じわじわと二人の距離を変えていく

愛してないから、離婚しましょう 〜悪役令嬢の私が大嫌いとのことです〜

あさとよる
恋愛
親の命令で決められた結婚相手は、私のことが大嫌いだと豪語した美丈夫。勤め先が一緒の私達だけど、結婚したことを秘密にされ、以前よりも職場での当たりが増し、自宅では空気扱い。寝屋を共に過ごすことは皆無。そんな形式上だけの結婚なら、私は喜んで離婚してさしあげます。

処理中です...