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第一章 メイド、主人の秘密を知る。
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「今日の予定はなんだっけ。なにかの会合があったような、なかったような」
「午前中はその会合が王城で行われるとのことです。絵画協会主催のもので、内容としては美術学校への留学生の受け入れ条件について」
ここへくる前に家政婦長から渡された『ご主人様の本日の予定』一覧を引き寄せ、ジゼルは淡々と読み上げた。
「その後、王城にて国王ご一家と昼食会、二時から建設中の新劇場の視察、三時に建築工事責任者との挨拶も兼ねて現場近くでアフタヌーンティー、四時に現場を離れ、五時に当家に劇作家が新たな脚本を持参してくる訪問するので、その精査。夕食はそれが終わり次第となりますが……って聞いてます?」
「ジゼルの声は少し低くて耳に心地よく響くなぁ。歌とか歌うのに向いているんじゃない?」
「わたしの声より言葉を聞いてください。予定は頭に入りましたか?」
「全然。別に覚えなくても、連れて行かれた先でそれなりの対応すれば大丈夫でしょ」
それはそうかもしれないが。ジゼルはため息をついた。
「女優のスリーサイズやレースの識別番号は、一度聞いただけですべて覚えてしまわれるのに……」
「そりゃあ僕のこの芸術的センスを刺激してくれるものなら、どんな些細なことでも忘れやしないよ。記憶力とは常に記憶したいものに対してのみ使うべきなんだよ、ジゼル君」
「はいはいわかりました。ということで今日もすごく忙しいので、早く着替えましょう。洗面の支度はこちらに」
「ジゼルは本当にテキパキしているなぁ。ほかのメイドたちは僕が話を振ると、なんでも楽しそうに答えてくれるのに」
……だから家政婦長はわたしばかりを朝の支度に寄越すんだろうなぁ、とジゼルは思う。
美味しいお茶を淹れられる、というのも立派な理由の一つだろうが、ほかのメイドだとこの美麗な主人の話術に巧みに引きずられて、たいてい長々とお喋りを楽しんでしまうのだ。おかげでロイドの支度が遅れ、予定に遅刻しそうになったことは数知れず。
その点ジゼルははいはいと適当にあしらえるので、家政婦長としては積極的に登用したいところなのかもしれない。
洗面が終わったロイドは渡されたふわふわのタオルで顔を拭くと、あくびをかみ殺しながらシャツを脱ぎ捨てる。
さすがに若い男性の裸を見るつもりはないので、今日のお着替えです、と一式渡したあとは、朝食を終えてやってきたロイド付きの従者にあとを引き継ぐ。
使用済みのティーセットと洗面台を乗せたワゴンを押して部屋を出れば、主人の朝の支度は終了である。
(でもさすがに、なかなか起きない旦那様に業を煮やして、毎度毛布を引っぺがしていることがばれたら、朝の支度を言いつけられることはなくなるだろうなぁ)
これだけは秘密にしておかないと、と思いながら、ワゴンを片付けたジゼルは再び地下室へととって返した。
「ご主人様の朝のお支度、終わりました」
「ああ、ご苦労様。ロイド様、今日はすぐにお目覚めになったかい?」
テキパキと厨房に指示を飛ばしていた家政婦長が、少し心配げに尋ねてくる。ジゼルはティーセットを洗い場に運びながらしれっと答えた。
「少し寝不足気味のようでしたが、きちんと起きて紅茶を召し上がっていました」
「そう、それならいいけど。昨夜も遅くまで作業部屋に詰めていらしたようでねぇ、部屋の散らかり具合がいつもに増してすごいのよ」
頬に手を当て、はぁっ、とため息をつく家政婦長は、まるで母親のようにロイドを心配している。
それもそのはず。家政婦長は、もとはロイドの母親である、亡き公爵夫人付きの侍女だったのだ。早くに亡くなった女主人に代わり、ロイドを立派に育て上げた彼女は、人一倍ロイドの健康や働き方に敏感になっている。
彼女を見るたび、母親ってこういうものなのかな、とジゼルの胸はくすぐったさと少しのさみしさに小さく震えるのだった。
「あ、そうそう、今年もそろそろ使用人たちの里帰りを始めるんだけど。ジゼルはいつ頃がいいかね?」
「去年と同じで、最後のほうでいいですよ。それに何週間も帰るわけじゃありませんし、せいぜい一泊するくらいですから」
「ああ、そうか。あんたは孤児院出身だったわね」
家政婦長がそういえばそうだったという顔で目を丸くする。
家政婦長の言うとおり、ジゼルは孤児院の出身だ。ここから馬車で半時間もすればいける距離に育った孤児院はあり、併設する修道院の修道女たちが、子供たちの面倒を見ている。
まだ乳離れしていない、ほんの赤ん坊の頃に孤児院の門の前に捨てられていたジゼルにとっては、多くの子供たちと過ごす孤児院こそが実家と呼べる場所だった。
使用人の中には乗合馬車や鉄道を使う距離から出稼ぎにきている者も多く、そう言った者たちには週単位での里帰りが認められている。
けれどジゼルは、その気になれば歩いて行ける距離に住んでいることもあって、休みの日に顔を出しに行くこともままあった。そのため長期の里帰りはいらないと、毎度断っているのだ。
「孤児院じゃあ、一度外に出た人間は長居できないしねぇ……」
「できてもせいぜい一泊くらいだし、食事は持参していかないといけませんので。どこもそうですけど、多くの寄付をいただいているミレディス孤児院でさえ、基本は経営難ですから」
孤児院だけでなく、病院や避難施設と言った、社会の中でも弱者が集まりやすいところは、どこも経営が厳しいのが普通だ。
多くは国からの補助金と貴族からの寄付金で成り立っているが、寄付が少ないとたちまち行き詰まり、本当に生活するだけで精一杯になってしまう。娯楽はほとんどなく、つましい生活を送らなければならないのは、子供や病人にとって、なかなかきついものがあるのだ。
「あんたも苦労するね。まぁ、里帰りしなくても、三日は休みにするようにしておくから。あんたもここへきてからずっと働きづめだったし、無駄遣いもないみたいだから、給金もそれなりに貯まっているでしょう。ちょっとは羽を伸ばしておいで」
「はい……。そうさせていただきます」
と答えたものの、実はジゼルに貯金と呼べるものはほとんどない。とある事情で、三年分の給金を前払いにしてもらったからだ。
(とはいえ、来月でちょうど雇ってもらって三年経つから、翌々月からはお給金が手元に入る……。その頃に休暇を入れてもらうようにしよう)
壁際にかかっている暦を見ながら考えていると、ジゼルより五歳ほど年上のメイドが、困った顔で地下室にやってきた。
「午前中はその会合が王城で行われるとのことです。絵画協会主催のもので、内容としては美術学校への留学生の受け入れ条件について」
ここへくる前に家政婦長から渡された『ご主人様の本日の予定』一覧を引き寄せ、ジゼルは淡々と読み上げた。
「その後、王城にて国王ご一家と昼食会、二時から建設中の新劇場の視察、三時に建築工事責任者との挨拶も兼ねて現場近くでアフタヌーンティー、四時に現場を離れ、五時に当家に劇作家が新たな脚本を持参してくる訪問するので、その精査。夕食はそれが終わり次第となりますが……って聞いてます?」
「ジゼルの声は少し低くて耳に心地よく響くなぁ。歌とか歌うのに向いているんじゃない?」
「わたしの声より言葉を聞いてください。予定は頭に入りましたか?」
「全然。別に覚えなくても、連れて行かれた先でそれなりの対応すれば大丈夫でしょ」
それはそうかもしれないが。ジゼルはため息をついた。
「女優のスリーサイズやレースの識別番号は、一度聞いただけですべて覚えてしまわれるのに……」
「そりゃあ僕のこの芸術的センスを刺激してくれるものなら、どんな些細なことでも忘れやしないよ。記憶力とは常に記憶したいものに対してのみ使うべきなんだよ、ジゼル君」
「はいはいわかりました。ということで今日もすごく忙しいので、早く着替えましょう。洗面の支度はこちらに」
「ジゼルは本当にテキパキしているなぁ。ほかのメイドたちは僕が話を振ると、なんでも楽しそうに答えてくれるのに」
……だから家政婦長はわたしばかりを朝の支度に寄越すんだろうなぁ、とジゼルは思う。
美味しいお茶を淹れられる、というのも立派な理由の一つだろうが、ほかのメイドだとこの美麗な主人の話術に巧みに引きずられて、たいてい長々とお喋りを楽しんでしまうのだ。おかげでロイドの支度が遅れ、予定に遅刻しそうになったことは数知れず。
その点ジゼルははいはいと適当にあしらえるので、家政婦長としては積極的に登用したいところなのかもしれない。
洗面が終わったロイドは渡されたふわふわのタオルで顔を拭くと、あくびをかみ殺しながらシャツを脱ぎ捨てる。
さすがに若い男性の裸を見るつもりはないので、今日のお着替えです、と一式渡したあとは、朝食を終えてやってきたロイド付きの従者にあとを引き継ぐ。
使用済みのティーセットと洗面台を乗せたワゴンを押して部屋を出れば、主人の朝の支度は終了である。
(でもさすがに、なかなか起きない旦那様に業を煮やして、毎度毛布を引っぺがしていることがばれたら、朝の支度を言いつけられることはなくなるだろうなぁ)
これだけは秘密にしておかないと、と思いながら、ワゴンを片付けたジゼルは再び地下室へととって返した。
「ご主人様の朝のお支度、終わりました」
「ああ、ご苦労様。ロイド様、今日はすぐにお目覚めになったかい?」
テキパキと厨房に指示を飛ばしていた家政婦長が、少し心配げに尋ねてくる。ジゼルはティーセットを洗い場に運びながらしれっと答えた。
「少し寝不足気味のようでしたが、きちんと起きて紅茶を召し上がっていました」
「そう、それならいいけど。昨夜も遅くまで作業部屋に詰めていらしたようでねぇ、部屋の散らかり具合がいつもに増してすごいのよ」
頬に手を当て、はぁっ、とため息をつく家政婦長は、まるで母親のようにロイドを心配している。
それもそのはず。家政婦長は、もとはロイドの母親である、亡き公爵夫人付きの侍女だったのだ。早くに亡くなった女主人に代わり、ロイドを立派に育て上げた彼女は、人一倍ロイドの健康や働き方に敏感になっている。
彼女を見るたび、母親ってこういうものなのかな、とジゼルの胸はくすぐったさと少しのさみしさに小さく震えるのだった。
「あ、そうそう、今年もそろそろ使用人たちの里帰りを始めるんだけど。ジゼルはいつ頃がいいかね?」
「去年と同じで、最後のほうでいいですよ。それに何週間も帰るわけじゃありませんし、せいぜい一泊するくらいですから」
「ああ、そうか。あんたは孤児院出身だったわね」
家政婦長がそういえばそうだったという顔で目を丸くする。
家政婦長の言うとおり、ジゼルは孤児院の出身だ。ここから馬車で半時間もすればいける距離に育った孤児院はあり、併設する修道院の修道女たちが、子供たちの面倒を見ている。
まだ乳離れしていない、ほんの赤ん坊の頃に孤児院の門の前に捨てられていたジゼルにとっては、多くの子供たちと過ごす孤児院こそが実家と呼べる場所だった。
使用人の中には乗合馬車や鉄道を使う距離から出稼ぎにきている者も多く、そう言った者たちには週単位での里帰りが認められている。
けれどジゼルは、その気になれば歩いて行ける距離に住んでいることもあって、休みの日に顔を出しに行くこともままあった。そのため長期の里帰りはいらないと、毎度断っているのだ。
「孤児院じゃあ、一度外に出た人間は長居できないしねぇ……」
「できてもせいぜい一泊くらいだし、食事は持参していかないといけませんので。どこもそうですけど、多くの寄付をいただいているミレディス孤児院でさえ、基本は経営難ですから」
孤児院だけでなく、病院や避難施設と言った、社会の中でも弱者が集まりやすいところは、どこも経営が厳しいのが普通だ。
多くは国からの補助金と貴族からの寄付金で成り立っているが、寄付が少ないとたちまち行き詰まり、本当に生活するだけで精一杯になってしまう。娯楽はほとんどなく、つましい生活を送らなければならないのは、子供や病人にとって、なかなかきついものがあるのだ。
「あんたも苦労するね。まぁ、里帰りしなくても、三日は休みにするようにしておくから。あんたもここへきてからずっと働きづめだったし、無駄遣いもないみたいだから、給金もそれなりに貯まっているでしょう。ちょっとは羽を伸ばしておいで」
「はい……。そうさせていただきます」
と答えたものの、実はジゼルに貯金と呼べるものはほとんどない。とある事情で、三年分の給金を前払いにしてもらったからだ。
(とはいえ、来月でちょうど雇ってもらって三年経つから、翌々月からはお給金が手元に入る……。その頃に休暇を入れてもらうようにしよう)
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