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第二章 日本編一
グラミー・ハンティング 勝利を求めし者たち
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梅雨のように降り続く冷たい雨の日。私は通院のために借りた近くのマンションへと急いでいた。徹底的に検査をしてもらい、結局2カ月に及ぶ入院生活となった。体の方は一旦リセットされた。
ページの父,叔父ともに、プロジェクトへの拠出については、あっさりと許可を出してくれた。当然このお金はページへの期待の表れであろうが、私にはそれと同時に、自分たちのルーツである母が住むジャマイカへの恩返しみたいな、そんなお金の使い方のような気がした。
条件は一切なし、領収書もいらない、限度額まで一円残らず使い切っていいと言われた。夢のような話だった。
ページ、タヨと会ってから退院までわずかな日々だったが、毎日のように、彼らとこれからについての話をした。最初に彼らと会ったこの屋上が、いつものミーティングスペースとなった。タヨが看護師姿の時もあった。
二人は当然のように私の歴史にもっと興味がありそうだった。私は残り時間が少なくなってきている、今は未来について話そうと、このプロジェクトだけを話題にした。私の深いところの過去についてはいずれ話す機会もあるだろうと思った。
三人だけのミーティング第一日目、会話は進んだ。
「私が退院したらすぐにでも、中田社長、将生さんと五人で会って話をしたいと思います。ズームでもいいのですが、レゲエってなんかそんな感じじゃないですよね。ですから、それまで、私たち三人で方向性を決めておきましょう。どうでしょうか?」私から話を切り出した。
「僕は来年四月から休校することにします。タヨは有給休暇扱いの長期休暇だったよね」
「院内的には秘密。ありえない待遇だから。何せ看護師人気ナンバーワンです。理事長が手放すはずがない」タヨのほほ笑みは何時ものようにとても美しかった。
「一曲目は、誰が書くにしろ、ぎりぎりの時間まで、十年に一曲出来るかどうかレベルの曲を選びましょう」私は経験上レゲエでビルボードのポップチャート上位に来る曲が簡単に出来るとは思っていない。
「基本的なことですが、私はたくさん聴かれる歌が、一般的に言ういい歌、言い方を替えればそれこそがヒット曲だと思います」本音とは少しだけ違うかなとも思ったが、何せ二億円を出してもらっている。あらあら駄目でしたでは済まされない」
「僕たちも、もちろんそうだと思うけど、基本やっぱレゲエです。ね、タヨ」タヨはページに同意したように頷いて言った。「はい、レゲエです」
「誤解しないで欲しいのですが、もちろんレゲエが基本です。ですが、たくさんの人々に聴いてもらえる曲にするは、今のレゲエだけでは難しいと思います」
「例えばボブ・マーレィのプロダクションに、プロデュ―サーだったクリス・ブラックウェルがアメリカのロックギターリストに味付けを頼んだって話は有名です」
「何かちょっとした別のエッセンスを加えることは悪い事ではないと思いますよ」私は、外務省を辞めてからレゲエの制作に携わった長い月日で感じていたこと、レゲエはこうじゃないといけない、という概念を誰に対しても押し付けようとは思わない。
実際そのようなものは無いというのが正解であろうとも思う。十年くらい前、グラミー賞においては形が何であれ、ジャズ、ロック、例えクラシックでさえ、ジャマイカでレコーディングされたアルバムは全て自動的にレゲエのジャンルにエントリーされた。
ジャマイカのミュージシャンの間ではジャズはよく演奏される。
ただ、今はアルバムの51%以上レゲエのエッセンスが含まれていないと他のジャンルに移される可能性がある。一番多いのはポップス部門への強制移行、ここは毎年一番の激戦区。レゲエとしての思いを込めて制作したものが、残念ながらポップスフィールドで戦えるはずもない。
「エントリーに51%以が必要とされるレゲエのエッセンス、なんだと思いますか?」
「基本はズンチャ、ズンチャみたいな裏打ちのビートとダンスホールですよね」ページは当たり前のことを言った。
「グラミーにおいては、この51%はコミッティーメンバーの主観で決まります。レゲエはそれだけで独立したコミッティーが成立していなくて、他のジャンルも兼ねています。とても忙しそうです。とにかくどんな形であれコミッティーのレゲエに対する考え方、聞き方に全てがかかっています」
私は、二度このスクリーニングに引っ掛かりレゲエ部門からポップス部門に移された経験がある。レゲエ部門のエントリーアルバムの枚数が概ね六十に対し、ポップス部門には四百以上のエントリーがあった。
当時その中にはレディーガガや、アメリカのメジャー、デフジャムと契約していた宇多田ヒカルさんの名があったのを覚えている。この時はノミネートされる確率がはるか彼方に遠のいたことを実感した。
このジャンル替えされた二枚のアルバムは日本のソニーと共同で制作した、Jポップの英語カバーアルバムだった。もちろんレゲエのエッセンスは十分残すように気を付けての制作ではあったが。皮肉なことに、この二枚のアルバムが数字的に私の歴史上一番のヒット作になったのだった。
今でも当時の担当ディレクターにはレゲエで勝負できなかったこと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「ですから、そうですね、毎年エントリー発表の一週間まえあたりから結構どきどきでした。私がプロデュースしたこれら二枚のアルバムでエントリーした時は、コミッティーに親切な方がいて、ポップス部門に移されることを予め電話で知らせてくれました。悲しい知らせでした」
「コミッティーの決定が絶対で、控訴みたいなことはできません。ただ、わずかな望みでしたが、ジャンル上優位にあるポップス部門のコミッティーが、このアルバムはレゲエに差し戻しと決めてしまえば、レゲエでのエントリーが成立するとも言われました。まあ、今まで、差し戻しが実現したと聞いたことはありません」
更に続けた、「グラミーには、テクニカルな部分があり、エントリーには非常に神経を使います。期限内にちゃんとリリースされたか、コミッティーは厳しくチェックします。何かミスを犯していたらエントリーはキャンセルされます。エントリーが出来なければノミネーションもありません」
「今と違って、私がグラミーハンターの世界に足を踏み入れた時は、デジタルリリースだけでのエントリーはできない時代でした。レコーディングも二インチ24トラックのアナログだけ」
「音楽制作にコンピューターはまだ使われてなくて、せいぜいアカイのサンプリングマシーンで、記憶媒体がフロッピーディスクでした」
「わかりますか、フロッピーって? 一枚当たりの容量が確か1キロバイトくらいしかなかったですね。そんな昔のことはどうでもいいのですが、つまりグラミーにエントリーするためには、物理的リリースが必要だったのです」
「当時はまだタワーレコードみたいなお店がたくさんありました。アマゾンが世界一大きなレコード屋さんになる一つ前の時代ですね」
「自分でCDを手に取って発売を確かめたものです」別に昔を懐かしんでいたわけではなかったが、一応簡単な歴史を知っておくのも、彼らにとってこれからの制作活動のプラスになると思った」
今はレゲエも、ほとんどがデジタルだけになってしまっている。今回のプロジェクトにも制作段階でのアナログは考えていないが、少なくても7インチのアナログ盤はリリースしたいと思う。やはりアナログの音は、温かで柔らかく、レゲエに合っている。
デジタルを嫌っているわけではない。実はジャマイカに初めてデジタルを持ち込んだのは私だった。ソニーのDATが発売された瞬間に4台注文した。
DATとはデジタル・オーディオ・テープレコーダーの略。民生品は全く売れなかった記憶が有る。テープ自体の入手が困難で、しかも非常に高価だった。
当時のソニーのアナログ・デジタル・コンバーターがすぐれていたのか、16ビット44.1キロヘルツだったが、アナログに近い音がした。プロ仕様のDATは、あっという間にジャマイカの音楽業界に広まった。残念なことにレコーディング機器の進化で、今はこの革新的な製品だったDATも淘汰されてしまった。技術的な回顧はここまでにしておいた。
「前にも話したように、基本グラミー狙いで、予定一年間のプロジェクト。6曲入りのミニアルバムで、進行具合に余裕があればボーナストラックとして一曲追加。これでよろしいですね?」
この予定は中田社長、将生さんを交えてのミーティングで変わるかもしれないが、時間的にはジャマイカの制作テンポに歩調を合わせると、デッドラインを越さない範囲で最も多い曲数になると思えた。
「あなた方のポテンシャルを考えると、十数曲入りのアルバムが望ましいと思いますが、今回は6曲で、うち3曲、大体二カ月に1枚の割合でビデオありのシングルをリリースしましょう」
「アメリカでビルボードチャートの5位以内に入り、そのポジションが二カ月続けば、メジャーとのスーパースター契約が向こうから舞い込んできます。私の夢です。その時はその時で、プロジェクトを延長するかどうか考えるとして、先ず、ジャマイカでレコーディングする一曲に集中しましょう」
「カズさん、視点が違いますね。海外を先に見てる」タヨにも現実味が増してきたようだ。
ページは冷静に今後を確かめるように何度も頷きながら話をきいていた。
ページの父,叔父ともに、プロジェクトへの拠出については、あっさりと許可を出してくれた。当然このお金はページへの期待の表れであろうが、私にはそれと同時に、自分たちのルーツである母が住むジャマイカへの恩返しみたいな、そんなお金の使い方のような気がした。
条件は一切なし、領収書もいらない、限度額まで一円残らず使い切っていいと言われた。夢のような話だった。
ページ、タヨと会ってから退院までわずかな日々だったが、毎日のように、彼らとこれからについての話をした。最初に彼らと会ったこの屋上が、いつものミーティングスペースとなった。タヨが看護師姿の時もあった。
二人は当然のように私の歴史にもっと興味がありそうだった。私は残り時間が少なくなってきている、今は未来について話そうと、このプロジェクトだけを話題にした。私の深いところの過去についてはいずれ話す機会もあるだろうと思った。
三人だけのミーティング第一日目、会話は進んだ。
「私が退院したらすぐにでも、中田社長、将生さんと五人で会って話をしたいと思います。ズームでもいいのですが、レゲエってなんかそんな感じじゃないですよね。ですから、それまで、私たち三人で方向性を決めておきましょう。どうでしょうか?」私から話を切り出した。
「僕は来年四月から休校することにします。タヨは有給休暇扱いの長期休暇だったよね」
「院内的には秘密。ありえない待遇だから。何せ看護師人気ナンバーワンです。理事長が手放すはずがない」タヨのほほ笑みは何時ものようにとても美しかった。
「一曲目は、誰が書くにしろ、ぎりぎりの時間まで、十年に一曲出来るかどうかレベルの曲を選びましょう」私は経験上レゲエでビルボードのポップチャート上位に来る曲が簡単に出来るとは思っていない。
「基本的なことですが、私はたくさん聴かれる歌が、一般的に言ういい歌、言い方を替えればそれこそがヒット曲だと思います」本音とは少しだけ違うかなとも思ったが、何せ二億円を出してもらっている。あらあら駄目でしたでは済まされない」
「僕たちも、もちろんそうだと思うけど、基本やっぱレゲエです。ね、タヨ」タヨはページに同意したように頷いて言った。「はい、レゲエです」
「誤解しないで欲しいのですが、もちろんレゲエが基本です。ですが、たくさんの人々に聴いてもらえる曲にするは、今のレゲエだけでは難しいと思います」
「例えばボブ・マーレィのプロダクションに、プロデュ―サーだったクリス・ブラックウェルがアメリカのロックギターリストに味付けを頼んだって話は有名です」
「何かちょっとした別のエッセンスを加えることは悪い事ではないと思いますよ」私は、外務省を辞めてからレゲエの制作に携わった長い月日で感じていたこと、レゲエはこうじゃないといけない、という概念を誰に対しても押し付けようとは思わない。
実際そのようなものは無いというのが正解であろうとも思う。十年くらい前、グラミー賞においては形が何であれ、ジャズ、ロック、例えクラシックでさえ、ジャマイカでレコーディングされたアルバムは全て自動的にレゲエのジャンルにエントリーされた。
ジャマイカのミュージシャンの間ではジャズはよく演奏される。
ただ、今はアルバムの51%以上レゲエのエッセンスが含まれていないと他のジャンルに移される可能性がある。一番多いのはポップス部門への強制移行、ここは毎年一番の激戦区。レゲエとしての思いを込めて制作したものが、残念ながらポップスフィールドで戦えるはずもない。
「エントリーに51%以が必要とされるレゲエのエッセンス、なんだと思いますか?」
「基本はズンチャ、ズンチャみたいな裏打ちのビートとダンスホールですよね」ページは当たり前のことを言った。
「グラミーにおいては、この51%はコミッティーメンバーの主観で決まります。レゲエはそれだけで独立したコミッティーが成立していなくて、他のジャンルも兼ねています。とても忙しそうです。とにかくどんな形であれコミッティーのレゲエに対する考え方、聞き方に全てがかかっています」
私は、二度このスクリーニングに引っ掛かりレゲエ部門からポップス部門に移された経験がある。レゲエ部門のエントリーアルバムの枚数が概ね六十に対し、ポップス部門には四百以上のエントリーがあった。
当時その中にはレディーガガや、アメリカのメジャー、デフジャムと契約していた宇多田ヒカルさんの名があったのを覚えている。この時はノミネートされる確率がはるか彼方に遠のいたことを実感した。
このジャンル替えされた二枚のアルバムは日本のソニーと共同で制作した、Jポップの英語カバーアルバムだった。もちろんレゲエのエッセンスは十分残すように気を付けての制作ではあったが。皮肉なことに、この二枚のアルバムが数字的に私の歴史上一番のヒット作になったのだった。
今でも当時の担当ディレクターにはレゲエで勝負できなかったこと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「ですから、そうですね、毎年エントリー発表の一週間まえあたりから結構どきどきでした。私がプロデュースしたこれら二枚のアルバムでエントリーした時は、コミッティーに親切な方がいて、ポップス部門に移されることを予め電話で知らせてくれました。悲しい知らせでした」
「コミッティーの決定が絶対で、控訴みたいなことはできません。ただ、わずかな望みでしたが、ジャンル上優位にあるポップス部門のコミッティーが、このアルバムはレゲエに差し戻しと決めてしまえば、レゲエでのエントリーが成立するとも言われました。まあ、今まで、差し戻しが実現したと聞いたことはありません」
更に続けた、「グラミーには、テクニカルな部分があり、エントリーには非常に神経を使います。期限内にちゃんとリリースされたか、コミッティーは厳しくチェックします。何かミスを犯していたらエントリーはキャンセルされます。エントリーが出来なければノミネーションもありません」
「今と違って、私がグラミーハンターの世界に足を踏み入れた時は、デジタルリリースだけでのエントリーはできない時代でした。レコーディングも二インチ24トラックのアナログだけ」
「音楽制作にコンピューターはまだ使われてなくて、せいぜいアカイのサンプリングマシーンで、記憶媒体がフロッピーディスクでした」
「わかりますか、フロッピーって? 一枚当たりの容量が確か1キロバイトくらいしかなかったですね。そんな昔のことはどうでもいいのですが、つまりグラミーにエントリーするためには、物理的リリースが必要だったのです」
「当時はまだタワーレコードみたいなお店がたくさんありました。アマゾンが世界一大きなレコード屋さんになる一つ前の時代ですね」
「自分でCDを手に取って発売を確かめたものです」別に昔を懐かしんでいたわけではなかったが、一応簡単な歴史を知っておくのも、彼らにとってこれからの制作活動のプラスになると思った」
今はレゲエも、ほとんどがデジタルだけになってしまっている。今回のプロジェクトにも制作段階でのアナログは考えていないが、少なくても7インチのアナログ盤はリリースしたいと思う。やはりアナログの音は、温かで柔らかく、レゲエに合っている。
デジタルを嫌っているわけではない。実はジャマイカに初めてデジタルを持ち込んだのは私だった。ソニーのDATが発売された瞬間に4台注文した。
DATとはデジタル・オーディオ・テープレコーダーの略。民生品は全く売れなかった記憶が有る。テープ自体の入手が困難で、しかも非常に高価だった。
当時のソニーのアナログ・デジタル・コンバーターがすぐれていたのか、16ビット44.1キロヘルツだったが、アナログに近い音がした。プロ仕様のDATは、あっという間にジャマイカの音楽業界に広まった。残念なことにレコーディング機器の進化で、今はこの革新的な製品だったDATも淘汰されてしまった。技術的な回顧はここまでにしておいた。
「前にも話したように、基本グラミー狙いで、予定一年間のプロジェクト。6曲入りのミニアルバムで、進行具合に余裕があればボーナストラックとして一曲追加。これでよろしいですね?」
この予定は中田社長、将生さんを交えてのミーティングで変わるかもしれないが、時間的にはジャマイカの制作テンポに歩調を合わせると、デッドラインを越さない範囲で最も多い曲数になると思えた。
「あなた方のポテンシャルを考えると、十数曲入りのアルバムが望ましいと思いますが、今回は6曲で、うち3曲、大体二カ月に1枚の割合でビデオありのシングルをリリースしましょう」
「アメリカでビルボードチャートの5位以内に入り、そのポジションが二カ月続けば、メジャーとのスーパースター契約が向こうから舞い込んできます。私の夢です。その時はその時で、プロジェクトを延長するかどうか考えるとして、先ず、ジャマイカでレコーディングする一曲に集中しましょう」
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