愛したい、愛されたい ─心を満たしてくれた君へ─

櫻井音衣

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彼女の存在 3

「そんなに肩とか出してたら冷えるよ。上着は着ておいた方がいいんじゃないか」

俺が上着を手に取って肩に掛けようとすると、吉野は俺の手を握ってそれを阻んだ。

「だったら三島くんがあっためてよ」
「…………え?」

突然何を言い出すんだ。
俺の体温で温めろと言ってるのか?
冬山で遭難したわけでもあるまいし、俺は夏のこの暑いときにそんなことをするつもりはない。

「なんの冗談?」
「冗談じゃなくて……三島くんは私にキスしたいとか触りたいとか思わないの?」

吉野は女の欲望をむき出しにした目で、俺の目をじっと見つめる。

「そんなことは考えないよ。俺も吉野も、今は大事なときだろ?」

俺がキッパリと言い切ると、吉野はうつむいて俺の手を強く握った。

「私は三島くんが好きだから、三島くんとならいつそうなってもいいって思ってるのに……」

好きだと言ってくれるのは嬉しい。
だけど俺はやっぱり吉野と体の関係を持ちたいとは思えないし、吉野が俺を誘う表情は、めかし込んで香水の匂いをさせながら俺に見向きもせず出掛けていく、女の顔をした母の姿を思い出させて、嫌悪感を覚えた。

「俺はそういうことするつもりで吉野を部屋に連れて来たんじゃないよ。吉野が二人でゆっくり話したいって言うから連れて来ただけ。俺、明日模試だから、話すことないならリビングに戻って勉強したいんだけど」

自分の手から吉野の手をほどきながらそう言うと、吉野はうつむいたまま唇を噛んだ。

「私のこと好きじゃないの?」
「そういう問題じゃなくて、今はただ余計なことは考えたくないだけ」

好きじゃないのかという問い掛けには答えず、正直な気持ちを伝えた。
すると吉野は一瞬顔を上げて目を見開き、その大きく開いた目を潤ませる。

「三島くん、私には全然優しくない。三島くんにとって私とのことは余計なことなんだ……」

なんだか話がややこしくなってきた。
俺は受験前の大事なときに快楽に溺れて我を忘れるようなことはしたくないだけなのに、どうしてわかってくれないんだろう?
むしろこんなくだらない押し問答に時間を割く方が余計なことのような気までしてくる。

「俺は大事にしてるつもりなんだけど、それだけじゃ吉野は満足できないんだな。吉野がそんなにしたいならしてもいいけど、後先考えずにやって妊娠なんかしても、俺はまだ高校生だし大学にも行きたいから、なんの責任も持てないよ。それでもいいのか?」

少し苛立っているのをできるだけ表に出さないように冷静に話したつもりだけど、吉野にはそれがさらに俺に突き放されたように感じたらしい。
吉野の目から涙がボロボロとこぼれ落ちた。

「そんな言い方ひどい……」

ひどいってどの辺が?
責任も取れないのに簡単に手を出して、何かあったら責任逃れする方がひどいとは思わないんだろうか。
なんにせよ、俺は吉野を泣かせてしまったことと、付き合うってめんどくさいなどと思ってしまったことへの罪悪感で、なんとか吉野をなだめようと目一杯優しく頭を撫でた。

「きつい言い方になってごめん。でも俺は吉野を大事にしたいと思ってるから、いい加減なことはしたくないんだ」

自分にこんな声が出せるのかと気持ち悪くなるくらいに甘い声でそう言うと、吉野は両手の甲で涙を拭いながら、チラッと俺を見上げた。

「……本当にそう思ってる?」
「本当にそう思ってる。だからもう泣くなよ」

俺が吉野を好きかどうかはともかく、俺を好きだと言ってくれる吉野を大事にしたいと思っていることは嘘じゃない。
今後も付き合っていればぶち当たる壁なのだろうけど、今はまだその壁を越えるときではないと俺は思う。

「とりあえず今は受験に集中したい。俺はうちの大学じゃなくて、もう少し上のランクの別の大学に行くつもりだから、今ここで気を抜くわけにはいかないんだ。入試が済んだら今よりもっと会えるから、もう少しだけ待ってて」
「うん……わかった」

なんとかわかってくれたようだとホッと胸を撫で下ろした。
それから吉野はコーヒーを飲んで少し落ち着いたあと、俺の勉強の邪魔になると悪いからと言って帰って行った。
吉野が帰ると、リビングの掃除をしていた英梨さんは、意外そうな目をして俺を見た。

「ずいぶん早いお帰りで」
「俺の勉強の邪魔をしたくないんだって」
「ふーん……私はてっきり……」

英梨さんがそこで言葉を濁したので、さっきの言葉がいやみとか皮肉の類いなのだと気付いた。

「てっきり……何?俺と吉野が部屋でいかがわしいことでもしてると思ってた?」
「いいえ、そんなことは思ってませんよ。夕食も二人分ご用意した方がいいのかなと思ってただけです」

嘘つけ、俺たちが部屋でいちゃついてるとか、絶対に思ってただろう?
俺はそう言い返してやりたいのをグッとこらえて、勉強の続きを始めた。


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