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重ねた面影
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「遠距離恋愛中の彼がいるんです」
「遠距離恋愛……ですか?」
「付き合いだして半年ほどで彼が転勤になって……それからもう1年になります」
「1年?それはまた……」
逸樹は少し驚いた様子で、香織の次の言葉を待った。
「仕事で忙しくてもなんとか時間を作って、月に一度は会いに来てくれて……電話とかメールとか連絡も途絶えずに、それなりにうまくいってたと思うんですが……ここしばらくは連絡が取れないんです」
「……それは心配ですね」
「もう私のことは好きじゃないのかなとか……もしかしたら他に好きな人でもできたのかなとか……。何も言ってくれないから、どうすることもできなくて」
逸樹は腕を組んで、何か考えているようだ。
香織は逸樹が返事に困っているのだと思い、愛想笑いを浮かべた。
「すみません、こんなつまらない話で」
「いや……つまらなくはないですよ。彼に何があったのかはわかりませんけど……僕だったら1年も離れて耐えられる自信はないです」
「……奥さんとですか?」
「はい。毎日一緒にいても、お互いに拭えない不安っていうのはあるんです」
逸樹はそう言って小さくため息をついた。
その様子を見て、もしかして悩みがあるのは逸樹の方なのではないかと香織は思う。
「村岡主任こそ何か悩みでもおありですか?」
図星をつかれた逸樹は、少しばつが悪そうな顔をした。
「悩みっていうほどでもないかも知れないんですけどね……」
「私で良ければ、聞くぐらいはできますよ?」
さっき自分が言った言葉をそっくりそのまま返された逸樹は、少し照れくさそうに苦笑いを浮かべた。
「僕の妻はね……僕がいつか離れていくんじゃないかと不安みたいです」
「結婚して毎日一緒にいてもですか?」
「僕たちには子供がいないから、余計にそう思うのかも知れません」
まだ若いのだから、この先子供を授かる可能性ならいくらでもあるはずなのに、なぜそれが不安なのか。
香織は首をかしげた。
「村岡主任は新婚ですか?」
「いえ、結婚7年目ですよ」
意外な返事に香織は驚いた顔をしている。
「えっ、7年目……?!若いうちに結婚されたんですね」
「結婚した時は、子供なんて一緒に暮らしていればすぐにできるもんだと思ってました。でもね……どれだけ望んでも手に入らない物もあるんだって、初めて知りました」
逸樹は、どうして子供をあきらめたのかをゆっくりと順を追って話した。
妻の体質や、不妊治療の末にやっと授かった子の流産を二度も経験したこと。
これ以上心身ともに妻に負担をかけさせたくないと、この先の長い人生を夫婦二人で生きると決めたこと。
それはまだ独身で結婚に対しておぼろげな夢を描いている香織には、かなりショックな話だった。
「子供がいないとね、僕も妻も、何年経っても新婚みたいでいいねって言われるんです。確かにそうかも知れないけど……僕たちは心から子供を望んでいたから、それって残酷な言葉ですよね」
逸樹には子供がいないと聞いて、香織は同じことを思っていた。
悪気なく言ったなにげない一言で誰かを傷付けてしまうかも知れない怖さ。
当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではないという事実を初めて知った。
「妻が言うんです。僕にはその気がなくても、恋愛感情とか下心を持って近付いて来る人もいるんだって。僕はそんなことないと思うんだけど、たまに相手に勘違いさせてるらしいんですよね」
「……それはなんとなくわかります」
自分もそのうちの一人だったのかと、香織は変な汗が背中ににじむのを感じた。
「もし僕が他の誰かを好きになったら、子供を産めない自分は簡単に捨てられるって妻は思ってるみたいで。妻以外の女性にはまったく興味がないって僕はいつも言うんですけど、それでも不安なんでしょうね。僕はそんなに信用されてないのかな」
香織の目には、逸樹の顔が、どことなく寂しげに見えた。
この人は間違いなく、誰よりも深く奥さんを愛している。
奥さんもまた、誰よりも夫を愛しているから不安になるのだと香織は思う。
最初から他の誰かが入り込む余地なんてない。
もちろん、香織自身も含めて。
「私は……信じていないわけじゃないけど好きだから不安になるって奥さんの気持ち、わかりますよ」
「わかるんですか?」
意外そうに尋ねる逸樹の言葉に、香織は思わず小さく笑った。
「わかります。私も同じ女性ですからね」
「僕は同じ男性の考えていることでも、まったくわからないことはあります」
そう言って逸樹はため息をついた。
「遠距離恋愛……ですか?」
「付き合いだして半年ほどで彼が転勤になって……それからもう1年になります」
「1年?それはまた……」
逸樹は少し驚いた様子で、香織の次の言葉を待った。
「仕事で忙しくてもなんとか時間を作って、月に一度は会いに来てくれて……電話とかメールとか連絡も途絶えずに、それなりにうまくいってたと思うんですが……ここしばらくは連絡が取れないんです」
「……それは心配ですね」
「もう私のことは好きじゃないのかなとか……もしかしたら他に好きな人でもできたのかなとか……。何も言ってくれないから、どうすることもできなくて」
逸樹は腕を組んで、何か考えているようだ。
香織は逸樹が返事に困っているのだと思い、愛想笑いを浮かべた。
「すみません、こんなつまらない話で」
「いや……つまらなくはないですよ。彼に何があったのかはわかりませんけど……僕だったら1年も離れて耐えられる自信はないです」
「……奥さんとですか?」
「はい。毎日一緒にいても、お互いに拭えない不安っていうのはあるんです」
逸樹はそう言って小さくため息をついた。
その様子を見て、もしかして悩みがあるのは逸樹の方なのではないかと香織は思う。
「村岡主任こそ何か悩みでもおありですか?」
図星をつかれた逸樹は、少しばつが悪そうな顔をした。
「悩みっていうほどでもないかも知れないんですけどね……」
「私で良ければ、聞くぐらいはできますよ?」
さっき自分が言った言葉をそっくりそのまま返された逸樹は、少し照れくさそうに苦笑いを浮かべた。
「僕の妻はね……僕がいつか離れていくんじゃないかと不安みたいです」
「結婚して毎日一緒にいてもですか?」
「僕たちには子供がいないから、余計にそう思うのかも知れません」
まだ若いのだから、この先子供を授かる可能性ならいくらでもあるはずなのに、なぜそれが不安なのか。
香織は首をかしげた。
「村岡主任は新婚ですか?」
「いえ、結婚7年目ですよ」
意外な返事に香織は驚いた顔をしている。
「えっ、7年目……?!若いうちに結婚されたんですね」
「結婚した時は、子供なんて一緒に暮らしていればすぐにできるもんだと思ってました。でもね……どれだけ望んでも手に入らない物もあるんだって、初めて知りました」
逸樹は、どうして子供をあきらめたのかをゆっくりと順を追って話した。
妻の体質や、不妊治療の末にやっと授かった子の流産を二度も経験したこと。
これ以上心身ともに妻に負担をかけさせたくないと、この先の長い人生を夫婦二人で生きると決めたこと。
それはまだ独身で結婚に対しておぼろげな夢を描いている香織には、かなりショックな話だった。
「子供がいないとね、僕も妻も、何年経っても新婚みたいでいいねって言われるんです。確かにそうかも知れないけど……僕たちは心から子供を望んでいたから、それって残酷な言葉ですよね」
逸樹には子供がいないと聞いて、香織は同じことを思っていた。
悪気なく言ったなにげない一言で誰かを傷付けてしまうかも知れない怖さ。
当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではないという事実を初めて知った。
「妻が言うんです。僕にはその気がなくても、恋愛感情とか下心を持って近付いて来る人もいるんだって。僕はそんなことないと思うんだけど、たまに相手に勘違いさせてるらしいんですよね」
「……それはなんとなくわかります」
自分もそのうちの一人だったのかと、香織は変な汗が背中ににじむのを感じた。
「もし僕が他の誰かを好きになったら、子供を産めない自分は簡単に捨てられるって妻は思ってるみたいで。妻以外の女性にはまったく興味がないって僕はいつも言うんですけど、それでも不安なんでしょうね。僕はそんなに信用されてないのかな」
香織の目には、逸樹の顔が、どことなく寂しげに見えた。
この人は間違いなく、誰よりも深く奥さんを愛している。
奥さんもまた、誰よりも夫を愛しているから不安になるのだと香織は思う。
最初から他の誰かが入り込む余地なんてない。
もちろん、香織自身も含めて。
「私は……信じていないわけじゃないけど好きだから不安になるって奥さんの気持ち、わかりますよ」
「わかるんですか?」
意外そうに尋ねる逸樹の言葉に、香織は思わず小さく笑った。
「わかります。私も同じ女性ですからね」
「僕は同じ男性の考えていることでも、まったくわからないことはあります」
そう言って逸樹はため息をついた。
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