季節外れのサクラの樹に、嘘偽りの花が咲く

櫻井音衣

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恋と喧嘩は一人でできぬ

「あったかい……」

溢れそうになる涙を見られないように、マスターの胸に顔をうずめた。
タバコの匂いと微かなフレグランスの香りが鼻孔をくすぐり、初めて感じる大人の男の色気にゾクゾクする。
マスターは私を抱きしめて、優しく頭を撫でてくれた。

「俺で良ければ、いくらでも胸貸すよ」
「あんまり甘やかすとためになりませんよ。どんどんダメになっちゃいます」
「いいよ。そん時は俺が守ってあげるから」

私を甘やかす優しい言葉が心地いい。
この人なら私のすべてを受け止めてくれるのかも知れない。
過去も未来も、何も考えずにこの腕の中で甘えていられたらいいのに。
心のどこかで、そう思った。
ずるいのは、私も同じだ。

それからしばらくの間、マスターはただ黙って私を抱きしめ、何度も何度も優しく頭を撫でてくれた。
今までに経験のなかった、私の知らない心地よさだった。
公園を出てからマンションまでの道のりを、マスターはあたたかい手で私の手を引いて歩いてくれた。
まるでそうするのが当たり前とでも言うように自然な流れで、マスターと手を繋いで歩くのはちっともイヤな気がしなかった。
マンションの下まで来ると、マスターは私の顔を見つめながら『おやすみ』と言って、また頭を撫でてくれた。
軽く手を振って帰っていくマスターの背中を眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。
いつもより鼓動が早い。
こんなふうに男の人にドキドキしたのは、いつ以来だろう?
順平と初めて会った時に感じたときめきとも、少し違うと思う。
それはまだ恋なんて呼べるものではないけれど、私は久しぶりに胸が高鳴るのを感じていた。


部屋に帰ると、お風呂上がりの順平がチラリと横目で私を見た。

「ただいま……」

こんなときに限ってどうして顔を合わせるのか。
なんとなく気恥ずかしくて、順平の目を見ずにリビングを横切ろうとした。

「遅かったな」
「ああ、うん。マスターにコーヒーご馳走になってたから」
「ふーん……コーヒーね……」

マスターにコーヒーをご馳走になってたのは本当の事だし、マスターとの間にやましい事は何もないはずなのに、順平の視線が私とマスターの関係を疑い、勘ぐっているのではないかと思わせた。
その疑わしげな視線に耐えかねて、私は思わず立ち止まり順平を軽くにらむ。

「何よ。なんか言いたい事があるならハッキリ言えばいいでしょ」

順平は意味ありげにニヤニヤ笑っている。

「別にぃ?どうせならマスターの部屋に泊まってモーニングコーヒー飲んで来れば良かったのになーって思っただけ」

さっきまでマスターに抱きしめられていた私にとって、その言葉は妙に生々しい。
あろうことか、マスターと裸で抱き合った翌朝を想像してしまったじゃないか。


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