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待たれる間が花、待つ男は大人?

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マンションの前に停まっている見覚えのある車のそばでは、マスターが佇んでいた。
普段は薄暗い店内か暗い夜道でしか顔を合わせないから、明るい陽射しの下で見るマスターはいつもと少し違って見える。
マスターは私の姿に気付くと、ニコリと笑って右手をあげた。

「朱里ちゃん、おはよう」
「おはようございます。お待たせしてごめんなさい」
「大丈夫、さっき着いたとこだからね。さ、どうぞ」

マスターは助手席のドアを開けてくれた。
自然にエスコートができるあたり、マスターはやっぱり大人だなと思う。
ちっともイヤミがない。
こんなふうにスマートな身のこなしでエスコートしてくれた人は今までいなかったから、かなり新鮮だ。
助手席に座ってシートベルトを締めた。
マスターも運転席に座り、シートベルトを締めた。
前にこの車に乗ったのは壮介の部屋に荷物を取りに行った時で、運転席にいたのはめんどくさそうにブツブツ文句を言う順平だったけれど、今日はいつもと少し違うマスターがいる。
なんだか落ち着かない。

「どこか行きたい所はある?」

マスターはゆっくりと車を発進させ、前を向いて運転しながら話し掛ける。

「うーん……。デートスポットみたいな場所はあまりよく知らないので……マスターにお任せします」
「実は俺もよく知らないんだ、もうずっとデートなんてしてないから。じゃあ、ドライブでもしながら二人で考えようか。それと……今日はマスターって言うのは無しで」
「えーと……梶原さん?」
「できれば名前の方で」

マスターの名前ってなんて言うんだっけ?
苗字は覚えているけれど名前は覚えてません!とは、さすがに言いづらい。

「覚えてないかな。早苗って言うんだ。子供の頃は女みたいな名前だってよくからかわれたからあまり好きじゃないんだけどね、朱里ちゃんにならそう呼ばれてもいいかなぁって。むしろそう呼ばれたい」
「そうなんですか……?じゃあ、今日はマスターじゃなく早苗さんで」

呼び慣れない名前で呼ぶと、なんとなく照れくさいような、くすぐったいような気持ちになる。
ちょっとソワソワしたりなんかして、そうそう、初めてのデートって確かこんな感じだったっけ。

「緊張してる?」
「……少し」
「普段通りでいいんだよ」

普段通りでと言われても、既にもうすべてが普段とは違う。
バーからの帰り道を一緒に歩いている時も二人きりだけど、車の中だと更に『二人きり』感が増してドキドキしてしまう。

「……って言ってる俺も少し緊張してる」

マスター……いや、早苗さんはハンドルを握りながら軽く笑った。
意外な言葉に少し驚いた。

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