澄んだ声、重なる指先

大竹あやめ

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 次の日、楽しかった誕生日も終わり、またいつもの日常に戻る。真澄は稜の家から出勤し、単発の仕事をいくつか終えて事務所へ戻ると、珍しく田口が落ち着いた口調で話しかけてきた。

「高岩さん、この仕事は慣れましたか?」

 興奮して早口でまくし立てる彼女は怖いけれど、普通に話しかけられても何か裏がありそうで怖い。真澄は少し警戒しながら「はい」と頷くと、彼女は微笑んだ。

「将来、うちのスタッフになりません?」
「え?」
「いえ間違えました」

 唐突な切り出しに戸惑うと、田口は「おほほ」と口元を隠して笑っている。確かうちのスタッフと聞こえたような、と思っていると「実はですね」と田口はまた落ち着いた口調で話しだした。

「高岩さん、単発のご依頼でも評判が良いんです。でもほら、脇崎様との契約もあるでしょう? それに学生ですし」
「はい、まぁ……」

 聞けば、単発の契約を結んだ客は、「ぜひまた高岩さんを」と指名されることが多いらしい。リピーターを増やすのは良いことだけれど、学生の身では働ける時間も限度がある。夏休み中ならともかく、授業が始まれば継続契約は、そう何件もできないだろう。

「夏休み中だけでも、という方もいらっしゃいますが、これは高岩さんにも確認しないとと思いまして。それに……」

 そう言って、田口はある紙を差し出してきた。真澄はそれを受け取る。

「脇崎様からメールが届いておりました。稜様が楽しそうに毎日を送っているようで、感謝していると」

 見ると確かに、印刷されたメールには稜の父親から、真澄へ感謝の意を伝えて欲しいという旨の文章が書かれている。

【稜の自分でやりたいという意欲を削ぐことなく、その上で寄り添う介助をすることが、どれだけ難しいのか、私たち家族もよく知っています】

 だから稜と高岩さんは、良い関係を築けているのですね、と綴られていた。

「……」

 正直、こんなことを言われるとは思わなかった。仲良くなりたいと言ってくれたのは稜だし、彼こそ真澄の事情を気遣いながら、距離を縮めてくれたのに。感謝するのはこちらの方だ、と少し目頭が熱くなる。

「……それでね、高岩さん」

 真澄の様子を静かに見ていた田口は、また別の資料を渡してくる。そこには資格一覧と、それぞれの内容が書かれていた。

「それは、高岩さんがもし勉強されるのであれば、こちらで費用が一部負担できる資格です。持っていても損はないですし、わたくしは高岩さんが、今後もここで活躍していただければと思っています」
「ここで……?」
「ええ。将来、うちと契約したいということですよ」

 真澄はしばし呆然としてしまった。まったく考えていなかったことだったし、大学卒業後の就職先なんて、適当に条件が合う会社で良いと思っていたからだ。

「高岩さん、お料理はとくに好評をいただいているんですよ」
「……」

 田口の言葉に真澄はまた絶句する。稜は美味しいと言ってくれていたけれど、まさか単発の依頼先でも、それがきっかけで次もと言われているとは。

「見てください。調理師免許も栄養士も取れます。なんなら、衣食住を網羅する、家政士という資格もありますよ」

 嬉しそうに資料を指差す田口。真澄も目で追ってみると、家政士は厚生労働大臣認定資格と書いてある。初めて聞く名称だけれど、ちゃんとした公的資格らしい。

「あの、田口さん。僕、福祉の勉強をしたいと思い始めてて」
「でしたら、そのような方を介助するために、ホームヘルパーや、サービス介助士の資格はどうでしょう? ここで働くスタッフも、この資格を持っている方、大勢います」

 知識を持っているだけでも、利用者様に安心していただけますよ、それは強みになります、と田口は笑顔だ。

「……」

 真澄は資料を見つめながら、フッと心の中に落ちるものを感じた。
 そして思う。これだ、これなんだ、と。
 生活費を稼ぐため、軽い気持ちで始めた家事代行のバイト。けれどそこでの縁が、真澄の今後を大きく左右することになるとは。

「田口さんありがとうございます。実は、稜……脇崎さんのような方と、関わってみたいと思ってて。でも、どうしたら良いのかわからなくて……」

 真澄は遠慮がちにそう言うと、田口は笑みを深くした。

「そういう時は、周りの人に頼ればいいのですよ。高岩さんが、稜様を支えたいと思うように、高岩さんを支えたいと思っている人はいますから」
「……ありがとうございます」

 真澄は礼を言うと、田口は品のある笑みを浮かべた。普段はキャラが強烈で少し引いていたけれど、彼女への印象が少し変わる。やはりきちんと、真澄のことを見てくれていたらしい。
 その後、真澄は事務所を出て稜の家へ向かう。今朝まで一緒にいたのに、先程のことを話したくて自然と早足になった。
 これで勉強して資格が取れたら、もっと稜の役に立てる。彼のサポートがよりしっかりできると思ったら、ワクワクした。早く稜に会って話がしたい。
 すると、ポケットの中でスマホが鳴る。マナーモードにしてなかった、と慌てて取り出すと、見えた表示にドキリとした。
 相手は内藤だったからだ。
 何で? どうしてこのタイミングで? と思いながら、真澄は鳴り続けるスマホを握り締める。どうしよう、出ないとまずいかな、と思っていると、やがて着信が切れた。ホッとしたのも束の間、すぐにまた着信がある。
 これは出ないとずっとこのままかな、と思って、真澄は応答ボタンをタップした。

「もしもし?」
『真澄? ……あ、今外か?』

 最後に稜と彼に会った日以降、姿を見なくなっていたけれど、彼の声色に真澄は違和感を持つ。いつもなら「早く出ろよ」とか言いそうなのに、彼はこちらを気にする素振りを見せたからだ。

「な、何……?」
『今から会えねぇか?』

 ただごとじゃない、と警戒していると、内藤はそんなことを言ってくる。どうせろくなことにならない、と真澄はますます警戒した。

「今から? ごめん、これからバイトで……」
『何時までだ? 終わるまで待つ』
「……っ、それは困るよっ、夜遅いし」
『……夜遅い? なんのバイトしてるんだ? まさか水商売じゃ……』
「家事代行! 大体、なんの用なの?」

 一向に引き下がらない内藤に、真澄は思わず声を荒らげた。そんな真澄に怯んだのか、内藤は一瞬黙る。

『……ごめん、悪かった。ちゃんと謝りたいんだ、だから会ってくれ』

 スマホから聞こえる殊勝な声に、真澄は何が起こったのかと驚いた。まさか、内藤から謝罪の言葉が出てくるとは。そして、そんな彼に対して、ちゃんと会って話を聞いてあげたい、と思ってしまう。甘いのかもしれないけれど。

「……わかったよ。ただ、今日は遅くなるから、明日の夕方で良い?」
『ああ。……ありがとう』

 内藤はそう言うと、通話はすぐに切れた。その直後、全身にびっしょり汗をかいていることに気付いて、真澄は胸元をシャツで扇ぐ。
 彼の様子がいつもと違っていたのもあるけれど、ちゃんと流されずに話ができたのは初めてだ。
 それに気付いた時、胸が熱くなった。できた……ちゃんとこちらの事情を話すことができたんだ、と。
 以前の真澄なら、内藤にしつこく食い下がられた時点で思わず謝って、今日の予定に無理やりねじ込んだだろう。実際今日は終わりまで稜の家で仕事だし、内藤の話がすぐに終わるとは思えない。ちゃんと断ることができてよかった、とホッとする。
 ちゃんと【嫌だ】を使えたのだ、と。
 今ごろになって、心臓が大きく脈打っているのを感じた。大学卒業後の進路といい、これは稜に報告しないと。そう思うと足も速くなる。
 自分にとっては大きな進歩に思えた。稜にこの話をしたら、一体どんな反応をするだろう。
 やがて稜の家に着くと、すぐにリビングにいる稜に話し掛けた。まずは進路の話だ、とバックパックを床に下ろす。

「稜! 聞いて!」

 真澄おかえり、と言う彼に、嬉しくなって先程あった件を話す。

「僕、大学卒業したら、今の仕事で資格を取って、家事スキルと介助スキルを上げたい」

 これ、と真澄はバックパックから資料を取り出す。しかし、稜はそれをチラリと見ただけで、嬉しそうに「やりたいことが見つかったんだ?」と言った。そこで稜にはこの資料の文字が見えていないことに気付き、慌てて謝る。

「あはは、良いよ。それを忘れるくらい、嬉しかったってことだろ? 声でわかる」

 真澄が嬉しいなら俺も嬉しい、と言ってくれて、真澄はくすぐったくなって笑った。

「稜のお父さんから、仲良くしてくれてありがとうって事務所にメールが入ってて」
「……そっか」
「僕、今まで必要に迫られて料理をやってきたけど、評判が良いって田口さん……事務所の人にも言われて」
「うん」

 まくし立てる真澄に、稜は笑顔で相槌を打ってくれて、目頭が熱くなってしまった。次の言葉が出てこなくて詰まると、稜は不思議そうに「真澄?」と首を傾げる。

「やっと、僕でも人の役に立てるって思えた……っ」

 小さいころから、外見や言動を否定され続けてきたおかげで、自分には何も無いと思わされてきた。褒められるのは本当に久しぶりで……それも稜からだけではなく、ほかの人からも褒められたのが、今になってやっと現実だと理解できたのだ。

「な、何を作っても、黙々と食べるばかりで……居候してるなら家事はやって当然だって言われてやってたことが、ここで役に立つとは思わなかった……!」
「真澄……」

 椅子に座っていた稜は立ち上がる。すると、彼の長い腕が、真澄の正面から後ろに回った。温かい体温は稜の心そのものだ、と思った瞬間涙が止まらなくなり、子供のように声を上げて泣く。

「……嬉しかったんだな」
「うん……!」
「……叔母さんにも、認めてもらいたかった?」
「そうだよ……! じゃないと追い出されると思ったし……!」

 身近な大人に愛されたいと思うのは、子供なら普通のことだ。真澄は両親に愛されていた分、不必要にその環境に適応しようとしてしまった。叔母の機嫌を窺い、いないかのように静かにし、それでも家事はできるだけ完璧にやろうとした。だから、こんなふうに感情が溢れることも久しぶりだった。うるさいと言われないようにしなければならなかったから。
 不思議だな、と思う。稜には、叔母の家にいたころの話は詳しくしていない。なのに稜は真澄の言動の細かなところから察していて……これも相談をよく受けているからなのかな、とか思う。
 こんな風に寄り添ってくれるのが嬉しくて、真澄は堪らず稜に縋り付いた。小さく息を詰めた稜は腕に力を込めてきて、苦しいほど強く抱きしめられる。
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