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第2-3話 【獣人】

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「私、寝相が悪くていつも朝起きると下着になってるのよね……」

 フレアが去っていった畑で僕達は話していた。
 フルムさんの両手には叔父さんが作ったサンドイッチが握られ、美味しそうな笑顔で、もしゃもしゃと口を動かす。
 大口を開けていても、綺麗な人は綺麗なんだ。
 食べっぷりに見惚れる僕に、フルムさんは言った。

 ……朝起きると下着になるって、寝相で済む問題なのだろうか?

「だったら、そうと言ってくださいよ。フレア、絶対、勘違いしてますって」

 下着で男女が眠るとなれば、年頃の僕達ならば想像してしまうことは一つだ。
 とにかく、僕とフルムさんの間には何もなかったことを証明しなければ。フレアが何をしでかすか、分かったモノじゃない。

 慌てる僕の思いが伝わったのか、「分かったわよ」と、手にしていたサンドイッチを置き、ゆっくりと僕に近づいた。

「折角なら、勘違いを現実にしちゃう?」

「ぜ、全然分かってないじゃないですカ……ッ!!」

 人差し指をそっと僕の顎先に乗せる。くすぐったさに、語尾が自然と大きくなる。
 え?
 え!?
 それって、え!?
 どういう……どういうこと!?

 ていうか、フルムさんの指ってこんな綺麗だったけ? 
 白色をした陶器のような指を「ツー」と、這うように僕の口に向けて動かす。肌と肌がほんのり触れ、くすぐったさと気持ちよさが脳に伝達される。
 僕はフルムさんを見る。
 頬を紅潮させ、潤んだ瞳をそっと寄せた。

 ち、近い!
 待って。
 待ってってば。
 僕はまだ、心の準備が――。
 それに初めてが畑だなんて――。

「なんて、冗談に決まっているでしょう」

 そっと指を離して自分の唇へ運ぶ。
 指先を下唇に当てたまま、意地悪く笑った。 

「へ……?」

「あら? 何を期待していたのかしら? 可愛い顔して意外に年相応なのね」

「ぼ、僕は別に……!」

 いかがわしいことなんて考えていない。
 なんて、言ったら嘘になるけど……。
 こんな姿を見せたら、一体、どんな毒をフルムさんに吐かれることか。
 しかし、まあ、うん。今回ばかりは、どんな毒も受けきろう。

「ちょっと、揶揄いすぎちゃったわね。ごめんなさい」

「こういうときだけ毒は吐かないの!? 素直に謝らないでください!」

 逆に凄い恥ずかしくなるから!!
 飴と鞭を使いこなすフルムさん。僕の反応にお腹を押さえて笑う。フルムさんもこんな風に笑うんだ。
 僕が笑顔に見惚れていると、

『やっほー。元気かい?』

 脳の内側で鐘が鳴るかのように声が響いた。
 中性的な陽気な口調。
【願いの祠】にいた赤ん坊の声だ。
 離れていても声を送ることが出来るのか……。

「……」

『あれ? 返事がないな? ひょっとして、2人でお楽しみの最中だったかい? だったら、失礼なことをした。どうぞ、続けてくれ』

「このタイミングで続けられるわけ無いでしょう? あなた、馬鹿なの?」

 いや、続けるも何もそんなお楽しみなことはしてなかったですけどね!!

『はっはっは。ごめん、ごめん。でも、あまり、冗談は言ってられないんだ』

「あなたが勝手に言い出したんでしょう」

 フルムさんを無視して赤ん坊は言う。

「早速なんだけど、ミッション!! この国に潜む【獣人】を見つけて欲しいんだ』

「【獣人】……?」

『そ。君たちの近くにいることは間違いないから、とにかく、見つけて倒して欲しいんだ。頼んだよ!?』

 一方的にミッションを告げた赤ん坊の声は、既に聞こえなくなっていた。

「ちょっと、もう少し情報が欲しいんですけど!!」

 どれだけ呼びかけても返事はなかった。

「【獣人】を探せって言われても……」

【獣人】という名前だけでは探しようがない。
 名前から想像するに、僕たちが森で倒したあのオオカミみたいな姿だと思うんだけど……。
 僕は横に立つフルムさんに聞いた。

「どうしましょうか?」

 フルムさんは僕の問いかけに迷うことなく答える。

「取り敢えず、あなたは家でゆっくり休んでなさい。これは私の問題よ」

「え?」

「だって、そうでしょう? あなたの目的は畑を戻すこと。そして、それは成功している。なら、もうこんなことに首を突っ込むべきではないわ」

「でも……」

 そういう訳にはいかない。【放出】の力は、敵を――【獣人】を倒すために、与えられるはずの力だったんだ。
 つまり、この力が必要になるということで――。

「安心なさい。回復出来るだけでも、私は充分強くなったわ」

「……そうかも知れないですけど」

「だから、あなたは美味しい野菜を作りなさい」

 僕の肩に手を置いて帰っていく。フルムさんの優しさに僕はただ黙ることしか出来なかった。





 翌朝。
 畑に出ていた僕は、せっせと畑を耕していた。身体を動かせば、【ミッション】のことを忘れられると思ったけど、どれだけ動いても忘れることはできなかった。

「こんな状態で美味しい野菜なんて作れるか!!」

 フルムさん1人に任せておくなんて無理だ。
 僕が一体、何度助けて貰ったことか。
 今度は僕が助ける番だ。

「美味しい野菜を作れってフルムさんからは、命令を受けたからね。そのためにも【ミッション】をクリアすることは必要だ!!」

 野菜は全て世界と繋がっているんだから、理屈は間違ってない!!
 地面に鍬を突き立てて僕は決意する。
 今から、フルムさんに会いに行って説得しよう。
 畑から出て【貴族街】に向かおうとする。そんな僕を止めるかのようにして、

「アウラ!! 良かった無事じゃったか」

 叔父さんが青ざめた顔で走ってきた。
 凄い慌てようだ……。
 朝の市場でなにかあったのだろうか?

「どうしたんですか?」

「はぁ、はぁ……。いや、市場に言ったらある話をきいてな。農家の仲間が獣に襲われたらしいんじゃ」

「獣……?」

 農家が暮らすのは王国から最も離れた山々に近い場所。
 獣に襲われるのは珍しくはない。
 それは叔父さんだって知っているはず。

「いや、違う。獣ではない。襲われた奴は、獣と人が合わさったような化物じゃと言っていたらしい」

「【獣人】……!!」

 まさか、本当にいるんだ……。
 赤ん坊の言う通り、この国に、僕たちの近くに存在していた。

「そやつは仲間の身体を引き裂き、こう言った。「次はアウラだ」。と……」

「僕を――?」

 フルムさんではなく、僕を狙っている。
 やっぱり、【放出】の力は特別なんだ。

 でも、それならこっちとしても好都合だ。相手がフルムさんではなく僕を狙っているのであれば、僕が先に見つけられる可能性がある。
 思考を続ける僕を見て叔父さんが心配そうに顔を覗き込む。

「なにか思い当たる節はあるのか? まさか――【放出】とかいう力のせいか!!」

 叔父さんに力を見せたのは失敗だった。
 叔父さんだって馬鹿じゃない。
 近況で僕に起こった変化と言えばそれくらいだ。原因として真っ先に思いつく。

「……その力、今すぐ返すんじゃ!!」

「そういう訳にはいかないよ」

 これは僕が手に入れた力で、フルムさんの代わりに得た力だ。
 僕が恩返しできる唯一の方法。
 それを手放す気には――なれなかった。

「何故じゃ!!」

 僕に縋りつくように両肩を掴む。

「儂はこれ以上、大事な家族を失いたくないんじゃ!」

「ごめんなさい。でも、これだけは譲りたくないんだ」

 叔父さんはじっと僕を見つめる。
 やがて、諦めたように視線を外した。

「そう言うところは親によく似ておるの。わかった。その代わり1人で行動することは、しばらくは控えるんじゃ」

 優しく包むようにして叔父さんは、目を潤ませた。
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