玻璃の見た夢

鈴凪

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 今にも泣きだしそうな祖父母と両親、兄に見送られ、私と男は村を出た。
 早朝にたたき起こされて用意させられたことにたいしては急だと思ったものの、昨夜都に行くといわれていたため、特に疑問にも思わなかった。ただ、眠っている妹たちの顔が見られなかったことだけは残念だ。
 ほう、と息をついてもまだ白くはならない。けれど、確実に冷え込み始めた空気が頬を撫でる。
 ようやく登り始めた太陽がうっすらとあたりを白く染めていく。
「途中、寄らなきゃいけない村があるんだ」
「おじさんの故郷とか?」
「そんな楽しいものならよかったんだけどな」
 きょとりと見上げた私の頭をひと撫でして、男は私の手を引いた。
 成人男性の歩幅に子供の私が合わせるのは難しく、小走りになりながらも置いて行かれまいと必死に足を動かす。手をつないでいるせいで余計に私の歩みの遅さに気が付いたのだろう。男は少しだけ歩調を落とした。
 そうやって二人で黙々と歩くこと数日。……というのも、この時の記憶が酷くあいまいなのだ。いかんせん私は幼い子供で、とにかく毎日歩き続けたという印象がある。その道はごく普通のあぜ道だったり、山越えのために険しい崖道だったり、野原を横切ったような、そんな記憶すらある。だから、正確に何日後にその村についたのか、都までどれくらいかかったのかなどは今でははっきりと覚えていない。そもそも村の名前すら、私の記憶から遠ざかってしまっていた。
 まぁとにかく、私と男は歩き続け、とある村に寄り道をした。そこで、私と同じように両親に見送られながら都へ向かうこととなったのが、終子だった。終子は兄弟姉妹が多い。だからこれで最後になって欲しいと終子と名付けられたと、自嘲気味に笑っていたのが印象に残っている。そのせいで、彼女の名前は生涯忘れることはできなかった。
「莫迦な子」
 つん、と顔を背けてそういうのが彼女の癖だった。比較的整ったと言えなくもない顔立ちをしているというのに、常に眉間にしわを寄せて怒ったような雰囲気の女の子だった。
 彼女はきっと、頭が良すぎたのだろう。年のころは私より一つ上だというが、自分の置かれている状況をすべて把握したうえで、男についていくのを選んだのだと常々言っていた。
「私はねぇ、あいつらを見返してやるのよ」
「??がんばってね???」
 事情のよくわかっていない私をなにやら憐れなものを見るような――実際憐れだったわけだけど――目で見て、彼女はずんずんと一人で歩いていた。男に手を引かれている私とは大違いだ。それでも子供の体力や歩幅には圧倒的な差があって、あっという間に彼女を追い抜かしてしまう。
 負けん気の強い彼女が男に頼るなんて真似は絶対にしようとせず、男は男でそういった彼女を持て余していたのか、我関せずといった顔をしていた。おかげで、私は息切れをしながら後をついてくる終子と隣を歩く男を何度も見比べるハメになる。
「絶対、あんたなんかの手は借りないんだから!」
「それはお前の勝手だがな」
「あんたも!そんな人買いに甘えてんじゃないわよ!」
「人買い?おじさん、人買いだったの?」
 何かの拍子に終子が口走ったのは、もう明日には都入りだという日のことだった。そのときに私はようやく、口減らしにあったのだと、知ったのだ。口減らし自体は珍しいことではない。たまに、友達やお姉さんがいなくなることは時折、あった。その時に囁かれた単語が、口減らし、そして人買い、だった。子供たちの間では“悪さをすると人買いがきて口減らしされるぞ”などと言い、きゃぁきゃぁと鬼ごっこじみた遊びをしたものだ。ただ、その意味を完全に理解できてはいなかったが。
「十和子、お前はもーちょっと人を疑いな」
「今まで気づいてなかったのはどうかと思うわ」
「この子は純粋なんだよ」
「ただの莫迦じゃない」
 ぽんぽんと交わされる会話から、ようやく自分が両親によってこの男に売られたのだと理解できた。一番に感じたのは、悲しみでも驚きでもなく、納得だった。男と話していた時の両親たちの意味ありげな視線や、別れ際の涙の意味や、妹たちへ知らせまいとしたそのすべてが、すとんと胸に落ちる。
 ははぁ、なるほどね。
「私はお金稼いで、あいつらを死ぬほど後悔させてやるんだから」
「援助じゃないんだ……?」
「莫迦な子。なんで私を売ったやつらにそんなことしなきゃいけないのよ」
「でも、親は親だと思うけどなぁ」
 のほほんという私を、終子は心底軽蔑しきった目で見返した。
「都で一番の遊女になって、遊んで暮らすんだから!」
「一番の遊女はな、太夫っつーんだ、そんくらい覚えとけ。目指すんならな」
 握りこぶしを振るって、瞳に炎を宿した終子に、男が水を差すように突っ込む。ただ、小声で「本当はもっと上がいるけどな」と言っていたのは、彼女には聞こえていないようだった。
 首をかしげた私の頭を、男がわしゃわしゃとかき乱す。都に入るからと髭を剃り落したせいか、精悍さが増した男の顔にドキドキと心拍数が上がる。父と年齢の変わらない男に、この時私は間違いなくときめいていた。
 ぱちぱちとたき火が燃える。
 短い秋が終わって冬が来る。
 冬が終わって春が来て、何度か季節が廻れば、必ず私は両親のもとに帰れるのだと、この時は信じていた。……村からいなくなった人間が返ってきたことなど、これまで一度だってなかったというのに。
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