2 / 6
2
しおりを挟む
今にも泣きだしそうな祖父母と両親、兄に見送られ、私と男は村を出た。
早朝にたたき起こされて用意させられたことにたいしては急だと思ったものの、昨夜都に行くといわれていたため、特に疑問にも思わなかった。ただ、眠っている妹たちの顔が見られなかったことだけは残念だ。
ほう、と息をついてもまだ白くはならない。けれど、確実に冷え込み始めた空気が頬を撫でる。
ようやく登り始めた太陽がうっすらとあたりを白く染めていく。
「途中、寄らなきゃいけない村があるんだ」
「おじさんの故郷とか?」
「そんな楽しいものならよかったんだけどな」
きょとりと見上げた私の頭をひと撫でして、男は私の手を引いた。
成人男性の歩幅に子供の私が合わせるのは難しく、小走りになりながらも置いて行かれまいと必死に足を動かす。手をつないでいるせいで余計に私の歩みの遅さに気が付いたのだろう。男は少しだけ歩調を落とした。
そうやって二人で黙々と歩くこと数日。……というのも、この時の記憶が酷くあいまいなのだ。いかんせん私は幼い子供で、とにかく毎日歩き続けたという印象がある。その道はごく普通のあぜ道だったり、山越えのために険しい崖道だったり、野原を横切ったような、そんな記憶すらある。だから、正確に何日後にその村についたのか、都までどれくらいかかったのかなどは今でははっきりと覚えていない。そもそも村の名前すら、私の記憶から遠ざかってしまっていた。
まぁとにかく、私と男は歩き続け、とある村に寄り道をした。そこで、私と同じように両親に見送られながら都へ向かうこととなったのが、終子だった。終子は兄弟姉妹が多い。だからこれで最後になって欲しいと終子と名付けられたと、自嘲気味に笑っていたのが印象に残っている。そのせいで、彼女の名前は生涯忘れることはできなかった。
「莫迦な子」
つん、と顔を背けてそういうのが彼女の癖だった。比較的整ったと言えなくもない顔立ちをしているというのに、常に眉間にしわを寄せて怒ったような雰囲気の女の子だった。
彼女はきっと、頭が良すぎたのだろう。年のころは私より一つ上だというが、自分の置かれている状況をすべて把握したうえで、男についていくのを選んだのだと常々言っていた。
「私はねぇ、あいつらを見返してやるのよ」
「??がんばってね???」
事情のよくわかっていない私をなにやら憐れなものを見るような――実際憐れだったわけだけど――目で見て、彼女はずんずんと一人で歩いていた。男に手を引かれている私とは大違いだ。それでも子供の体力や歩幅には圧倒的な差があって、あっという間に彼女を追い抜かしてしまう。
負けん気の強い彼女が男に頼るなんて真似は絶対にしようとせず、男は男でそういった彼女を持て余していたのか、我関せずといった顔をしていた。おかげで、私は息切れをしながら後をついてくる終子と隣を歩く男を何度も見比べるハメになる。
「絶対、あんたなんかの手は借りないんだから!」
「それはお前の勝手だがな」
「あんたも!そんな人買いに甘えてんじゃないわよ!」
「人買い?おじさん、人買いだったの?」
何かの拍子に終子が口走ったのは、もう明日には都入りだという日のことだった。そのときに私はようやく、口減らしにあったのだと、知ったのだ。口減らし自体は珍しいことではない。たまに、友達やお姉さんがいなくなることは時折、あった。その時に囁かれた単語が、口減らし、そして人買い、だった。子供たちの間では“悪さをすると人買いがきて口減らしされるぞ”などと言い、きゃぁきゃぁと鬼ごっこじみた遊びをしたものだ。ただ、その意味を完全に理解できてはいなかったが。
「十和子、お前はもーちょっと人を疑いな」
「今まで気づいてなかったのはどうかと思うわ」
「この子は純粋なんだよ」
「ただの莫迦じゃない」
ぽんぽんと交わされる会話から、ようやく自分が両親によってこの男に売られたのだと理解できた。一番に感じたのは、悲しみでも驚きでもなく、納得だった。男と話していた時の両親たちの意味ありげな視線や、別れ際の涙の意味や、妹たちへ知らせまいとしたそのすべてが、すとんと胸に落ちる。
ははぁ、なるほどね。
「私はお金稼いで、あいつらを死ぬほど後悔させてやるんだから」
「援助じゃないんだ……?」
「莫迦な子。なんで私を売ったやつらにそんなことしなきゃいけないのよ」
「でも、親は親だと思うけどなぁ」
のほほんという私を、終子は心底軽蔑しきった目で見返した。
「都で一番の遊女になって、遊んで暮らすんだから!」
「一番の遊女はな、太夫っつーんだ、そんくらい覚えとけ。目指すんならな」
握りこぶしを振るって、瞳に炎を宿した終子に、男が水を差すように突っ込む。ただ、小声で「本当はもっと上がいるけどな」と言っていたのは、彼女には聞こえていないようだった。
首をかしげた私の頭を、男がわしゃわしゃとかき乱す。都に入るからと髭を剃り落したせいか、精悍さが増した男の顔にドキドキと心拍数が上がる。父と年齢の変わらない男に、この時私は間違いなくときめいていた。
ぱちぱちとたき火が燃える。
短い秋が終わって冬が来る。
冬が終わって春が来て、何度か季節が廻れば、必ず私は両親のもとに帰れるのだと、この時は信じていた。……村からいなくなった人間が返ってきたことなど、これまで一度だってなかったというのに。
早朝にたたき起こされて用意させられたことにたいしては急だと思ったものの、昨夜都に行くといわれていたため、特に疑問にも思わなかった。ただ、眠っている妹たちの顔が見られなかったことだけは残念だ。
ほう、と息をついてもまだ白くはならない。けれど、確実に冷え込み始めた空気が頬を撫でる。
ようやく登り始めた太陽がうっすらとあたりを白く染めていく。
「途中、寄らなきゃいけない村があるんだ」
「おじさんの故郷とか?」
「そんな楽しいものならよかったんだけどな」
きょとりと見上げた私の頭をひと撫でして、男は私の手を引いた。
成人男性の歩幅に子供の私が合わせるのは難しく、小走りになりながらも置いて行かれまいと必死に足を動かす。手をつないでいるせいで余計に私の歩みの遅さに気が付いたのだろう。男は少しだけ歩調を落とした。
そうやって二人で黙々と歩くこと数日。……というのも、この時の記憶が酷くあいまいなのだ。いかんせん私は幼い子供で、とにかく毎日歩き続けたという印象がある。その道はごく普通のあぜ道だったり、山越えのために険しい崖道だったり、野原を横切ったような、そんな記憶すらある。だから、正確に何日後にその村についたのか、都までどれくらいかかったのかなどは今でははっきりと覚えていない。そもそも村の名前すら、私の記憶から遠ざかってしまっていた。
まぁとにかく、私と男は歩き続け、とある村に寄り道をした。そこで、私と同じように両親に見送られながら都へ向かうこととなったのが、終子だった。終子は兄弟姉妹が多い。だからこれで最後になって欲しいと終子と名付けられたと、自嘲気味に笑っていたのが印象に残っている。そのせいで、彼女の名前は生涯忘れることはできなかった。
「莫迦な子」
つん、と顔を背けてそういうのが彼女の癖だった。比較的整ったと言えなくもない顔立ちをしているというのに、常に眉間にしわを寄せて怒ったような雰囲気の女の子だった。
彼女はきっと、頭が良すぎたのだろう。年のころは私より一つ上だというが、自分の置かれている状況をすべて把握したうえで、男についていくのを選んだのだと常々言っていた。
「私はねぇ、あいつらを見返してやるのよ」
「??がんばってね???」
事情のよくわかっていない私をなにやら憐れなものを見るような――実際憐れだったわけだけど――目で見て、彼女はずんずんと一人で歩いていた。男に手を引かれている私とは大違いだ。それでも子供の体力や歩幅には圧倒的な差があって、あっという間に彼女を追い抜かしてしまう。
負けん気の強い彼女が男に頼るなんて真似は絶対にしようとせず、男は男でそういった彼女を持て余していたのか、我関せずといった顔をしていた。おかげで、私は息切れをしながら後をついてくる終子と隣を歩く男を何度も見比べるハメになる。
「絶対、あんたなんかの手は借りないんだから!」
「それはお前の勝手だがな」
「あんたも!そんな人買いに甘えてんじゃないわよ!」
「人買い?おじさん、人買いだったの?」
何かの拍子に終子が口走ったのは、もう明日には都入りだという日のことだった。そのときに私はようやく、口減らしにあったのだと、知ったのだ。口減らし自体は珍しいことではない。たまに、友達やお姉さんがいなくなることは時折、あった。その時に囁かれた単語が、口減らし、そして人買い、だった。子供たちの間では“悪さをすると人買いがきて口減らしされるぞ”などと言い、きゃぁきゃぁと鬼ごっこじみた遊びをしたものだ。ただ、その意味を完全に理解できてはいなかったが。
「十和子、お前はもーちょっと人を疑いな」
「今まで気づいてなかったのはどうかと思うわ」
「この子は純粋なんだよ」
「ただの莫迦じゃない」
ぽんぽんと交わされる会話から、ようやく自分が両親によってこの男に売られたのだと理解できた。一番に感じたのは、悲しみでも驚きでもなく、納得だった。男と話していた時の両親たちの意味ありげな視線や、別れ際の涙の意味や、妹たちへ知らせまいとしたそのすべてが、すとんと胸に落ちる。
ははぁ、なるほどね。
「私はお金稼いで、あいつらを死ぬほど後悔させてやるんだから」
「援助じゃないんだ……?」
「莫迦な子。なんで私を売ったやつらにそんなことしなきゃいけないのよ」
「でも、親は親だと思うけどなぁ」
のほほんという私を、終子は心底軽蔑しきった目で見返した。
「都で一番の遊女になって、遊んで暮らすんだから!」
「一番の遊女はな、太夫っつーんだ、そんくらい覚えとけ。目指すんならな」
握りこぶしを振るって、瞳に炎を宿した終子に、男が水を差すように突っ込む。ただ、小声で「本当はもっと上がいるけどな」と言っていたのは、彼女には聞こえていないようだった。
首をかしげた私の頭を、男がわしゃわしゃとかき乱す。都に入るからと髭を剃り落したせいか、精悍さが増した男の顔にドキドキと心拍数が上がる。父と年齢の変わらない男に、この時私は間違いなくときめいていた。
ぱちぱちとたき火が燃える。
短い秋が終わって冬が来る。
冬が終わって春が来て、何度か季節が廻れば、必ず私は両親のもとに帰れるのだと、この時は信じていた。……村からいなくなった人間が返ってきたことなど、これまで一度だってなかったというのに。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる