かぐわしいかな、黄泉路の薫香 ~どうにか仕事に慣れたけど どうかしてると思います!

日野

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5 ほろ酔いゆらゆら 牛車に揺られて冥府いき

5-7 水底もまた、異界

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 冥府だあやかしだというと、警戒してしまうものかもしれない。しかし人間と差異を数え上がることに意味があるのか、百合にはこたえが出せず、八咫を見た――目が合った彼に、差異など数えなくていいのではないかと思わされる。
 牛車の進むゴトゴトという音に耳をかたむけるなか、開いた御簾からなにかが飛びこんできた。
「鹿野さん!」
 鵺の鹿野だ。そのふかふかの毛並みは、激しく息を切らしていた。
「なんだ、追いかけてきたのか?」
 功巳にもおとなしく撫でられてから、鹿野は百合のひざにおさまった。まだ息が荒く、百合はその背中に手をそえた。
「鹿野さんはこのあたりがおうちなの? 就業時間外なのに、義理堅いねぇ。これから国刺さんっていう方のところにいくんだよ」
 鹿野に説明したところで牛車の揺れがなくなり、代わりに涼しげな水音が聞こえてきた。
 おもてに顔を出してのぞきこむと、牛車は川縁りに到着している。
 幅のあるせせらぎを渡る赤い欄干の橋がかかっていた。車を指さしてなにやら話す通行人もいる。
「お客さま、御簾はもとに」
「ああ、そうだな」
 牛の注意があり、八咫が慌てたように御簾に手をのばす。
 御簾が下ろされる直前、百合は車が川に入っていこうとしているのを目にしていた。
「川……っ、えっ」
 その音ばかりが耳に届く――ざぶりどぼんと、水に沈んでいくような。
「こ、これは……っ、水に沈んで……!」
 しかし御簾から浸水してくる様子はなく、誰も慌てていなかった。
「うん、川にあるんだよ、国刺さんとこは」
「水のなかだなんて、最初は驚くでしょう。ああほんとうに会いたくない」
 清巳は生気のない目をして、つくづくといった様子だ。
「でもさ、交渉は清巳がやらないと。あんたが一番うまくやれると思うよ」
 うんざり顔の清巳は、オフィスで功巳がそうしていたようにひざを抱えた。
「しかたないでしょ、清巳は気に入られてるんだし」
「清巳、俺も手伝うからそうしょげるな」
 横から八咫もそう口を挟む。
「八咫さん……いいんですか? 手伝っていただいても」
「この手間賃はべつのところで精算してもらう、気にするな」
 清巳は返事もせず、自分のひざの間にひたいをくっつけている。
「あの、八咫さんってこちらの支店の方とか、そういう感じなんですか?」
 そういえば、百合は八咫の明確な立ち位置を知らずにいた。どんどん尋ねていかないと、九泉香料の人間はろくに説明をしてくれなそうだ。
「そっか、八咫さん名刺なんかないもんね、今度つくろうか――如月さん、八咫さんは冥府で薬の流通引き受けてくれてるんだよ」
「こっちのボスですよ」
「ええと……カルテル……?」
 つぶやくと、功巳は楽しそうに笑った。
「違うよ、僕たちのは危ないものじゃないし」
 さらに功巳が笑いかけたとき、車が大きく前後に振動した。激しい水音も加わり、百合は壁に片手をつく。
「着いたみたいだ」
 車から功巳と清巳がまず降りようとしたとき、八咫が手で制した。
「ちょっと待て」
 そういってから、八咫が瞑目する。
 なにをしているのか、と見つめる百合のとなりで、彼の身体は一瞬で炎に包まれていった。熱を感じないものだったが、百合は目を丸くしていた。
 青白かった炎はすぐさま消えたが、八咫の姿が変わっている。
 色素の薄かった髪や瞳の色が、磨かれた鋼のような光沢を持っていく。全身にまとった陽炎に似たものが揺らめき、はらはらと千切れては桜の花びらのように散っていった。
 びくりと身体をふるわせた鹿野が、百合のカバンに飛びこんでいく。
「お、八咫さん仕事モードだね」
「舐められてはいけないからな」
 ちらりと百合を見て、八咫は気まずそうな顔をする。
「……怖くなければいいんだが」
「えっ、私がですか? それはないです! 八咫さんすっごくきれいじゃないですか!」
 幽玄を体現したような姿に、百合は感動さえしていた。
 彼の顔の造形の美しさに胸がふるえることはなかったのに、いまは熱いものがこみ上げてくる。
 カバンに逃げこんだところからして、鹿野にすれば怖いらしい。
 カバンは肩にかけず、百合はなかにおさまった鹿野を抱きしめるようにする。
「そ……そうか? きれいだなんて、そうか……きれいか。そんなこと誰かにいわれることなんてないからか……はずかしいものだな」
 照れた八咫に先導し、まず功巳から牛車を降りていった。
 地面に足をつけた百合は息を飲んでいた。
 空がすべて一枚の水で覆われている。寄せ返す光のさざ波をつくり、水の一粒も落ちてこない。
 水底から仰ぎ見たなら、水面はあんなふうに見えるのもしれない。水底にいるのと違って呼吸ができる。
 水がたゆたっているだけだというのに荘厳さがあり、ゆっくりそこで眺めていたくなるものだった。
「すごい……」
 水を天蓋にしたそこは、屋敷のある地下空間への門といってよかった。
 屋敷――川面に隠されたそこは、開かれたつくりになっている。
 広大な空間だが、ぽつんと屋敷があり、遠目には屋敷を囲むように雑木林があるのがわかる。
 目指す屋敷には枯れた巨木を組んだ門があり、枯れた枝を組んだ垣根がつくられていた。その先は枝と枝の間からうかがうことができ、開け放された戸口の警戒の薄さは、打ち棄てられた廃墟と似通っている。
 百合は屋敷から天上にまた目を移す。光の輪が幾重にもなりそして消える。そちらはいくらでも見ていられそうだ。
「水塀は珍しいですか、お客さま」
 ずっと水でできたを見上げ続けている百合に、車を引いていた牛がやわらかい声で尋ねてきた。
「すみません、じろじろと……はじめて見たんですが、驚いています」
「見た目が美しいだけでなく、不審者をはねつける役目も果たします。多少の力では、あれはくぐれません。わたくしは許しを得ているので通れますが」
 牛は誇らしげだ。
「それじゃあ帰りもお世話になるんでしょうか」
 地上を歩いてみたいが、観光気分になっていることは口にしづらい。
「わたくしがお送りいたします」
 牛は屋敷のほうに目配せをした。
「ごりょうさまがお待ちです。みなさま、どうぞ」
 牛の声に押され、百合たちはぞろぞろと門をくぐっていった。
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