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終
終 夜の道へ
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新しくもらったにおい袋を部屋に置き、百合は夕方の町に出た。
目的地は駄菓子の自動販売機だ。
あやかしたちのためにある道というのは、その存在を知ってもよくわからなかった。
この近隣以外にも、古い町並みにはそういった道があるのかもしれない。
人知れず、あやかしたちが通り過ぎていく。
百合が歩を進める一帯で、怪談話がまことしやかに囁かれるということもなかった。過去も現在も、どこにでもある住宅街だ。
どこかの誰かが道を見つけ、あやかしと邂逅し、誰かに話したなら――そこから怪談話が広がっていくかもしれない。
まだ値引きのはじまっていないこまつ屋に寄り道し、夕飯用のコロッケとメンチカツを買い、それから百合は目的地に足を向けた。
日が落ちていき、通り過ぎる家々の表札も闇に沈んでいる。
勤務先の屋敷には相変わらず表札はなく、九泉香料や九重の文字はどこにもない。
それは表札がないから誰も住んでいない――そういう意思表明がはじまりだったらしい。
九重一族は元来人間だったが、気づくと生まれ直しをくり返すようになっていたそうだ。
――だから表札がないんだよ。
冥府から戻る廊下で、手持ち無沙汰ついでに功巳に話された内容に、とりあえずそれとこれは関係がないから表札をつけてほしい、と返すしかなかった。
あの様子なら、近日中になにかしらの表札をつけてくれそうだ。
におい袋をアパートに置いてきたおかげで、百合は自動販売機に囲まれた喫煙所に無事到着できた。
どこも停電しておらず、目を閉じ耳を澄ますと、かさかさこそこそとなにかが動く気配を感じ取れた。
目を開けると、辻に人影があった。
「おばさん」
たどり着き、そして会えた。
ほっとした声が出ていた。
におい袋を置いてきたが、もしかしたら染みついた香りで無理はないか、と考えていたのだ。前のものとかおりが違っていたから、功巳の処方が変わっているのかもしれない。
「お姉さんひさしぶりね、今日はなににするの? って催促みたいなこといっちゃいけないわねぇ」
「おばさん、私……この先、ここの駄菓子は食べられないんです」
「えっ」
「こちらの駄菓子は、私のためのものじゃないから」
おばさんの目が泳いだ。
じわりじわりと空気に染み入りながら、おばさんは百合のほうに近づいてきた。残像がわずかに残っている。
冥府から戻る廊下で、手持ち無沙汰ついでに功巳に話された内容に、とりあえずそれとこれは関係がないから表札をつけてほしい、と返すしかなかった。
あの様子なら、近日中になにかしらの表札をつけてくれそうだ。
におい袋をアパートに置いてきたおかげで、百合は自動販売機に囲まれた喫煙所に無事到着できた。
どこも停電しておらず、目を閉じ耳を澄ますと、かさかさこそこそとなにかが動く気配を感じ取れた。
目を開けると、辻に人影があった。
「おばさん」
たどり着き、そして会えた。
ほっとした声が出ていた。
におい袋を置いてきたが、もしかしたら染みついた香りで無理はないか、と考えていたのだ。前のものとかおりが違っていたから、功巳の処方が変わっているのかもしれない。
「お姉さんひさしぶりね、今日はなににするの? って催促みたいなこといっちゃいけないわねぇ」
「おばさん、私……この先、ここの駄菓子は食べられないんです」
「えっ」
「こちらの駄菓子は、私のためのものじゃないから」
おばさんの目が泳いだ。
じわりじわりと空気に染み入りながら、おばさんは百合のほうに近づいてきた。残像がわずかに残っている。
間近に現れたおばさんは、百合の顔を瞬きもせずじっと見つめてきた。
「おばさん、冥府の方のために、自動販売機を管理してるんですってね」
八咫が調べてきてくれた。
ただどれほどおばさんの自我に残っているか、そこはわからないらしい。
おなじ行動をくり返すだけの、執着を持った亡者に変じている可能性もあるという。管理に問題がなければ、そうなっていても取り沙汰されない。
「ああ、そうだ……そうだね、うん……そうだよ。あたしが売ってるのは、そうだ……」
ぶつぶつつぶやき、おばさんは百合から目を逸らした。
駄菓子を食べないと宣言した人間――生者の百合への興味を失ったのかもしれない。
自動販売機も喫煙所も、権利はおばさんの娘が継いでいた。近所には住んでおらず、掃除は業者が請け負っていた。
百合は自動販売機でお茶を買い、こまつ屋の袋から漂う油のかおりをかぎ、帰路につくことにした。
「そうだ、思い出した……そうだよ」
おばさんの声がして、百合は足を止めた。
振り返った闇のなか、にじみ出るようにおばさんの姿が揺らめいている。
「あんた、リリちゃんって呼ばれてた子だ」
それは小学校でのあだ名だった――事故に遭い、転校するまでの。
百合だから、リリー。
「思い出したわぁ、すっきりした! 思い出せそうで、ずっと思い出せなかったのよぉ」
目を向ければ、おばさんは百合に手を振っていた。
「うちの駄菓子はさ、リリちゃんがもっともっと歳取って、あっちにいってから食べにおいで。それまであたしもがんばって続けてくから」
「はい――ありがとうございます」
百合は暗い道を家路に向かって歩きはじめる。
明日には清巳死亡の報が出ることになっていた。
どんな死に方かは聞いてのお楽しみ、と功巳は一切教えてくれなかった。
社外の対応に物流部は追われるだろう。百合はそこに何日かヘルプで勤務することがもう決まっていた。
子細を打ち明けることはできないが、芝田と小境に会える。
清巳の言葉ではないが、思い残すことがないようにしよう――百合は心にそう決めていた。
――まずは夕飯に、たっぷりソースをかけたコロッケとメンチカツを食べるのだ。
暗い道だが、足取り軽く百合はアパートに向かっていった。
(了)
目的地は駄菓子の自動販売機だ。
あやかしたちのためにある道というのは、その存在を知ってもよくわからなかった。
この近隣以外にも、古い町並みにはそういった道があるのかもしれない。
人知れず、あやかしたちが通り過ぎていく。
百合が歩を進める一帯で、怪談話がまことしやかに囁かれるということもなかった。過去も現在も、どこにでもある住宅街だ。
どこかの誰かが道を見つけ、あやかしと邂逅し、誰かに話したなら――そこから怪談話が広がっていくかもしれない。
まだ値引きのはじまっていないこまつ屋に寄り道し、夕飯用のコロッケとメンチカツを買い、それから百合は目的地に足を向けた。
日が落ちていき、通り過ぎる家々の表札も闇に沈んでいる。
勤務先の屋敷には相変わらず表札はなく、九泉香料や九重の文字はどこにもない。
それは表札がないから誰も住んでいない――そういう意思表明がはじまりだったらしい。
九重一族は元来人間だったが、気づくと生まれ直しをくり返すようになっていたそうだ。
――だから表札がないんだよ。
冥府から戻る廊下で、手持ち無沙汰ついでに功巳に話された内容に、とりあえずそれとこれは関係がないから表札をつけてほしい、と返すしかなかった。
あの様子なら、近日中になにかしらの表札をつけてくれそうだ。
におい袋をアパートに置いてきたおかげで、百合は自動販売機に囲まれた喫煙所に無事到着できた。
どこも停電しておらず、目を閉じ耳を澄ますと、かさかさこそこそとなにかが動く気配を感じ取れた。
目を開けると、辻に人影があった。
「おばさん」
たどり着き、そして会えた。
ほっとした声が出ていた。
におい袋を置いてきたが、もしかしたら染みついた香りで無理はないか、と考えていたのだ。前のものとかおりが違っていたから、功巳の処方が変わっているのかもしれない。
「お姉さんひさしぶりね、今日はなににするの? って催促みたいなこといっちゃいけないわねぇ」
「おばさん、私……この先、ここの駄菓子は食べられないんです」
「えっ」
「こちらの駄菓子は、私のためのものじゃないから」
おばさんの目が泳いだ。
じわりじわりと空気に染み入りながら、おばさんは百合のほうに近づいてきた。残像がわずかに残っている。
冥府から戻る廊下で、手持ち無沙汰ついでに功巳に話された内容に、とりあえずそれとこれは関係がないから表札をつけてほしい、と返すしかなかった。
あの様子なら、近日中になにかしらの表札をつけてくれそうだ。
におい袋をアパートに置いてきたおかげで、百合は自動販売機に囲まれた喫煙所に無事到着できた。
どこも停電しておらず、目を閉じ耳を澄ますと、かさかさこそこそとなにかが動く気配を感じ取れた。
目を開けると、辻に人影があった。
「おばさん」
たどり着き、そして会えた。
ほっとした声が出ていた。
におい袋を置いてきたが、もしかしたら染みついた香りで無理はないか、と考えていたのだ。前のものとかおりが違っていたから、功巳の処方が変わっているのかもしれない。
「お姉さんひさしぶりね、今日はなににするの? って催促みたいなこといっちゃいけないわねぇ」
「おばさん、私……この先、ここの駄菓子は食べられないんです」
「えっ」
「こちらの駄菓子は、私のためのものじゃないから」
おばさんの目が泳いだ。
じわりじわりと空気に染み入りながら、おばさんは百合のほうに近づいてきた。残像がわずかに残っている。
間近に現れたおばさんは、百合の顔を瞬きもせずじっと見つめてきた。
「おばさん、冥府の方のために、自動販売機を管理してるんですってね」
八咫が調べてきてくれた。
ただどれほどおばさんの自我に残っているか、そこはわからないらしい。
おなじ行動をくり返すだけの、執着を持った亡者に変じている可能性もあるという。管理に問題がなければ、そうなっていても取り沙汰されない。
「ああ、そうだ……そうだね、うん……そうだよ。あたしが売ってるのは、そうだ……」
ぶつぶつつぶやき、おばさんは百合から目を逸らした。
駄菓子を食べないと宣言した人間――生者の百合への興味を失ったのかもしれない。
自動販売機も喫煙所も、権利はおばさんの娘が継いでいた。近所には住んでおらず、掃除は業者が請け負っていた。
百合は自動販売機でお茶を買い、こまつ屋の袋から漂う油のかおりをかぎ、帰路につくことにした。
「そうだ、思い出した……そうだよ」
おばさんの声がして、百合は足を止めた。
振り返った闇のなか、にじみ出るようにおばさんの姿が揺らめいている。
「あんた、リリちゃんって呼ばれてた子だ」
それは小学校でのあだ名だった――事故に遭い、転校するまでの。
百合だから、リリー。
「思い出したわぁ、すっきりした! 思い出せそうで、ずっと思い出せなかったのよぉ」
目を向ければ、おばさんは百合に手を振っていた。
「うちの駄菓子はさ、リリちゃんがもっともっと歳取って、あっちにいってから食べにおいで。それまであたしもがんばって続けてくから」
「はい――ありがとうございます」
百合は暗い道を家路に向かって歩きはじめる。
明日には清巳死亡の報が出ることになっていた。
どんな死に方かは聞いてのお楽しみ、と功巳は一切教えてくれなかった。
社外の対応に物流部は追われるだろう。百合はそこに何日かヘルプで勤務することがもう決まっていた。
子細を打ち明けることはできないが、芝田と小境に会える。
清巳の言葉ではないが、思い残すことがないようにしよう――百合は心にそう決めていた。
――まずは夕飯に、たっぷりソースをかけたコロッケとメンチカツを食べるのだ。
暗い道だが、足取り軽く百合はアパートに向かっていった。
(了)
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