19 / 56
4 気さくな怪異
第19話
しおりを挟む
バックレた。
それが消えた新人氏に対する、大多数の感想だった。
陰口が耳に入るものの、それは大声にならなかった――最後に新人氏と顔を合わせたのが、専務だからだろう。
専務が語るに、新人氏は仕事を投げ出して消えるような人間ではない。エレベーターでの短いやり取りでも、彼がやっと総務部に居場所を見つけたようだ、と安堵したという。
その意見に紅緒も賛成だ。投げ出すタイプなら、とうに退職している。
安堵した矢先に新人氏が消え、専務はひどく驚いたそうだ。
新人氏は台車ごと消えている。受付担当者が必ず一階の受付席にいるが、出ていく姿は目撃されていない。
案外ビルのどこかにいたりして。誰かの叩く軽口を紅緒は聞いていた。
それに内心同意している。
おそらく、新人氏は会社のどこかにいるのだろう。それが十階なのかどうかわからないが、それを知る方法を紅緒は持たない。
――如月に尋ねたら、なにかわかる。
気がする。
新人氏が消えてから、六階の共用スペースでは菓子が食い荒らされるようになっていた。退社するときにあった菓子類が、翌朝には食い荒らされた無残な状態となっている。
新人氏が社内に隠れ住み、人目のないときにお菓子を食べて暮らしている――そんな噂も耳に入った。
そんなわけがない。
紅緒は食い荒らしている犯人を知っている。
ふんすはっは。
「そちらは、いったいどういう」
無視を決めこんでいた紅緒だが、残業で如月とふたりきりになったため、思い切って尋ねてみた。
それはひょこひょこと机の影から現れた。
最近では就業中でもフロアを歩き回っている。ほかの誰の目にも映っていないのか、騒ぎになることはなかった。もちろん鼻息をほかの誰かが気にした様子もない。
「世間さまでは、人面犬とか呼ぶようですよ」
如月はそういって大振りのファイルを閉じ、パソコンの電源を落としていく。
「まあ、確かに人面で犬ですね。はじめて見ました。ここに住んでるんですか?」
人面犬は紅緒に笑顔を向けてくる。
「住めば都ってやつだよ」
仕事はさておき、紅緒はスマホで『人面犬』を調べてみる。
インターネットの検索結果では、人面犬は人間の顔を持ち、人語を解するということ。
走行中の車に時速百キロメートルの速度で追いつく健脚を持ち、追い抜かれた車は事故を起こすそうだ。またゴミ箱を漁ることもあり、それを目にしたものに「ほっといてくれ」というのだとか。
「腹減ったな」
人面犬がぼやく。
「けっこうな時間になってますね。三嶋さん、おなか空きませんか?」
仕事が終わったなら先に帰ってくれ、と言いたいところだが、人面犬とふたりになりたくなかった。
「もうちょっとで終わりそうなので……そちらの人面犬の方、どちらからいらしたんですか」
「あっちでしょうかね、気がついたらいました」
あっち――異界のことだろう。
「……返してこられないんですか?」
「どうでしょう、このあたりから離れませんし」
「いてもしょうがないでしょう」
モニタから目を逸らし、眉間を揉む。疲れている。余計なものを見たくないし、関わり合いになりたくなかった。
「なんだい、冷たいねぇ」
語尾はふんすはっは、という鼻息にまみれていた。
「会社にいても楽しくないと思いますが。なんというか……もともと暮らしてたところのほうが、人面犬の方だっていいんじゃないでしょうか。残業があるから私たちもまだいますが、それもなかったら真っ暗なフロアにひとりきりでしょう?」
紅緒は慎重に言葉を選んでいた。異界の住人相手とはいえ、辛辣な言葉をぶつけたくない。
「……風の吹くまま、あてもなく暮らしてるからなぁ。どこが故郷かなんて、とっくに忘れちまったなぁ」
風来坊とでもいいたいのかもしれない。それならさっさとどこぞに流れていってくれたらいいのに。
「俺、そこのコンビニいってきます」
「え、そんな」
不意打ちのような如月の言葉に、紅緒は高い声を出していた。
「ちょっと買い物してきます。ふたりで待っていてください」
「気をつけてなぁ」
スマホと財布を手にした如月が、上着も持たずに出ていく。すぐ戻るつもりなのだろう。
いそいそと人面犬は如月の椅子にすわろうとしたが、キャスターが滑ってしまいうまく上れずにいる。
「なあ」
「いまのうちに、作業進めますね」
助けを求めるような目をする人面犬に聞こえるようにつぶやき、紅緒はモニタに向き合っていった。
それが消えた新人氏に対する、大多数の感想だった。
陰口が耳に入るものの、それは大声にならなかった――最後に新人氏と顔を合わせたのが、専務だからだろう。
専務が語るに、新人氏は仕事を投げ出して消えるような人間ではない。エレベーターでの短いやり取りでも、彼がやっと総務部に居場所を見つけたようだ、と安堵したという。
その意見に紅緒も賛成だ。投げ出すタイプなら、とうに退職している。
安堵した矢先に新人氏が消え、専務はひどく驚いたそうだ。
新人氏は台車ごと消えている。受付担当者が必ず一階の受付席にいるが、出ていく姿は目撃されていない。
案外ビルのどこかにいたりして。誰かの叩く軽口を紅緒は聞いていた。
それに内心同意している。
おそらく、新人氏は会社のどこかにいるのだろう。それが十階なのかどうかわからないが、それを知る方法を紅緒は持たない。
――如月に尋ねたら、なにかわかる。
気がする。
新人氏が消えてから、六階の共用スペースでは菓子が食い荒らされるようになっていた。退社するときにあった菓子類が、翌朝には食い荒らされた無残な状態となっている。
新人氏が社内に隠れ住み、人目のないときにお菓子を食べて暮らしている――そんな噂も耳に入った。
そんなわけがない。
紅緒は食い荒らしている犯人を知っている。
ふんすはっは。
「そちらは、いったいどういう」
無視を決めこんでいた紅緒だが、残業で如月とふたりきりになったため、思い切って尋ねてみた。
それはひょこひょこと机の影から現れた。
最近では就業中でもフロアを歩き回っている。ほかの誰の目にも映っていないのか、騒ぎになることはなかった。もちろん鼻息をほかの誰かが気にした様子もない。
「世間さまでは、人面犬とか呼ぶようですよ」
如月はそういって大振りのファイルを閉じ、パソコンの電源を落としていく。
「まあ、確かに人面で犬ですね。はじめて見ました。ここに住んでるんですか?」
人面犬は紅緒に笑顔を向けてくる。
「住めば都ってやつだよ」
仕事はさておき、紅緒はスマホで『人面犬』を調べてみる。
インターネットの検索結果では、人面犬は人間の顔を持ち、人語を解するということ。
走行中の車に時速百キロメートルの速度で追いつく健脚を持ち、追い抜かれた車は事故を起こすそうだ。またゴミ箱を漁ることもあり、それを目にしたものに「ほっといてくれ」というのだとか。
「腹減ったな」
人面犬がぼやく。
「けっこうな時間になってますね。三嶋さん、おなか空きませんか?」
仕事が終わったなら先に帰ってくれ、と言いたいところだが、人面犬とふたりになりたくなかった。
「もうちょっとで終わりそうなので……そちらの人面犬の方、どちらからいらしたんですか」
「あっちでしょうかね、気がついたらいました」
あっち――異界のことだろう。
「……返してこられないんですか?」
「どうでしょう、このあたりから離れませんし」
「いてもしょうがないでしょう」
モニタから目を逸らし、眉間を揉む。疲れている。余計なものを見たくないし、関わり合いになりたくなかった。
「なんだい、冷たいねぇ」
語尾はふんすはっは、という鼻息にまみれていた。
「会社にいても楽しくないと思いますが。なんというか……もともと暮らしてたところのほうが、人面犬の方だっていいんじゃないでしょうか。残業があるから私たちもまだいますが、それもなかったら真っ暗なフロアにひとりきりでしょう?」
紅緒は慎重に言葉を選んでいた。異界の住人相手とはいえ、辛辣な言葉をぶつけたくない。
「……風の吹くまま、あてもなく暮らしてるからなぁ。どこが故郷かなんて、とっくに忘れちまったなぁ」
風来坊とでもいいたいのかもしれない。それならさっさとどこぞに流れていってくれたらいいのに。
「俺、そこのコンビニいってきます」
「え、そんな」
不意打ちのような如月の言葉に、紅緒は高い声を出していた。
「ちょっと買い物してきます。ふたりで待っていてください」
「気をつけてなぁ」
スマホと財布を手にした如月が、上着も持たずに出ていく。すぐ戻るつもりなのだろう。
いそいそと人面犬は如月の椅子にすわろうとしたが、キャスターが滑ってしまいうまく上れずにいる。
「なあ」
「いまのうちに、作業進めますね」
助けを求めるような目をする人面犬に聞こえるようにつぶやき、紅緒はモニタに向き合っていった。
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
背徳のミラールージュ(母と子 それぞれが年の差恋愛にのめり込んでいく鏡写し)
MisakiNonagase
恋愛
24歳の市役所職員・中村洋平には、自慢の恋人がいた。2歳年上の小学校教師、夏海。誰もが羨む「正解」の幸せの中にいたはずだった。
しかし、50歳になる母・美鈴が21歳の青年・翔吾と恋に落ちたとき、歯車は狂い出す。
母の恋路を「不潔だ」と蔑んでいた洋平だったが、気づけば自分もまた、抗えない引力に引き寄せられていた。
その相手は、母の恋人の母親であり、二回りも年上の柳田悦子。
純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。
交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
近づいてはならぬ、敬して去るべし
句ノ休(くのやすめ)
ホラー
山中、もしあなたがそれに出会ったら……
近づいてはいけない。
敬して去るべし。
山を降りろ。
六年勤めた会社を辞めた。お荷物だとはわかっていたし、むしろ清々しくもあった。
28歳のコウイチには、仕事より大切なものがあった。
田舎歩きだ。そこ大事なのが学生のときにかじった民俗学だ。廃集落、古い祠、忘れられた神々——それを訪ねることは、彼のたった一つの愉しみだった。
大学時代、民俗学の講義で准教授はこう言った。「神々は神ではない」。人が畏れ、従い、忖度したものがかみになる。その言葉がコウイチを変えた。
会社の営業で関東のあちこちを歩きまわった。コウイチは仕事よりも土地の古老の話に耳を傾けることに熱中したほどだった。
失業後、ふと見つけた資料にコウイチは目を奪われた。
「名付け得ぬ神」。
東京の西、檜原村の奥深く、コボレザワという場所にその祭祀を担った一族がいたという。山奥には祠があるらしい。だがもう六十年も前に無人になってしまっているようだ。
コウイチは訪ねてみることにする。
道中、奇妙な老人に出会う。一人目は気のいい古書店主。二人目は何かを知りながら口を閉ざす資料館の老人。そして三人目は——
深い山中でコウイチはついに祠を見つけた。巨大な岩を背にした祠は古び、壊れていたが、まだ人が来ている痕跡があった。
不穏な気配にコウイチは振り向くが、なにもない。
日本の中心地・東京。そこからわずかにはずれた山の中に潜む秘密をめぐる奇譚。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる