闇がしたたる ~三千世界に怪異は嗤う

日野

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4 気さくな怪異

第20話

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「いいもん買ってきたな!」

 如月が戻るなり、人面犬は椅子に体当たりをし駆け出した。ふんっすっす、と呼吸が荒くなる。
 彼が手に下げたコンビニの袋は大きさがあった。人面犬は後ろ足で立ち、激しく尾を振っている。

「うまそうじゃねぇか!」
「わかりますか?」
「甘いもんばっかで飽き飽きしてんだ、気が利くねぇ」

 顔が人間とはいえ、本分は犬らしい。買い物袋の中身がわかるくらいに鼻がきくのだ。
 共用スペースにある菓子を食い荒らす犯人は、やはりこの人面犬だ。これが生き物なのかは判じかねるが、腹が減るならそれこそ会社に留まらないほうがいいだろう。
 如月が買ってきたのは弁当の類いだ。人面犬の前には、塩辛を乗せた白米のトレイが置かれた。

 人面犬はそれを貪り、顔をしかめる。

「うまい! これだけしょっぱい食い物がうまいんだ、俺もそうとう疲れてるな」

 甘い物に飽きていただけではないのか。

「名前はあるんですか? こちらとしては犬で構わないんですけど」

 単独で生きる怪異に名前は必要なのか。名前があるなら、それは単独ではないということか。

「そんじゃいっちゃんで……一番ってカンジでいいだろ、いっちゃんって」

 犬のいっちゃんか。紅緒はひとり納得する。

「それはともかく、どうしてこちらに? いままでお見かけしたことはないと思いますが」

 人面犬に尋ね、紅緒は如月が奢ってくれた野菜スープをすする。如月は如月で、おにぎりを口に運んでいる――ようだ。したたる闇におにぎりをつっこむ姿は食事風景とは思えなかった。

「見たことない道があったから通ってみたんだ。そしたら、ここに着いた。ぐるっと散歩して戻ったら、もう道がなくなっててなぁ」

 危機管理とは縁遠い生き物らしい。紅緒はスープに入っていた肉団子をひとつ、人面犬の白米の上に乗せた。

「まだ熱いので、食べるとき気をつけてください」
「わりぃね。で、いまはさ、ストーカーっつうの? つきまわとわれてんだよな、俺。目立つからかなぁ」

 総務部を歩き回る人面犬に、誰も気がついていないようだった。
 他人の目に見えない人面犬――それを追ってくるというのは、果たしてこちらのものか、異界のものか。
 この人面犬につきまとってどうするのだろう。常人ならつきまとわず、さっさと逃げ出す類いのものだ。

「あいつに捕まったら、俺なにされるかわかんねぇわ」

 捕まえられる事態を人面犬は危惧しているようだ。
 心配しながら如月の席の影に暮らし、総務部を徘徊し、共用スペースの菓子を食い荒らす――六階以外にも出歩いているのだろうか。
 ここなら安全と思っているのかもしれない。
 それを尋ねるか紅緒は迷った。その質問は人面犬に立ち入り過ぎだ。これ以上関わりたくない。

「あいつといいますが、姿は見てるんですか?」

 尋ねた如月は、パック詰めのチーズを取り出した。ひとつを人面犬の前に置く。紅緒にも寄越そうとするが、首を振って断った。

「四つ足だなぁ――これもしょっぱいな。いいねぇ」
「同類の方ですか」

 チーズを闇に突っこみ、如月も「しょっぱい」とつぶやいた。

「やめてくれよ、あんなのと一緒にするなぃ」
「あんなの、ですか」

 きさらぎ駅探索ツアー以降、紅緒が所属する総務部では残業が当たり前になってしまった。
 帰りがけにコンビニで遅い夕食を調達することが多く、最近ではどのチェーンにどんな弁当があるか熟知している。今日の野菜スープははじめて食べたものだ。紅緒としては当たりの味で、また今度自分でも買おう。

「最近はこっちに寄ってこねぇが、近いとこをうろうろしてやがる。帰り道も探したいし、ここでタダ飯食ってる気はねぇんだ、ほんとほんと」

 口が閉ざされると、ふんすはっは、と人面犬の息使いが聞こえてくる。

「そのお相手と顔を会わせなくても、どのあたりにいるかわかるんですか? あ、ごちそうさまでした」

 紅緒は空になった容器を片づけはじめる。

「そらぁ俺は鼻がいいから。あいつと鉢合わせたの、上の階なんだよ。においは覚えたが、あいつもあいつで鼻がいい――まあ、俺ほどじゃねぇがな」

 彼の自慢の鼻が、ふんすはっはと鳴る。

 視線を感じ、紅緒は闇が滴っている如月に目をやった。彼がどこを見ているのかわからないが、それが自分に向けられていると感じる。
 頭にひとつの考えが浮かんでいた。
 それを口に出して、紅緒はどうするのか。

 ――関わり合いになりたくない、と切実なまでに考えているのに。

「すこし前に、このフロアにいた男のひと……わかりますか? 最近ここにいないんですが」
「あー、ぽやっとしたやつか。あれだろ、新人ちゃん」
「さっきタダ飯っていいましたけど、鼻を使ってみませんか? 彼のにおいを探してほしいんです」

 ビル内にいる確証はないが、鼻が利くというなら探し出せるのではないか。
 新人氏がビル内にいるのかいないのか、それだけでも知りたい。
 人面犬はこれ以上ないほどのいやらしい笑みを浮かべた。

「頼られちゃあしょうがねぇな。俺に任しときな」

 べつにそんなに頼っていない、と抗弁したかったが、如月が豆大福を差し出してきたのでなにもいわなかった。
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