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4 気さくな怪異
第22話
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どうするべきか。
総務部で壁の時計をにらむうちに、時刻は零時に近づいている。その間にも如月がコンビニに向かい、店内の和菓子を買いこんできてくれた。
遠慮なくそれを口に運び、紅緒はスマホで終電の時間をチェックした。
「電車ですか?」
「ええ、まだ終電に乗ったことないんです。何時まで動いてるかもわからなくて……すぐ出れば間に合いそうなんですが」
となりの席で如月は、背もたれに全体重をかけて伸びをはじめる。帰る気も帰す気もなさそうだ。
「終電って混んでますよ」
「そうなんですか? タクシーだと高いですよね、きっと」
「まあそのあたりは、帰るときに考えましょう」
紅緒はスマホを食べかけの大福のとなりに置く。草饅頭やみたらし団子を先にいただいたせいか、半分囓ったところで止まっていた。
「ワンちゃん、無事でしょうか」
「どうでしょう。足ははやそうですよね」
「あの身体のサイズだと、足がはやくても追いつかれるんじゃ」
通路をみっちりとふさいだ白猫を思い起こす。
巨大な生き物の一歩と、ちいさな生き物の一歩。両者が全力で走ったとき、どんな勝負になるだろう。
あの白猫が、人面犬の警戒していた相手で間違いないか。あれに捕まったら、どんな目に遭わされるのか。
正直なところ、紅緒はあれを怖いと思わなかった。
――気をつけるんだぞ、あいつは恐ろしい。たぶらかされるなよ。
人面犬の言葉が耳の奥にこだました。
「猫、だったと思うんですが」
「そうですね、俺もあれは猫だったと思います」
「危険でしょうか」
「わかりません。いっちゃんみたいに話ができる相手かもわかりませんし、どうなんでしょうね」
話はできているが、目の前の闇濡れ男は信頼していいのか。危険ではないのか。
「安全策を取るなら、どうしたらいいんでしょう」
大福をつまみ上げる。食欲は落ち着いており、つまんだまま紅緒は弄ぶように揺らした。
「確実なのは逃げることですよ。いまみたいに、距離を取るんです」
「……逃げる、だけで?」
「そうです。走ってでもなんでもいいです、逃げるんですよ」
「距離を取れたら、安心していいんですか?」
「追いかけてきたら、その分また逃げてください。逃げ続けられたら楽勝ですね。距離が空いてたら、殴ろうとしても届かない。殴れないでしょう?」
伸びをしていた如月は、今度は首を左右にし、ストレッチらしきことをはじめる。滴り落ちる闇の飛沫が、孤を描いて放り出されて消えていく。
「いまは殴れる範囲から、逃げ切れてるんでしょうか」
「それはわかりません。でもそれが起こるなら、先にいっちゃんが殴られてるでしょうね」
彼の態度からして、ここは安全なのだろう。
周囲はいつもとおなじで、視界は赤みがかって感じない。
紅緒はフロアの一角に視線を向ける。
そこは新人氏の席だ。
つまんでいた大福がすべり落ちる。指の腹を餡子が掠めていった。指先をこすり合わせたが、とくにべとついた感触はない。
どうして紅緒は人面犬と一緒に動いたか。
新人氏を見つけたいからだ。
「どうしましょうか」
見つけるためには、人面犬の協力が必要――なのだろうか。
協力などなくとも、あっさり新人氏は戻ってくるかもしれない。一緒に消えていた台車や書類と一緒に。
わからないことだらけだ。
紅緒は動かなくていいのかもしれない。
帰って来ないねぇバックレちゃったねぇ、とたまに誰かが思い出したように話すだけで、彼のことは忘れてしまえばいいのだろう。
だがきっと、それは難しい。
紅緒がエレベーターを忌避せずにいたら、彼は消えなかったかもしれない。
人面犬の声にとっさにドアに飛びついていなかったら、十階でなにか見つけていたかもしれない。
紅緒は選ばなかった選択肢の先を考えてしまっている。
「おなかはいっぱいになりましたか?」
「おかげさまで」
「で、三嶋さんはどうします?」
わかっていて訊いている、そんな声だ。
選ばなかったものは、もう取り戻せない。
だがいまできることはある。
「ひとまずワンちゃんの回収だけでも」
「そうですね」
あっさりと如月はこたえ、腰を上げる。
これからどれだけかかるだろう、人面犬も腹を空かせているだろうか。
しょっぱいものはないが、紅緒はまだ手をつけていないおはぎと大福のパックをポケットに入れた。
見上げた如月の顎先から、闇が滴っていた。
総務部で壁の時計をにらむうちに、時刻は零時に近づいている。その間にも如月がコンビニに向かい、店内の和菓子を買いこんできてくれた。
遠慮なくそれを口に運び、紅緒はスマホで終電の時間をチェックした。
「電車ですか?」
「ええ、まだ終電に乗ったことないんです。何時まで動いてるかもわからなくて……すぐ出れば間に合いそうなんですが」
となりの席で如月は、背もたれに全体重をかけて伸びをはじめる。帰る気も帰す気もなさそうだ。
「終電って混んでますよ」
「そうなんですか? タクシーだと高いですよね、きっと」
「まあそのあたりは、帰るときに考えましょう」
紅緒はスマホを食べかけの大福のとなりに置く。草饅頭やみたらし団子を先にいただいたせいか、半分囓ったところで止まっていた。
「ワンちゃん、無事でしょうか」
「どうでしょう。足ははやそうですよね」
「あの身体のサイズだと、足がはやくても追いつかれるんじゃ」
通路をみっちりとふさいだ白猫を思い起こす。
巨大な生き物の一歩と、ちいさな生き物の一歩。両者が全力で走ったとき、どんな勝負になるだろう。
あの白猫が、人面犬の警戒していた相手で間違いないか。あれに捕まったら、どんな目に遭わされるのか。
正直なところ、紅緒はあれを怖いと思わなかった。
――気をつけるんだぞ、あいつは恐ろしい。たぶらかされるなよ。
人面犬の言葉が耳の奥にこだました。
「猫、だったと思うんですが」
「そうですね、俺もあれは猫だったと思います」
「危険でしょうか」
「わかりません。いっちゃんみたいに話ができる相手かもわかりませんし、どうなんでしょうね」
話はできているが、目の前の闇濡れ男は信頼していいのか。危険ではないのか。
「安全策を取るなら、どうしたらいいんでしょう」
大福をつまみ上げる。食欲は落ち着いており、つまんだまま紅緒は弄ぶように揺らした。
「確実なのは逃げることですよ。いまみたいに、距離を取るんです」
「……逃げる、だけで?」
「そうです。走ってでもなんでもいいです、逃げるんですよ」
「距離を取れたら、安心していいんですか?」
「追いかけてきたら、その分また逃げてください。逃げ続けられたら楽勝ですね。距離が空いてたら、殴ろうとしても届かない。殴れないでしょう?」
伸びをしていた如月は、今度は首を左右にし、ストレッチらしきことをはじめる。滴り落ちる闇の飛沫が、孤を描いて放り出されて消えていく。
「いまは殴れる範囲から、逃げ切れてるんでしょうか」
「それはわかりません。でもそれが起こるなら、先にいっちゃんが殴られてるでしょうね」
彼の態度からして、ここは安全なのだろう。
周囲はいつもとおなじで、視界は赤みがかって感じない。
紅緒はフロアの一角に視線を向ける。
そこは新人氏の席だ。
つまんでいた大福がすべり落ちる。指の腹を餡子が掠めていった。指先をこすり合わせたが、とくにべとついた感触はない。
どうして紅緒は人面犬と一緒に動いたか。
新人氏を見つけたいからだ。
「どうしましょうか」
見つけるためには、人面犬の協力が必要――なのだろうか。
協力などなくとも、あっさり新人氏は戻ってくるかもしれない。一緒に消えていた台車や書類と一緒に。
わからないことだらけだ。
紅緒は動かなくていいのかもしれない。
帰って来ないねぇバックレちゃったねぇ、とたまに誰かが思い出したように話すだけで、彼のことは忘れてしまえばいいのだろう。
だがきっと、それは難しい。
紅緒がエレベーターを忌避せずにいたら、彼は消えなかったかもしれない。
人面犬の声にとっさにドアに飛びついていなかったら、十階でなにか見つけていたかもしれない。
紅緒は選ばなかった選択肢の先を考えてしまっている。
「おなかはいっぱいになりましたか?」
「おかげさまで」
「で、三嶋さんはどうします?」
わかっていて訊いている、そんな声だ。
選ばなかったものは、もう取り戻せない。
だがいまできることはある。
「ひとまずワンちゃんの回収だけでも」
「そうですね」
あっさりと如月はこたえ、腰を上げる。
これからどれだけかかるだろう、人面犬も腹を空かせているだろうか。
しょっぱいものはないが、紅緒はまだ手をつけていないおはぎと大福のパックをポケットに入れた。
見上げた如月の顎先から、闇が滴っていた。
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