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悟の世界

サトル。Ⅲ

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サトルは興奮していた。その興奮が、自分が生きることを始めた瞬間を話しているのだと証明していた。

「その後から、僕のこの世界での人生が始まるんだ」

噛み締めるように言った。

「ナオミちゃんのお母さんに助けてもらいながら、花を売る生活を始めた。家に泊めてもらいながらお母さんの同業者ともお話したよ。当時はまだ、娼婦という職業に肯定的な人たちは居なかったな。でも、価値観の変わった僕と話して徐々にナオミちゃんのお母さんのような人が増えて行ったと思う」

ミノルは驚いた。サトルの言葉にそこまでの重みがあるなんて。正直に聞いた。

「いったいどんなことを話したらそんなことが出来るんだ?」

人の価値観なんて中々変わらないと思っていた。だから、聞いた。

「僕は特に何もしていないんだ ただ、話していくうちに、彼女達、時には彼もいたけれど、自己肯定感を持ち始めたんだ 僕がナオミちゃんのお母さんの話や、ユタカの話しをしたからそれに影響されたのかもしれない。 でも、彼女達は自分で考え、自分で行動し、自分でそう思うようになったんだよ」

ミノルも真剣に聴いた。この話は自分にも当てはまると思ったからだ。

自分も昨日、今日で、この世界のこの町を見て回った。

自分が思いもよらない価値観に立て続けに出会った。それは大きく自分の人生観を変えた。

短いようでとても濃密な2日間だった。

それをきっとサトルも経験したんだ。

そしてその経験が他の人たちに伝播した。

サトルはさらに続ける。

「次に会ったのはケンだね。 彼とは元の世界で知り合いなんだったよね?」

ミノルは簡潔に答える。続きが早く聴きたかった。

もう夕暮れ時になっていたし、ナオミも子供達も先生もいつの間にか解散して広場は閑散としていた。

「そうだよ。俺の部下だった」

サトルは少し笑った。

「ふふっ そうだったんだ。でも彼は2年前は町の無法者で厄介者だったんだ。彼らといったほうが正確かな?あの大衆酒場で出会った人たちだよ。ところがユタカが無法者達に声をかけたんだね。声と言うかコミュニケーションをとろうとしたんだよ。そこからまた、僕とユタカと無法者、ケンたちと話していくうちに彼らは職が無くて無法者をやるしかない状況だって分かったんだ。だから、僕とユタカで隣町の富裕層のところまで行って営業するように説得して、彼らが営業に行ったんだ。そして、建築業を任されるようになったんだ。これももちろん、彼らが直接、営業をしたからだよ。遂に彼らも自分で判断し、行動し、結果を得たと言うことだね」

あの大衆酒場で話していたことは、こういうことだったのかとミノルは理解した。

「このあたりから僕は花を売りながら、あの森の前の家に住むようになったんだ。いつまでのナオミちゃんのお母さんにお世話になるわけにはいかないからね。もちろん花を売るだけでは生活できないから、皆の相談役として少しばかりお礼をもらってその日暮らしをしているんだ。このライフスタイルは僕にとっても合っていてね。自分の理想の社会に近づけるし、それがまた楽しかった。あの家も気に入っているよ」

ここまでで、サトルがどうやって、この町の社会風土を変えてきたのかが分かってきた。

サトルは干渉するのではなく、彼ら自身に感じて、判断して、行動して、責任を取る。それを促していただけなんだ。

その結果、少しずつ少しずつ価値観や社会風土が変わっていったんだ。そう理解した。

2年間もそうしていれば確かにサトルの理想とする社会に変わるかもしれない。そう思った。

そして次の疑問はこの学校だった。実際にどうやって学校を作ったのだろう。この世界では学校という言葉は無いようだが実質的に学校だった。それも生きるために必要なことを教える実践的な学校。

この目的はなんだろう。

「じゃあこの学校はどうやって作ったんだ?」

ミノルは率直に聞いた。

「実はこの学校を提案したのはユタカなんだ。彼女の経験上、障がいを持った人や、教育を受けていない子供達は生きていくのが精一杯と言うのが現状だと知っていた。そこで皆で勉強できる場所を作ったんだ。精神疾患の先生は僕のところに相談に来ていたんだ。そこで、薬の受け渡しをしているときに気がついたんだ。この人は精神疾患を患っているけれども、神経質、逆を言えば人をよく見ることが出来る。そう思ってこの先生と教育を受けていない子供達を繋げて出来たのがこの広場で行われている勉強の正体だよ。もちろん僕は話してみただけだ。子供達も自分で考えて勉強しているし、先生だって自分で先生をやると決めてくれたよ」

そしてミノルは最後に単刀直入に聞いた。

「それはお前の自己満足じゃないんだな?」

サトルは真剣な表情と眼差しではっきり答えた。

「正直に言えば僕の理想とする社会に近づけたいと言う欲求はある。でも皆、自分で判断して、行動して、その責任を負っている。つまり彼らは自分で生きているんだ。もちろん僕もそのうちの1人だと今なら自信を持っていえるよ」

ミノルは安堵の表情を浮かべていった。

「そうか、お前は居場所を見つけたし、作り出したんだな。自分で、仲間と一緒に」

サトルはうなずきながらさらに続けた。

「”死後の世界”もたしかに生きづらい。でもやり方次第、工夫次第、そして、生き方次第で状況は変えることが出来るんだ。僕はそう思っている」

そしてミノルはさらに思った。自分もこの世界で生きていきたい。その気持ちを正直に伝えた。

「サトル、俺も、この世界で生きたい。自分で自分の幸せを作りたい」

ミノルはハッキリとこの親友とこの世界で生きて生きたいと思った。

それも、彼の言うように、自分で感じ、判断し、行動し、責任を取る。

本当の意味でこの世界で生きたいと思っていた。

そしてその感情を正直に言った。

しかしサトルは冷徹な表情を浮かべて言った。

「それはダメだ」

ミノルには納得がいかなかった。この世界で親友と一緒に幸せになりたい。

そう思うことの何がいけないのか?そう思った。

そして同時にこの親友が気まぐれでそう言ったのではないと判断できた。

そのことがなおさら納得できなかった。

「サトルさん!ミノルさん!大変です!ナオミさんが!」

必死の形相で伝えて来たのはケンだった。

ミノルの親友との問答はそこで打ち切られた。


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