へたれ魔王は倒せない!

綾坂キョウ

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第十一話 実地訓練

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 瘴気の森は恐ろしい場所だ。その場に一歩足を踏み入れれば、理由が分かる。人間を害する気に満ち、陰陽のバランスは崩れ、気を違わせ、そして侵入者が弱るのを魔物が手ぐすね引いて待ち構えている。

 だが、冒険者たち――とりわけ、魔物退治を生業とする「勇者」たちにとっては、かっこうの狩り場でもある。

 瘴気の侵食を和らげる護符を身につけ、互いに様子を監視し合いながら、森の中に現れる魔物たちを狩るのが、間際の村に集まる冒険者や勇者たちの常である。一時間かそこらの短期決戦を迫られるが、そのわりに魔物との遭遇率が高いため、ベテランになるほどこの森に来るのを好む傾向にある。ただし、引き際を見極められるということが絶対条件となる、危険と隣り合わせの猟場ではあるが。


「今日はなかなか出ないっスねー」


 額にあるオレンジのバンダナをいじりながら、青年がつまらなそうに言う。本人に自覚はないようだが、たまに足がもつれているのに、一緒に歩いているスキンヘッドは気がついていた。


「そろそろ切り上げるか」

「えーっ、せっかく入ったのに。もったいないっス。自分はまだいけるっスよ」


 そう、力こぶを作りバンダナが元気であるとアピールしてくるのに対し、スキンヘッドはその背中をポンと叩いた。


「俺が疲れてきたんだよ」

「アニキ……かっこよすぎっス」


 スキンヘッドは本来一人であれば、一般の勇者たちに比べて長い時間、森で狩りを続けられるだけの実力をもっている。スキンヘッドの優しさに、バンダナは不甲斐なさ以上に憧れを覚え、目を輝かせた。


「しっかし、ほんとに出ねぇなぁ」


 首を傾げて、スキンヘッドがぼやく。二人が森に入ったのは、もちろん狩りの獲物となる魔物を探してのことだ。先日、再び迷惑をかけた酒場の主人に、詫びと騒ぎで壊れた物の弁償として、金銭を渡すつもりなのだが――もちろん二度目になる菓子折りも準備済みだ――、さしあたって、魔物を退治し報償金を得る必要があった。
 ここに来れば、さほど時間をかけずに魔物の一匹や二匹は狩れると思ったのだが。

 そのときだった。

 枝葉の擦れる音が、頭上からした。はっとして剣をかざすと、重い衝撃が腕に走る。
 にたりとした笑いを感じとり、襲ってきたそれに目を合わせた。そこにいたのは、の女だった。間近にある瞳孔は縦に長く、顔もびっちりと灰色の鱗に覆われている。
 女の下半身は大蛇だった。一抱えもある太い尾が、頭上の枝に絡みついている。


「アニキ!」


 バンダナが叫び、助太刀のつもりかナイフを持って迫ってくる。だが魔物はそちらを気にもせず、黒く太い爪をもう一度振り上げてきた。


「待て。動くな」


 声だけで静止し、剣を構え直す。爪の動きを読み、剣で受け流していくが、細かな動きで休みなく連撃を受けては、隙が見いだせない。


(くそ……っ)


「うわぁぁっ!」


 まずいと思ったのか、かけ声と共に再びバンダナが突っ込んできた。止めろと言いたかったが、その余裕がない。集中が途切れれば、爪を捌ききれなくなる。

 蛇女は爪の動きを止めず、顔だけバンダナに向けると口をかぱりと開け、そこから雷球を放った。「ひっ!」と悲鳴をあげ、バンダナの動きが止まる。

 だが同時に、集中が散漫になった蛇女の攻撃に、僅かだが隙が見えた。


(今だっ!)


 下がり続けていた足を、一歩踏み込みに変えようと身体の重心をずらす。

 だが。

 真横からの衝撃に、スキンヘッドは声をあげることなく吹っ飛んだ。わけが分からないまま、地面に叩きつけられる。

 噛んだ唇から流れ出てくる血の味に吐き気を覚えながら、それでも狂いかけた平衡感覚を必死でつかみ、立ち上がろうともがく。


「大丈夫ですかっ、アニキ!」


 雷球はなんとか避けたらしい。怪我らしい怪我もなく、バンダナがスキンヘッドに駆け寄って来る。だが、スキンヘッドはそれに答えることができなかった。

 片足をついて、なんとか元いた場所を見る。そこには、蛇女に加えて人狼が、こちらを見据え構えていた。


「――逃げるぞ」

「え?」


 バンダナが訊き返してくるのには答えず、自分より軽いその身体を小脇に抱え、スキンヘッドは走り出した。

 森の入り口がどちらだかは分からなかったが、それは後で調べれば良い。今は、この場から離れるのが先決だった。

 人狼の脚で追いかけてこられたら、逃げ切れる気はしなかったが、幸運にも魔物たちは追って来なかった。その幸運に感謝し、魔物たちの気が変わらない位置までひたすらに走る。


「どうしたんスかアニキ! そんな、逃げるなんて」


 抱えられたバンダナが、狼狽えた声で怒鳴るように訊ねてきた。
 スキンヘッドは、少なくともバンダナと森に入るようになって以来、戦闘から逃げ出したことはなかった。だが、今回は。


「気づかなかったか? 魔物ども……あいつら、計算して連携してきやがったッ」


 そもそも、蛇女の戦闘スタイルからして、今まで戦ってきた魔物たちとは違っていた。

 魔物たちは大抵、協力な大技で勝負を一気につけたがる傾向がある。相手に、実力の差を見せつけるためだろう。魔物の本能なのかもしれない。その際に生まれる隙を突くことで、人間たちは魔物とやり合ってきた。

 だがあの蛇女は違った。細かな連撃を繰り返し、堅実にこちらを圧してきた。魔物のスタミナと力でそれをやられると、生半可な人間では太刀打ちできなくなる。

 更には、ようやく生まれた隙に飛び込んできた人狼だ。あれは、蛇女のサポートのために、敢えてあのタイミングでやって来た。

 ――今までの魔物たちとは、明らかに違う挙動。


「いったい、なにが起きてるんだ……ッ!?」

※※※

「まぁまぁだな」


 スキンヘッドらが去った場に、ぞろぞろとやって来たのはリュースと、城の一部の魔物たちだった。それに遅れて、アーティエの姿もある。


「注意点はあるが、なかなか良かったぞ蛇女。動きが、今までと段違いだ。その調子で行け」

「ありがとうございます、教官」


 舌をちりちりと鳴らしながら、丁寧に頭を下げる蛇女にリュースが頷く。


「改善点としては、二手から攻められたときの対応だな。あそこで気をやると、隙をつかれる。どうせなら、新手は適当に尾で距離を取って、追いつめた相手に対して至近距離で魔力を放った方が確実だ」


 魔物が扱う魔力は、精霊術と異なり、詠唱なしに放つことができる技だ。自分の内にある力を具現化して放つため、消耗は激しいが、不意討ちの効果は抜群だ。


 「けっ」と人狼が不満げに吐き捨てる。


「どうせなら、このまま追ってとどめ刺しちまえば良かったんだ」

「冒険者の一人や二人、とどめ刺してなんになんだよ」

「奴らは俺たちをヤりに来てんだ! 大人しく帰してやる道理はねぇだろうが」


 途端、リュースの蹴りが、人狼の顎に思いきり刺さった。バランスを失い倒れ込む人狼に、「勘違いすんな」とリュースが冷たく言い放つ。


「俺が雇われたのは、てめぇらを鍛え直すためだ。人間を始末するためじゃねぇ。キャンキャン吠えるのも大概にしとけよクソ犬コロが。犬なら犬らしく、自分が負けた相手には腹見せて服従しとけ」

「ぐ……ッ」


 その場の空気が、さっと冷たくなる。「リュース」と話しかけてきたのは、アーティエだった。


「大丈夫かい?」


 その言葉に、リュースは頭を抑えて溜め息をついた。片方の手で胸元の石を握りしめ、小さく舌打ちする。


「どうにも……ここは、やっぱり調子が狂うな」


 もやを払うように頭を降り、「行くぞ」とリュースは魔物たちに声をかけた。それぞれ、訓練を通して多少なりとも怪我を負った魔物たちは、互いを見合わせ、リュースの後ろに従った。それを確認し、大きな声で言い放つ。


「今日の実地訓練は終わりだ。城に戻るぞ」

※※※

 ぼんりと窓の外を見つめていると、「どうしたの?」と声をかけられた。振り返ると、ドクターがカップをこちへ差し出してきていた。


「薬、苦いでしょ。口直し」


 やたらと綺麗なウインクをされ、エリシアはへらっと笑い返した。先程飲んだ薬の苦味が、確かに喉の奥で引っかかっている。


「ありがとう」


 受け取ったカップは白い湯気を吐きながら、鼻先へほんのり甘い香りを漂わせていた。


「……あたしも、ついていきたかったなって」


 エリシアが言うと、少し首を傾げてから合点がいったようで、ドクターは「あぁ」と頷いた。


「さすがにねぇ。森ほどじゃないとは言え、ここにいるのだって、お薬を飲みながらじゃないと厳しいもの。医者としては、またあの森に入るなんてお勧めできないわぁ」

「でも、リュースたちは」

「あの連中と自分を比べない方が良いわ。あいつらと同じ基準で動こうとしたら、アナタが壊れちゃうわよ?」


 ドクターの言葉に嫌味はない。むしろ、優しさが込められており、エリシアは少し項垂れた。


「……エリシアちゃん?」

「リュースね。冒険者になるって決めて、家を出てってから。帰ってくるのは、一年に一度くらいだったんです。両親も、元は冒険者だったから……心配はしてても、特に止めはしなくて。

 あたしはあたしで、別にやりたいことあったし。別にそれについてこうだなんて、考えたこともなかった」


 だが、今から十日程前。リュースは急に帰ってきた。だからと言って、普段と変わった様子があるわけでもなく。

 育ててくれた母の作ったポトフを、鍋が空になるまでたいらげ、食後には皆でパウンドケーキを食べて。まだ新しい彼氏を作らないのかとエリシアをからかい、父と他愛もないお喋りをして、そして。次の日の朝には、誰よりも早く起きて家を出ていった。


「寝てた部屋に、手紙があったの。これまで魔物を倒して稼いだ賞金についてと、これから……魔王を倒しに行くってことが、書いてあって。父さん、足が悪いのに追いかけるってきかないから、代わりにあたしが来たの」


 ドクターは黙って聞いていた。彼の主君を倒しに来たリュースのことを話しているのにもかかわらず、その目は優しい。エリシアは少しほっとして、カップに口をつけた。ほのかな甘味が、じんわりと身体に染み渡る。


「結局、あたしが旅慣れてるリュースに追いつけるわけなくて、先に魔王城に行かれちゃってたみたいだけど……。アレフさんに会って、またお城に行くってなったとき。あたし、ここでついてかなきゃ、もうリュースに会えないんじゃないかって気がして」


 そっと、エリシアは自分の右頬に触れた。すっかり自分の一部となった傷跡が、そこにある。


「アレフさんたちを、疑ってるわけじゃないの。ただね、リュースが……本当に、手の届かない存在になっちゃいそうで」


 馬鹿げた妄想だ。自分でも分かっている。だが、その不安はここに来て、瘴気と共にどんどんエリシアを侵食していた。


「あたし、目を離したら、リュースが人間を捨てちゃうんじゃないかって。そんな、馬鹿みたいなこと……考えてる。だって、人間の世界では、リュースはいつも独りぼっちで。家族以外に、居場所なんてなかったから」


 その家族だって、偽の家族で。彼がその中でなにを考えてきたのかなど、分かるわけもなく。


「だから、アーティエさんっていう友達ができたって知って……嬉しかったんだけど。なんか……森に入ってからのリュース見てると、なんだか」


 頬が痛む。冷たく鋭く、その存在を訴えてくる。
 ドクターは、黙ってエリシアを見ていた。その目は、今は優しさよりも、厳しい光が目立つ。

 エリシアはもう一度、窓の外を見た。瘴気の森を――そこにいるはずの、弟を想って。


「……そんなこと考えてるのを、リュースに知られるのが……あたし、一番怖い」
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