20 / 25
第十九話 〈調停者〉の影
しおりを挟む
朱色の夕陽に目をすがめつつ、エリシアは隣にいる狼型の魔物を撫でた。確か、アレフィオスのペットでポチとかいう名前だったか。
彼は城の門番をしているつもりなのか、背筋をぴんと伸ばし、エリシアになぞ構うことなく森の方を見つめている。だがその灰色の巨大な尾は、エリシアが撫でる度に左右へゆっくり揺れており、外見の厳つさとのギャップが愛らしかった。
「あたしも、犬飼いたいなー」
正確には、ポチは犬ではなかったが、魔物に詳しくないエリシアとしては大差なく感じられた。
犬に限らず、動物は全般的に好きだ。養父母の家には、それこそヤギやらニワトリやらアヒルやらと家畜が多くおり、エリシアも世話を手伝っている。
エリシアが欲しいのは、独り立ちしたあとに飼うペットだ。今住んでいる街から出ようとは思わないが――いつまでも、ただでさえ恩のある養父母の世話になっているわけにはいかない。それに、エリシアにだって目標くらいあった。
「独りの部屋に帰るのって、やっぱり寂しいよねぇ。あー、犬欲しいな、犬」
言ってから、ちらりと上を見上げる。はるか高くにある門柱の天辺には、別の巨大な影がどしりと腰を下ろしていた。魔王のもう一匹のペット、タマだ。エリシアには興味がないのだろう、前足をざりざりと舐めながら夕陽を浴びて、太陽の温もりの名残を味わっている。
「猫も可愛いけど……どうなのかな。飼っている主人には、ちゃんとなついて、お出迎えしてくれるものなのかなー」
ぼんやりと、そんなことを呟いたときだった。タマがすっと尻を持ち上げたかと思うと、下を向いて唸り出した。
「え? え? あたし?」
なにか気にさわることをしただろうか、もしや犬と比べたことを怒っているのだろうかと、エリシアは慌てて手を振る。
「違うの。猫の気まぐれ感も、もちろん好きよ。そもそも、皆違って皆良いって言うか」
弁明するエリシアを無視し、今度はポチが立ち上がって唸り始めた。毛が逆立ち、その目は森を睨んでいる。
「なに。なにか来るの?」
「客人が来るみたいだな」
ガシャリ、という音と共に声がした。振り返ると、警護長がすぐ後ろに立っている。
(うわぁ……いつの間に)
思わず変な声が出かけるのを、喉元でなんとか堪える。彼がリュースにしたことを思うと、どうにも苦手な相手だ――ポチの毛皮にしがみつきながら、エリシアは警護長の視線を追った。
(森……)
「やっぱり、誰か来るんですか?」
森の中は、茂った木々のため日が射し込まず、すでに暗い。目をこらし、恐る恐る訊ねたときだった。暗闇の中に、白い影が見えた。
「誰――」
思わずかけようとした声は、最後まで言葉を成さなかった。不意にエリシアの視界が反転する。朱色から闇色に変わる空が見えたかと思うと、エリシアの意識はそこで途切れた。
※※※
「……ってことはだな」
アレフィオスの話を聞いてから、たっぷり数十秒を間を置き。リュースは口を開いた。指先は、胸元の石を玩びながら。
「こいつは元々、俺に遺されたもんだって言ったよな?」
「……はい」
神妙な顔で、アレフィオスが頷く。その両手は服の裾を握り締め、リュースを見ようともしない。それに、小さく息をつく。
「つまり、だ。こいつがはじめから俺のもんだとしたら――おまえ、依頼の報酬をけちりやがったな?」
「え……え?」
目をぱちくりとさせ、アレフィオスは首を傾げた。
「それは、どういう……」
「どういうもこういうも。おまえ、俺を雇うときに、この石を報酬として提示しただろうが。でも話を聞く限りじゃ、これはそもそも俺のもんって決まってたってことだろ? それを報酬にされるんじゃ、割に合わねぇって話だ」
アレフィオスはまだ戸惑っているようだった。「あの、えっと」と何度も言葉を空回りさせ、頭の中をなんとか整理しようとしているのが分かる。
「その、怒ってないんですか? リュースさん……」
「だから怒ってるだろーが。ちゃんと別に、貰うもんはきっちりと貰うからな。騙されるところだったから、慰謝料も含めて倍ドンだ」
「いえ、あの。そのことではなくて……」
未だ不安定に揺れるアレフィオスの目を見て、リュースは溜め息をついた。「興味ねぇよ」と雑な口調で告げる。
「そもそも、親父なんて存在は、俺の中ではちっせぇもんだったんだ。それを今更聞かされたからって、どうってことねぇよ」
「でも……」
アレフィオスは、なおも言い募ろうと口を開いた。それを払うような仕草で手を振り、顔をしかめる。
「親父を好きだったのはイーシャ――母さんだ。俺はなんも思っちゃいない。生きてれば、顔の一発くらいぶん殴ってやっても良いけどよ。死んでんなら、それこそどうしようもねぇだろ」
途端、アレフィオスの顔がくしゃりと歪んだ。その両目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちてくる。
「りゅ、りゅーすざぁんんん……っ」
「うぜぇ鬱陶しいやめろ離れろ鼻水つけんな」
しがみついてこようとする、自分よりも背の高い男を、なんとか腕を突っぱねて追い払う。
「いいか? 報酬の件はきっちりさせておくからな? ばっくれんじゃねぇぞ?」
「ふぁ、ふぁい」
鼻水を啜りながら頷く魔王に、リュースは大きく首を振った。全く、威厳もなにもあったものではない。
「ったく……ヒトがせっかく、賞金を諦めて雇われてやったっていうのに……」
「あ……それ、なんですけどぉ……」
まだ少ししゃくりあげながら、アレフィオスが急に訊ねてきた。その顔は、涙で濡れてはいるものの真剣そのもので、リュースは首を傾げる。
「なんだよ。まだ、なにかあんのか?」
「その。お訊きしたいことがあって……。えっと、初めに、この城に攻めて来たときのことなんですけど……」
「あぁ」
おまえが逃げ出したときな、とリュースが言う前に。涙を拭ったアレフィオスが、じっとこちらを見つめながら言葉を続けた。
「リュースさんは、どうして魔王の城に攻め込もうと思ったんですか?」
「はぁ?」
今更、いったいなにを言い出すのか。呆れつつも、リュースは「あのなぁ」と頭を軽く振る。
「ずっと言ってるだろうが。魔王退治の賞金はでかいんだよ。まじ、馬鹿みたいな額の懸賞金が懸かってんだって」
だが、アレフィオスは強く首を左右にした。
「それは、もうずっと昔からのことじゃないですか。なのに、なんであのとき、あのタイミングで、あなたは魔王城を攻めようって……そう、決めたんですか?」
「そりゃ……」
ふと、言葉を返そうとした口が止まる。
思いがけないことに、頭の中が真っ白になった。いや――違う、元から真っ白だった。
「なんで……だ?」
言われてみれば、おかしい。
どうして自分は、急に魔王城を攻めようだなんて思ったのだろうか。
賞金が山程得られるとは言え――本来、かなりのリスクがあることだ。だからこそ、一般の勇者は普通、魔王退治なんてしようとは思わない。
リュースだってそうだった。勇者になってから数年、額の大きな仕事を選んではきた。瘴気の森に入ることだってあった。
しかし、魔王を退治しに森を越えることなど、思いもつかなかった。
それが、急に――どうして。
「――ッ」
また、頭の中に白い靄を感じ、思わず両耳を塞ぐ。そんな行為にどこまで意味があるかは分からなかったが、背中を走る冷たさに、身を固めずにはいられなかった。
「リュースさん、大丈夫ですか?」
慌てて声をかけてくるアレフィオスに、リュースはなんとか頷いてみせる。
「……おまえの言う通りだ。なんか、おかしい。どういうことか、わかんねぇけど……」
それを聞いたアレフィオスは、ぎゅっと唇を噛んだ。珍しく悔しげな顔に、リュースは目だけで疑問を投げる。
「たぶん……ですけど」
ゆっくりと噛み含めるように、アレフィオスは口を開いた。
「リュースさんは……操られています」
「操られている……?」
気を散らしたお陰か、頭の中の靄はすっと引いていった。だが、芯が冷えきり、小さく震える身体をごまかすように、リュースは両腕を抱いた。それをアレフィオスはただ強い眼差しで見つめながら、こくりと頷く。
「リュースさんが、最初にこの城へ来る、少し前のことです。〈調停者〉が私のところにやってきて、あることを提案しました」
「あること……」
「はい。それは……リュースさんの力を、私の力と一つにすることです」
アレフィオスの眉が、ぴくりと小さく揺れるのを、リュースは見逃さなかった。
「それって、どういう意味だ?」
「えっと……さっきの話にもあったように、本来、魔王の力を一部でも別の者に分け与えるのは、禁忌なんです……。〈調停者〉はたぶん、元からその事態は把握してらっしゃったみたいで……リュースさんのことは、ご存知のようでした」
「ふぅん」
頷きながらも、自分の預かり知らぬところで話が進んでいることに、やはり多少の違和感と不愉快感は覚えた。かと言って、自身で先程言った通り「どうしようもない」ことではあるが。
アレフィオスは肩を竦め、リュースをうかがうように見ながら、話を進める。
「力を一つにするには……結局、方法は一つでして。……どちらかが、もう一方の命を絶つことで、相手の力を吸収するしかないんです。魔王の引き継ぎと同じように」
そこまで一気に言うと、アレフィオスはまた表情を崩し、「でも」と首を振った。
「私はそんなの、嫌でした。……それに、禁忌とは言ってもリュースさんに渡った力は本当に全体に対して微々たるものですから。今のところ問題も起きてないですし、取り敢えずはこの機会にお会いして、先ずはお話だけでも……って、提案したんです」
なんと言うべきか、アレフィオスらしい提案ではある。どれほど、意味のある提案なのかは、リュースには図りかねたが。
「〈調停者〉の方は」
少しばかり、アレフィオスの語調が強くなる。もしかしたら、少し怒っているのかもしれないと、リュースはなんともなしに思った。
「……言ったんです。それでも良いって。なんなら、自分がここまで連れてくるからって……。だから、私……貴方をお迎えするための準備をしていたんですけど。でも……」
「……実際にやってきた俺は、おまえを倒す気満々だった、ってわけか」
アレフィオスの顔がますます歪み、それでも堪えるように、唇をぐっと横に引いて頷いた。
「ったく……なんなんだよ、その〈調停者〉っつーのは」
知らぬ間に操られていたとなると、腹が立って仕方がない。左手で右手の拳を受け止め、リュースはふっと息を吐いた。
「人を馬鹿にしやがって……ッ」
ふと、アレフィオスの表情に気がつく。その顔は、まだどこか不安定で、視線を上げたり下げたりと繰り返している。
「……おまえ、まだなにか隠してるだろ」
「そっ、そんな。隠してるって、そういうわけじゃないですけど……」
「けど?」
畳みかけるリュースに、アレフィオスが「実は」と口を開きかけた、そのときだった。
「魔王様」
玉座の間から声が聞こえ、アレフィオスが慌てて「はい」と返事をする。
「警護長か」
聞き覚えのある声に、リュースは呟いた。アレフィオスもそれに頷き、「取り敢えず、部屋に戻りましょう」とパタパタ歩き始める。
廊下を歩きながら、改めてリュースは、ずらりと飾られた肖像画を見た。それから、前を歩くアレフィオスの背中を。彼ら全ての記憶が、アレフィオスの中に押し込まれているのだと思うと、それは想像よりも、かなり凄まじいことなのではないかと思え始めた。
アレフィオスの身体が、玉座の間へと戻る。途端、聞こえたのは「ひッ」というアレフィオスの悲鳴だった。
「どうした」
続けて部屋に戻ったリュースも、目に飛び込んできた光景に固まった。
豪奢な部屋の玉座には、エリシアが座っていた。しかし、意識はなくぐったりともたれ掛かるようにして座らされている。その隣に立つのは警護長だった。
そしてもう一人。
「てめぇ……!」
ノア・エヴァンスは、二人の前にじっと立ち、アレフィオスたちを見つめていた。――その手に持つ剣先を、エリシアの喉元に突きつけながら。
彼は城の門番をしているつもりなのか、背筋をぴんと伸ばし、エリシアになぞ構うことなく森の方を見つめている。だがその灰色の巨大な尾は、エリシアが撫でる度に左右へゆっくり揺れており、外見の厳つさとのギャップが愛らしかった。
「あたしも、犬飼いたいなー」
正確には、ポチは犬ではなかったが、魔物に詳しくないエリシアとしては大差なく感じられた。
犬に限らず、動物は全般的に好きだ。養父母の家には、それこそヤギやらニワトリやらアヒルやらと家畜が多くおり、エリシアも世話を手伝っている。
エリシアが欲しいのは、独り立ちしたあとに飼うペットだ。今住んでいる街から出ようとは思わないが――いつまでも、ただでさえ恩のある養父母の世話になっているわけにはいかない。それに、エリシアにだって目標くらいあった。
「独りの部屋に帰るのって、やっぱり寂しいよねぇ。あー、犬欲しいな、犬」
言ってから、ちらりと上を見上げる。はるか高くにある門柱の天辺には、別の巨大な影がどしりと腰を下ろしていた。魔王のもう一匹のペット、タマだ。エリシアには興味がないのだろう、前足をざりざりと舐めながら夕陽を浴びて、太陽の温もりの名残を味わっている。
「猫も可愛いけど……どうなのかな。飼っている主人には、ちゃんとなついて、お出迎えしてくれるものなのかなー」
ぼんやりと、そんなことを呟いたときだった。タマがすっと尻を持ち上げたかと思うと、下を向いて唸り出した。
「え? え? あたし?」
なにか気にさわることをしただろうか、もしや犬と比べたことを怒っているのだろうかと、エリシアは慌てて手を振る。
「違うの。猫の気まぐれ感も、もちろん好きよ。そもそも、皆違って皆良いって言うか」
弁明するエリシアを無視し、今度はポチが立ち上がって唸り始めた。毛が逆立ち、その目は森を睨んでいる。
「なに。なにか来るの?」
「客人が来るみたいだな」
ガシャリ、という音と共に声がした。振り返ると、警護長がすぐ後ろに立っている。
(うわぁ……いつの間に)
思わず変な声が出かけるのを、喉元でなんとか堪える。彼がリュースにしたことを思うと、どうにも苦手な相手だ――ポチの毛皮にしがみつきながら、エリシアは警護長の視線を追った。
(森……)
「やっぱり、誰か来るんですか?」
森の中は、茂った木々のため日が射し込まず、すでに暗い。目をこらし、恐る恐る訊ねたときだった。暗闇の中に、白い影が見えた。
「誰――」
思わずかけようとした声は、最後まで言葉を成さなかった。不意にエリシアの視界が反転する。朱色から闇色に変わる空が見えたかと思うと、エリシアの意識はそこで途切れた。
※※※
「……ってことはだな」
アレフィオスの話を聞いてから、たっぷり数十秒を間を置き。リュースは口を開いた。指先は、胸元の石を玩びながら。
「こいつは元々、俺に遺されたもんだって言ったよな?」
「……はい」
神妙な顔で、アレフィオスが頷く。その両手は服の裾を握り締め、リュースを見ようともしない。それに、小さく息をつく。
「つまり、だ。こいつがはじめから俺のもんだとしたら――おまえ、依頼の報酬をけちりやがったな?」
「え……え?」
目をぱちくりとさせ、アレフィオスは首を傾げた。
「それは、どういう……」
「どういうもこういうも。おまえ、俺を雇うときに、この石を報酬として提示しただろうが。でも話を聞く限りじゃ、これはそもそも俺のもんって決まってたってことだろ? それを報酬にされるんじゃ、割に合わねぇって話だ」
アレフィオスはまだ戸惑っているようだった。「あの、えっと」と何度も言葉を空回りさせ、頭の中をなんとか整理しようとしているのが分かる。
「その、怒ってないんですか? リュースさん……」
「だから怒ってるだろーが。ちゃんと別に、貰うもんはきっちりと貰うからな。騙されるところだったから、慰謝料も含めて倍ドンだ」
「いえ、あの。そのことではなくて……」
未だ不安定に揺れるアレフィオスの目を見て、リュースは溜め息をついた。「興味ねぇよ」と雑な口調で告げる。
「そもそも、親父なんて存在は、俺の中ではちっせぇもんだったんだ。それを今更聞かされたからって、どうってことねぇよ」
「でも……」
アレフィオスは、なおも言い募ろうと口を開いた。それを払うような仕草で手を振り、顔をしかめる。
「親父を好きだったのはイーシャ――母さんだ。俺はなんも思っちゃいない。生きてれば、顔の一発くらいぶん殴ってやっても良いけどよ。死んでんなら、それこそどうしようもねぇだろ」
途端、アレフィオスの顔がくしゃりと歪んだ。その両目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちてくる。
「りゅ、りゅーすざぁんんん……っ」
「うぜぇ鬱陶しいやめろ離れろ鼻水つけんな」
しがみついてこようとする、自分よりも背の高い男を、なんとか腕を突っぱねて追い払う。
「いいか? 報酬の件はきっちりさせておくからな? ばっくれんじゃねぇぞ?」
「ふぁ、ふぁい」
鼻水を啜りながら頷く魔王に、リュースは大きく首を振った。全く、威厳もなにもあったものではない。
「ったく……ヒトがせっかく、賞金を諦めて雇われてやったっていうのに……」
「あ……それ、なんですけどぉ……」
まだ少ししゃくりあげながら、アレフィオスが急に訊ねてきた。その顔は、涙で濡れてはいるものの真剣そのもので、リュースは首を傾げる。
「なんだよ。まだ、なにかあんのか?」
「その。お訊きしたいことがあって……。えっと、初めに、この城に攻めて来たときのことなんですけど……」
「あぁ」
おまえが逃げ出したときな、とリュースが言う前に。涙を拭ったアレフィオスが、じっとこちらを見つめながら言葉を続けた。
「リュースさんは、どうして魔王の城に攻め込もうと思ったんですか?」
「はぁ?」
今更、いったいなにを言い出すのか。呆れつつも、リュースは「あのなぁ」と頭を軽く振る。
「ずっと言ってるだろうが。魔王退治の賞金はでかいんだよ。まじ、馬鹿みたいな額の懸賞金が懸かってんだって」
だが、アレフィオスは強く首を左右にした。
「それは、もうずっと昔からのことじゃないですか。なのに、なんであのとき、あのタイミングで、あなたは魔王城を攻めようって……そう、決めたんですか?」
「そりゃ……」
ふと、言葉を返そうとした口が止まる。
思いがけないことに、頭の中が真っ白になった。いや――違う、元から真っ白だった。
「なんで……だ?」
言われてみれば、おかしい。
どうして自分は、急に魔王城を攻めようだなんて思ったのだろうか。
賞金が山程得られるとは言え――本来、かなりのリスクがあることだ。だからこそ、一般の勇者は普通、魔王退治なんてしようとは思わない。
リュースだってそうだった。勇者になってから数年、額の大きな仕事を選んではきた。瘴気の森に入ることだってあった。
しかし、魔王を退治しに森を越えることなど、思いもつかなかった。
それが、急に――どうして。
「――ッ」
また、頭の中に白い靄を感じ、思わず両耳を塞ぐ。そんな行為にどこまで意味があるかは分からなかったが、背中を走る冷たさに、身を固めずにはいられなかった。
「リュースさん、大丈夫ですか?」
慌てて声をかけてくるアレフィオスに、リュースはなんとか頷いてみせる。
「……おまえの言う通りだ。なんか、おかしい。どういうことか、わかんねぇけど……」
それを聞いたアレフィオスは、ぎゅっと唇を噛んだ。珍しく悔しげな顔に、リュースは目だけで疑問を投げる。
「たぶん……ですけど」
ゆっくりと噛み含めるように、アレフィオスは口を開いた。
「リュースさんは……操られています」
「操られている……?」
気を散らしたお陰か、頭の中の靄はすっと引いていった。だが、芯が冷えきり、小さく震える身体をごまかすように、リュースは両腕を抱いた。それをアレフィオスはただ強い眼差しで見つめながら、こくりと頷く。
「リュースさんが、最初にこの城へ来る、少し前のことです。〈調停者〉が私のところにやってきて、あることを提案しました」
「あること……」
「はい。それは……リュースさんの力を、私の力と一つにすることです」
アレフィオスの眉が、ぴくりと小さく揺れるのを、リュースは見逃さなかった。
「それって、どういう意味だ?」
「えっと……さっきの話にもあったように、本来、魔王の力を一部でも別の者に分け与えるのは、禁忌なんです……。〈調停者〉はたぶん、元からその事態は把握してらっしゃったみたいで……リュースさんのことは、ご存知のようでした」
「ふぅん」
頷きながらも、自分の預かり知らぬところで話が進んでいることに、やはり多少の違和感と不愉快感は覚えた。かと言って、自身で先程言った通り「どうしようもない」ことではあるが。
アレフィオスは肩を竦め、リュースをうかがうように見ながら、話を進める。
「力を一つにするには……結局、方法は一つでして。……どちらかが、もう一方の命を絶つことで、相手の力を吸収するしかないんです。魔王の引き継ぎと同じように」
そこまで一気に言うと、アレフィオスはまた表情を崩し、「でも」と首を振った。
「私はそんなの、嫌でした。……それに、禁忌とは言ってもリュースさんに渡った力は本当に全体に対して微々たるものですから。今のところ問題も起きてないですし、取り敢えずはこの機会にお会いして、先ずはお話だけでも……って、提案したんです」
なんと言うべきか、アレフィオスらしい提案ではある。どれほど、意味のある提案なのかは、リュースには図りかねたが。
「〈調停者〉の方は」
少しばかり、アレフィオスの語調が強くなる。もしかしたら、少し怒っているのかもしれないと、リュースはなんともなしに思った。
「……言ったんです。それでも良いって。なんなら、自分がここまで連れてくるからって……。だから、私……貴方をお迎えするための準備をしていたんですけど。でも……」
「……実際にやってきた俺は、おまえを倒す気満々だった、ってわけか」
アレフィオスの顔がますます歪み、それでも堪えるように、唇をぐっと横に引いて頷いた。
「ったく……なんなんだよ、その〈調停者〉っつーのは」
知らぬ間に操られていたとなると、腹が立って仕方がない。左手で右手の拳を受け止め、リュースはふっと息を吐いた。
「人を馬鹿にしやがって……ッ」
ふと、アレフィオスの表情に気がつく。その顔は、まだどこか不安定で、視線を上げたり下げたりと繰り返している。
「……おまえ、まだなにか隠してるだろ」
「そっ、そんな。隠してるって、そういうわけじゃないですけど……」
「けど?」
畳みかけるリュースに、アレフィオスが「実は」と口を開きかけた、そのときだった。
「魔王様」
玉座の間から声が聞こえ、アレフィオスが慌てて「はい」と返事をする。
「警護長か」
聞き覚えのある声に、リュースは呟いた。アレフィオスもそれに頷き、「取り敢えず、部屋に戻りましょう」とパタパタ歩き始める。
廊下を歩きながら、改めてリュースは、ずらりと飾られた肖像画を見た。それから、前を歩くアレフィオスの背中を。彼ら全ての記憶が、アレフィオスの中に押し込まれているのだと思うと、それは想像よりも、かなり凄まじいことなのではないかと思え始めた。
アレフィオスの身体が、玉座の間へと戻る。途端、聞こえたのは「ひッ」というアレフィオスの悲鳴だった。
「どうした」
続けて部屋に戻ったリュースも、目に飛び込んできた光景に固まった。
豪奢な部屋の玉座には、エリシアが座っていた。しかし、意識はなくぐったりともたれ掛かるようにして座らされている。その隣に立つのは警護長だった。
そしてもう一人。
「てめぇ……!」
ノア・エヴァンスは、二人の前にじっと立ち、アレフィオスたちを見つめていた。――その手に持つ剣先を、エリシアの喉元に突きつけながら。
0
あなたにおすすめの小説
最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である
megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
王女様は聖女様?おてんば姫の大冒険~ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しに行きます!~
しましまにゃんこ
ファンタジー
アリシア王国の第3王女ティアラ姫には誰にも言えない秘密があった。
それは自分が全属性の魔力を持ち、最強のチート能力を持っていた「建国の賢者アリシア」の生まれ変わりであること!
8才の誕生日を境に前世の記憶を取り戻したものの、500年後に転生したことを知って慌てる。なぜなら死の直前、パートナーのドラゴンに必ず生まれ変わって会いにいくと約束したから。
どこにいてもきっとわかる!と豪語したものの、肝心のドラゴンの気配を感じることができない。全属性の魔力は受け継いだものの、かつての力に比べて圧倒的に弱くなっていたのだ!
「500年……長い。いや、でも、ドラゴンだし。きっと生きてる、よね?待ってて。約束通りきっと会いにいくから!」
かつての力を取り戻しつつ、チートな魔法で大活躍!愛する家族と優しい婚約者候補、可愛い獣人たちに囲まれた穏やかで平和な日々。
しかし、かつての母国が各国に向けて宣戦布告したことにより、少しずつ世界の平和が脅かされていく。
「今度こそ、私が世界を救って見せる!」
失われたドラゴンと世界の破滅を防ぐため、ティアラ姫の冒険の旅が今、始まる!
剣と魔法が織りなすファンタジーの世界で、アリシア王国第3王女として生まれ変わったかつての賢者が巻き起こす、愛と成長と冒険の物語です。
イケメン王子たちとの甘い恋の行方もお見逃しなく。
小説家になろう、カクヨムさま他サイトでも投稿しています。
【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました
小豆缶
ファンタジー
父の遺したゴミ屋敷を片付けていたはずが、気づけば異世界に転移していた私・飛鳥。
しかも、神の元カノと顔がそっくりという理由で、いきなり死刑寸前!?
助けてくれた太陽神ソラリクスから頼まれた仕事は、
「500年前に別れた元恋人のゴミ屋敷を片付けてほしい」というとんでもない依頼だった。
幽霊になった元神、罠だらけの屋敷、歪んだ世界のシステム。
ポンコツだけど諦めの悪い主人公が、ゴミ屋敷を片付けながら異世界の謎を暴いていく!
ほのぼのお仕事×異世界コメディ×世界の秘密解明ファンタジー
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる