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第二十一話 〈調停者〉の天秤
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「ふざけやがって……」
にこりと笑うアーティエに、リュースは低く悪態をついた。
冷静になれ、と自分に言い聞かせる。
友人だと思っていた男が、実は縁もゆかりもない化け物だったからと言って、なんだ。自分自身が半分人間でないと知ったことに比べれば――あの魔王が叔父だという事実に比べれば、なんてことはない。
なんてことはない――。
「自分の行動が、操られた結果だということも? なんてことないかな」
アーティエが、そう言ってまたくすくすと笑う。それをギッと睨み、リュースは自身の両手を強く握り締めた。掌に爪が食い込む。
「ヒトの頭を、そうやって気安く読むなよ」
「良いね。さすがリュース、順応が早い」
挑発だ。それにのって冷静さを欠いてはいけない。感情に呑まれれば、本能がアーティエを恐れるのは分かっていた。そうなれば、もう動けなくなる。恐れを、理性で抑え込まなければ。
「なんで、こんなことしやがった」
「それは、リュースを操ったことかな? それとも、こうして足止めしていることかな?」
言われた通り律儀に思考を読まずにいるのか、それともただの素知らぬふりか。「全部だよ」とリュースは唸った。
「魔王城から帰ってきた俺に酒場で接触してきたのも……なんか狙いがあったんだろ?」
「まぁね。ことの顛末を知りたいのもあったし……君と魔王の力を一つに戻すって目的が果たせてないなら、またどうにかしないととは思ってたからね」
「……アレフィオスは、そもそも本当は俺と話し合うつもりだったのに、おまえが俺をけしかけたって言ってたぞ。だから逃げたんだと。それは、なんでだよ」
募る苛立ちをなんとか静めつつ、リュースはアーティエに問いかけた。返ってきたのは、軽く肩を竦める気楽な仕草だ。
「話し合いをしたところで、どうなるものでもないからね。結局、東の魔王殿は覚悟がなくて、問題を先送りにしようとしただけだ。その背を押してやるのも、世界のバランスを計る〈調停者〉の役目なんだよ」
悪気はないのだろう。実にあっけらかんと、アーティエは答える。その軽さが、また腹立たしい。
「もう、質問攻めは終わりで良いかい?」
「まだだ――なんで、上に戻ることを邪魔すんだよ」
「それは――」
少しだけ困ったように、アーティエが首を傾げた。
「必要な覚悟のない魔王なら、さっさと世代交代させてしまった方が良いんじゃないかって、そういう意見もあってね。君に戻られると、またややこしくなる」
「テッメェ――」
殴りかかろうとするリュースをひょいと避け、そのままアーティエは宙に浮かんだ。
「それとも、勇者に横取りされるくらいなら、君が新しい魔王になるかい? あの勇者殿が魔王を引き継いだとしても、君に残った魔力を一つに戻すっていう仕事は残ったままなんだ。だったら、リュースが直接魔王になってくれた方が、仕事が一つ減って楽できる」
「ふっざけんなッ!」
怒鳴ると同時に、リュースはまた真空刃を放ったが、それもまたあっさりと水の壁に遮られる。
「乱暴だなぁ。一応、僕はこの世界の生き物としては、それなりに偉いのだけれど」
「んなこと知るかよッ! ヒトを馬鹿にしやがるのも、いい加減にしろっ」
「馬鹿にしているつもりはないのだけれど」
苦笑しながら、何度も放たれる風の刃を、アーティエはふらふらと避けてみせた。
「むしろ、僕は君を買っているんだよリュース。だから、わざわざ記憶を弄って一緒に行動もした。面倒ではあったけどね、楽しかったよ」
「そりゃありがとよッ」
吐き捨てながらなおも放つ刃を、アーティエが再び水の壁で受け止める。弾いた刃を見送り、しみじみと呟いた。
「君は、実に不思議なんだよリュース。魔王の子として、実際に魔王の力を引き継いで産まれた。だけどね――君は、おかしなくらい人間なんだ」
「は……?」
意味が分からず、思わず訊き返すリュースに、アーティエはふよふよと浮いたまま首を傾げてみせる。
「確かに、回復力もその魔力も、人間のものとは違う。だけど、それだけだ」
実に不思議そうに。薄くなった笑みと共に、アーティエがすっと近づき、目を覗き込んでくる。
「先代魔王は――一体、まだなにを隠したまま逝ったんだろうね?」
「し……るかよっ!」
顎を狙って振りかぶった拳を、アーティエはすっと後ろへ飛んで避けた。
「危ないなぁ」
「るせぇッ! いちいち、ぐだぐだぐだぐだと、管巻きやがってッ。俺は、テメェをさつさとぶん殴って戻んなきゃなんねぇんだよ!」
「まぁ、そうだよね。向こうには、エリシアさんもいるしね?」
いけしゃあしゃあと言うなり、アーティエは「どうしようかなぁ」と空中で腕を組む。ふよふよと漂う度に、蜂蜜色の長い髪が揺れて、妙に見ている方の神経を逆撫でてくる。
「さっきも言った通り、僕は君のことを買っているからね。一つくらい、心労を取り除いてあげても良いかもしれない」
「ぁあ?」
「前に、エリシアさんが〈調停者〉の天秤について話していたのを覚えているかい? 実際は、ちょっと違うんだけどね。うーん……そうだな。この剣が、あの抜けてる彼女と釣り合うか分からないけれど……それっ」
わざとらしい掛け声と共に、アーティエがリュースの剣を放る――次の瞬間、剣と入れ替わりにエリシアが突如現れた。それを、アーティエがひょいと抱き止める。エリシアはまだ気を失っているようで、ぐたりと身を預けた。
「あぁ、良かった。ん? これは――魔王殿の角まで付いてきたよ。剣と彼女だけとじゃ、やっぱり釣り合わなかったみたいだ」
そう言って、冗談を聞いたときのようにクスクスと笑ってみせる。いわゆるお姫様抱っこ状態のエリシアの腹には、確かに銀色の角が一本載っていた。
「どういう……ことだ? エリシアは、上に……」
「〈調停者〉はね。昔話みたいに分かりやすいシンボルの天秤なんて持っていない。何故なら、〈調停者〉自身が天秤なんだ。――左右に釣り合う物があれば、なんだって望みのものを取り寄せられる。君の剣と、彼女とこの角、みたいにね」
リュースが絶句していると、「さて」とアレフィオスはにこにこ笑ってみせた。
「角が一本欠けてしまってるってことは、魔王殿も敗けが近いのかな? もう少し、君たちには大人しく待っていてもらいたいのだけど……そうだなぁ。もし、それが嫌だって言ったら……エリシアさんを、好物のパイにでも変えてしまおうかな?」
「は……? なにを」
アーティエがふっと笑みを深くし、指を弾く。すると、エリシアの腹の上にあった魔王の角が突如、湯気の立つミートパイへと変わった。
「これはね、さっきの転移とは違う。物質の変換だ。同じくらいの質量のものに、文字通り物質を変えることができる。
〈調停者〉は基本、他の生き物に直接危害を加えることはできないんだけど――この程度なら、お遊びみたいなものだからね」
アーティエがなにを言っているのか、リュースにはよく分からなかった。アーティエが正気なのかも、いかれているのかも、よく分からない。分からないなりに――まずいと、頭の中が警鐘を鳴らす。
「エリシアさんなら、大好きなパイ何個分になるかな? ふふ、彼女の幼い頃からの願いが、ようやく叶うわけだね」
無邪気に首を傾げるアーティエに、リュースは無言で風刃を放った。ちらりとそれを見たアーティエの口が、にっと笑う。
「もう。学習しないなぁ……君は、もう少し賢いと思っていたけれど――」
アーティエの言葉は、そこで途切れた。風刃は現れた水の壁を断ち切り、更にアーティエの左肩を切り落とした。
「な……」
珍しく、笑み以外の顔をアーティエが浮かべる。アーティエの左腕はぼとりと落ち、それと同時にバランスを崩した振動で、片腕だけに支えられる状態となったエリシアが、ぱちりと目を覚ました。
「え……あ、嫌……ッ」
おそらく、ほとんど反射だったのだろう――目を覚ますなりエリシアは、脇の下から差し込まれている腕をつかみ、身体に回転をかけた――つまり、腕の主であるアーティエを投げ飛ばした。養父が、身を守れるようにと彼女に教えた、数少ない技のうちの一つだ。
不意をつかれたアーティエは、エリシアの下敷きになるようにして床に落ちた。
「い……いたたた……っ。あ、あれ? アーティエさん? あたし、てっきり……」
そのとき、ころころと床を転がってきたものを、なんの気なしにエリシアが拾い上げた。
「なぁに? これ……」
初めは、頭が認識しなかったのだろう。だらんとしたそれをまじまじと見つめると、エリシアの顔からさっと血の気が引いた。
「ひ……っ! や、やだ、腕! あたし、アーティエさんの腕を引っこ抜いちゃったのッ!?」
目覚めたばかりで頭が働いていないのだろうと思いたいが――そんなことを言いながら、エリシアはリュースが切り落としたアーティエの腕をあわあわと振り回すと、なにを思ったか自分の下で倒れているアーティエの傷口に、切り口を押し当てた。
「ごごごごめんなさいごめんなさい治って治って!」
「おい……さすがにそれは」
若干引きながらリュースが声をかけると、まるで粘土細工のように肩の傷口同士がぬるっとくっついた。
「うげ」
確かに血が出ない時点でおかしいとは思ったが――生き物として予想外の治り方に、思わず呻いてしまう。
「よ、良かったぁあ」
「いや……良くはないんだが」
取り敢えず、エリシアをアーティエの上から退かせると、「参ったなぁ」とぼやきながらアーティエもむくりと起き上がった。
「まさかの伏兵にやられるとはね」
「おまえ……不死身かよ」
リュースが唸ると、アーティエはあっさり「まぁね」と頷いた。
「仕方ない。ちょっと面白かったから、行かせてあげるよ。剣は、向こうに送っちゃったけど」
なんとも雑な遣り方に、思わず「それで良いのかよ」とぼやき返してしまう。思いのほか、アーティエはにこりと笑ってみせた。
「良いんだよ。土台、〈調停者〉なんて常に退屈なんだ。面白いって、長い生で気を狂わせないためには大切なことだよ。人間の世界だって、そういう無駄な面白さの追求が、文化を産むんだから」
「よく分かんないけど、深いわね」
何故かミートパイを抱えながら――まぁ、その辺に落ちていたのだろう――、エリシアがうんうんと頷く。おまえはそのミートパイにされるところだったんだぞ、と教えてやりたかったが、面倒なので止めておくことにした。
「おまえ、そいうや怪我とかないのか?」
「え?――あ! そうなのっ! 大変なのよリュースッ」
突如、慌て出すエリシアに「落ち着け」と背中を叩く。
「あの女に襲われたんだろ?」
「女って……あの、綺麗な人?」
キョトンとするエリシアに違和感を覚え、「違うのかよ」と促した。嫌な予感がする。
「違うわ」
きっぱりと、エリシアは首を振った。
「あたしを襲ったのは――」
それを聞いたリュースは、勢いよくアーティエを見た。
「言っただろう?」
アーティエが、にっと笑う。
「〈調停者〉は天秤だって。天秤は、片皿じゃ成り立たないものだよ?」
「――っくそ」
悪態をつき、リュースは走り出した。
にこりと笑うアーティエに、リュースは低く悪態をついた。
冷静になれ、と自分に言い聞かせる。
友人だと思っていた男が、実は縁もゆかりもない化け物だったからと言って、なんだ。自分自身が半分人間でないと知ったことに比べれば――あの魔王が叔父だという事実に比べれば、なんてことはない。
なんてことはない――。
「自分の行動が、操られた結果だということも? なんてことないかな」
アーティエが、そう言ってまたくすくすと笑う。それをギッと睨み、リュースは自身の両手を強く握り締めた。掌に爪が食い込む。
「ヒトの頭を、そうやって気安く読むなよ」
「良いね。さすがリュース、順応が早い」
挑発だ。それにのって冷静さを欠いてはいけない。感情に呑まれれば、本能がアーティエを恐れるのは分かっていた。そうなれば、もう動けなくなる。恐れを、理性で抑え込まなければ。
「なんで、こんなことしやがった」
「それは、リュースを操ったことかな? それとも、こうして足止めしていることかな?」
言われた通り律儀に思考を読まずにいるのか、それともただの素知らぬふりか。「全部だよ」とリュースは唸った。
「魔王城から帰ってきた俺に酒場で接触してきたのも……なんか狙いがあったんだろ?」
「まぁね。ことの顛末を知りたいのもあったし……君と魔王の力を一つに戻すって目的が果たせてないなら、またどうにかしないととは思ってたからね」
「……アレフィオスは、そもそも本当は俺と話し合うつもりだったのに、おまえが俺をけしかけたって言ってたぞ。だから逃げたんだと。それは、なんでだよ」
募る苛立ちをなんとか静めつつ、リュースはアーティエに問いかけた。返ってきたのは、軽く肩を竦める気楽な仕草だ。
「話し合いをしたところで、どうなるものでもないからね。結局、東の魔王殿は覚悟がなくて、問題を先送りにしようとしただけだ。その背を押してやるのも、世界のバランスを計る〈調停者〉の役目なんだよ」
悪気はないのだろう。実にあっけらかんと、アーティエは答える。その軽さが、また腹立たしい。
「もう、質問攻めは終わりで良いかい?」
「まだだ――なんで、上に戻ることを邪魔すんだよ」
「それは――」
少しだけ困ったように、アーティエが首を傾げた。
「必要な覚悟のない魔王なら、さっさと世代交代させてしまった方が良いんじゃないかって、そういう意見もあってね。君に戻られると、またややこしくなる」
「テッメェ――」
殴りかかろうとするリュースをひょいと避け、そのままアーティエは宙に浮かんだ。
「それとも、勇者に横取りされるくらいなら、君が新しい魔王になるかい? あの勇者殿が魔王を引き継いだとしても、君に残った魔力を一つに戻すっていう仕事は残ったままなんだ。だったら、リュースが直接魔王になってくれた方が、仕事が一つ減って楽できる」
「ふっざけんなッ!」
怒鳴ると同時に、リュースはまた真空刃を放ったが、それもまたあっさりと水の壁に遮られる。
「乱暴だなぁ。一応、僕はこの世界の生き物としては、それなりに偉いのだけれど」
「んなこと知るかよッ! ヒトを馬鹿にしやがるのも、いい加減にしろっ」
「馬鹿にしているつもりはないのだけれど」
苦笑しながら、何度も放たれる風の刃を、アーティエはふらふらと避けてみせた。
「むしろ、僕は君を買っているんだよリュース。だから、わざわざ記憶を弄って一緒に行動もした。面倒ではあったけどね、楽しかったよ」
「そりゃありがとよッ」
吐き捨てながらなおも放つ刃を、アーティエが再び水の壁で受け止める。弾いた刃を見送り、しみじみと呟いた。
「君は、実に不思議なんだよリュース。魔王の子として、実際に魔王の力を引き継いで産まれた。だけどね――君は、おかしなくらい人間なんだ」
「は……?」
意味が分からず、思わず訊き返すリュースに、アーティエはふよふよと浮いたまま首を傾げてみせる。
「確かに、回復力もその魔力も、人間のものとは違う。だけど、それだけだ」
実に不思議そうに。薄くなった笑みと共に、アーティエがすっと近づき、目を覗き込んでくる。
「先代魔王は――一体、まだなにを隠したまま逝ったんだろうね?」
「し……るかよっ!」
顎を狙って振りかぶった拳を、アーティエはすっと後ろへ飛んで避けた。
「危ないなぁ」
「るせぇッ! いちいち、ぐだぐだぐだぐだと、管巻きやがってッ。俺は、テメェをさつさとぶん殴って戻んなきゃなんねぇんだよ!」
「まぁ、そうだよね。向こうには、エリシアさんもいるしね?」
いけしゃあしゃあと言うなり、アーティエは「どうしようかなぁ」と空中で腕を組む。ふよふよと漂う度に、蜂蜜色の長い髪が揺れて、妙に見ている方の神経を逆撫でてくる。
「さっきも言った通り、僕は君のことを買っているからね。一つくらい、心労を取り除いてあげても良いかもしれない」
「ぁあ?」
「前に、エリシアさんが〈調停者〉の天秤について話していたのを覚えているかい? 実際は、ちょっと違うんだけどね。うーん……そうだな。この剣が、あの抜けてる彼女と釣り合うか分からないけれど……それっ」
わざとらしい掛け声と共に、アーティエがリュースの剣を放る――次の瞬間、剣と入れ替わりにエリシアが突如現れた。それを、アーティエがひょいと抱き止める。エリシアはまだ気を失っているようで、ぐたりと身を預けた。
「あぁ、良かった。ん? これは――魔王殿の角まで付いてきたよ。剣と彼女だけとじゃ、やっぱり釣り合わなかったみたいだ」
そう言って、冗談を聞いたときのようにクスクスと笑ってみせる。いわゆるお姫様抱っこ状態のエリシアの腹には、確かに銀色の角が一本載っていた。
「どういう……ことだ? エリシアは、上に……」
「〈調停者〉はね。昔話みたいに分かりやすいシンボルの天秤なんて持っていない。何故なら、〈調停者〉自身が天秤なんだ。――左右に釣り合う物があれば、なんだって望みのものを取り寄せられる。君の剣と、彼女とこの角、みたいにね」
リュースが絶句していると、「さて」とアレフィオスはにこにこ笑ってみせた。
「角が一本欠けてしまってるってことは、魔王殿も敗けが近いのかな? もう少し、君たちには大人しく待っていてもらいたいのだけど……そうだなぁ。もし、それが嫌だって言ったら……エリシアさんを、好物のパイにでも変えてしまおうかな?」
「は……? なにを」
アーティエがふっと笑みを深くし、指を弾く。すると、エリシアの腹の上にあった魔王の角が突如、湯気の立つミートパイへと変わった。
「これはね、さっきの転移とは違う。物質の変換だ。同じくらいの質量のものに、文字通り物質を変えることができる。
〈調停者〉は基本、他の生き物に直接危害を加えることはできないんだけど――この程度なら、お遊びみたいなものだからね」
アーティエがなにを言っているのか、リュースにはよく分からなかった。アーティエが正気なのかも、いかれているのかも、よく分からない。分からないなりに――まずいと、頭の中が警鐘を鳴らす。
「エリシアさんなら、大好きなパイ何個分になるかな? ふふ、彼女の幼い頃からの願いが、ようやく叶うわけだね」
無邪気に首を傾げるアーティエに、リュースは無言で風刃を放った。ちらりとそれを見たアーティエの口が、にっと笑う。
「もう。学習しないなぁ……君は、もう少し賢いと思っていたけれど――」
アーティエの言葉は、そこで途切れた。風刃は現れた水の壁を断ち切り、更にアーティエの左肩を切り落とした。
「な……」
珍しく、笑み以外の顔をアーティエが浮かべる。アーティエの左腕はぼとりと落ち、それと同時にバランスを崩した振動で、片腕だけに支えられる状態となったエリシアが、ぱちりと目を覚ました。
「え……あ、嫌……ッ」
おそらく、ほとんど反射だったのだろう――目を覚ますなりエリシアは、脇の下から差し込まれている腕をつかみ、身体に回転をかけた――つまり、腕の主であるアーティエを投げ飛ばした。養父が、身を守れるようにと彼女に教えた、数少ない技のうちの一つだ。
不意をつかれたアーティエは、エリシアの下敷きになるようにして床に落ちた。
「い……いたたた……っ。あ、あれ? アーティエさん? あたし、てっきり……」
そのとき、ころころと床を転がってきたものを、なんの気なしにエリシアが拾い上げた。
「なぁに? これ……」
初めは、頭が認識しなかったのだろう。だらんとしたそれをまじまじと見つめると、エリシアの顔からさっと血の気が引いた。
「ひ……っ! や、やだ、腕! あたし、アーティエさんの腕を引っこ抜いちゃったのッ!?」
目覚めたばかりで頭が働いていないのだろうと思いたいが――そんなことを言いながら、エリシアはリュースが切り落としたアーティエの腕をあわあわと振り回すと、なにを思ったか自分の下で倒れているアーティエの傷口に、切り口を押し当てた。
「ごごごごめんなさいごめんなさい治って治って!」
「おい……さすがにそれは」
若干引きながらリュースが声をかけると、まるで粘土細工のように肩の傷口同士がぬるっとくっついた。
「うげ」
確かに血が出ない時点でおかしいとは思ったが――生き物として予想外の治り方に、思わず呻いてしまう。
「よ、良かったぁあ」
「いや……良くはないんだが」
取り敢えず、エリシアをアーティエの上から退かせると、「参ったなぁ」とぼやきながらアーティエもむくりと起き上がった。
「まさかの伏兵にやられるとはね」
「おまえ……不死身かよ」
リュースが唸ると、アーティエはあっさり「まぁね」と頷いた。
「仕方ない。ちょっと面白かったから、行かせてあげるよ。剣は、向こうに送っちゃったけど」
なんとも雑な遣り方に、思わず「それで良いのかよ」とぼやき返してしまう。思いのほか、アーティエはにこりと笑ってみせた。
「良いんだよ。土台、〈調停者〉なんて常に退屈なんだ。面白いって、長い生で気を狂わせないためには大切なことだよ。人間の世界だって、そういう無駄な面白さの追求が、文化を産むんだから」
「よく分かんないけど、深いわね」
何故かミートパイを抱えながら――まぁ、その辺に落ちていたのだろう――、エリシアがうんうんと頷く。おまえはそのミートパイにされるところだったんだぞ、と教えてやりたかったが、面倒なので止めておくことにした。
「おまえ、そいうや怪我とかないのか?」
「え?――あ! そうなのっ! 大変なのよリュースッ」
突如、慌て出すエリシアに「落ち着け」と背中を叩く。
「あの女に襲われたんだろ?」
「女って……あの、綺麗な人?」
キョトンとするエリシアに違和感を覚え、「違うのかよ」と促した。嫌な予感がする。
「違うわ」
きっぱりと、エリシアは首を振った。
「あたしを襲ったのは――」
それを聞いたリュースは、勢いよくアーティエを見た。
「言っただろう?」
アーティエが、にっと笑う。
「〈調停者〉は天秤だって。天秤は、片皿じゃ成り立たないものだよ?」
「――っくそ」
悪態をつき、リュースは走り出した。
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