陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・189 過去か未来か

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今日、皇帝と魔竜に会った時とて、何もできなかった。



実際のところ、魔竜の指摘通りだ。

サイファからの頼まれ事は二の次にすぎない。



むろん、生真面目な性格上、ユリウスの調査確認に手抜きはなかった。

だが、所詮、地獄で何が起こっていようと、被害を被るのは悪魔にすぎない。

遠い楽園に住む御使いには他人事だ。



なにより、積極的に地獄という地、そして悪魔に関わろうとする御使いはいない。

悪い意味でも、いい意味でも。



とはいえ。

この事実に、楽園と中間界を行き来するユリウスの胸の内は、警鐘を鳴らしている。





なにせ、地獄、中間界、楽園の三界は、結局、同じ世界の存在だ。



無視し続けられるわけがない。

ひとつの界で起きた以上は、いずれどこかへ伝播する。



他人事と考えるのは、軽率にもほどがあった。





(これがどうしてわからないのか)

いつまでも楽園に閉じこもっていられるわけもないのに。



だが、ユリウスの気持ち一つ、それだけで楽園全体の意識を変えることなど不可能だ。





目下、楽園が注視しているもの―――――その重鎮たちが、ユリウスに確認せよと命じたものは、







(皇帝の、気配を探ることだ)







オリエス皇帝は、神への位階を、すぐにでも登れる立場にいる。

そのことは、既に、楽園は承知の話だった。









楽園は、皇帝の本質の天秤が『人間』と『神』、どちらに傾いているかを探ろうとしている。







とはいえ、神に関する出来事は、いかな夢見とはいえ、読み切れるものではない。

人間であったならば、まだ読みやすいとはいえ、彼はリヒト・オリエス、神の末裔たるオリエス皇室の直系だ。たやすい相手ではない。





よほど条件が整わなければ、…逆に条件さえ整えば、否応なしに、『視て』しまうだろうが。





そんな偶然が起こるなど、本当に奇跡だ。それこそ―――――、

(たとえば、それが起こる、もしくは起こった場所にいるとか、…何を考えているかも関わってくるな)











一番重要なのは―――――神がそれを望んでいる場合だ。











神が、誰かに知られることを望んでいるとき、夢見の力はお告げのような形で、それを受け取り、世界に知らしめるだろう。





だが、現在、そのようなことが起こったためしはない。







―――――楽園は、悩んでいる。







皇帝を、自然に任せてしまうべきか、それとも静かに抹殺すべきか。

新たな神の誕生など、単純に歓迎できる事態ではない。



今はどこかへ去ってしまった、ふるき神。







その存在が残した当たり前の摂理が、ひっくり返る―――――世界の滅亡に等しい出来事だとも言えるのだから。誰がそのようなことを歓迎するだろう?







なんにしろまだ、楽園はオリエス皇帝への態度を決めかねている。

ユリウスは彼の状態を確かめるために、あのように抜き打ちで訪問した。



真実を、何らかの誤魔化されることを避けるための行動だった。それが。











ユリウスの顔が、羞恥に染まる。肩が、背が、何かに耐えるように、プルプル震えた。











(あんな、…あんな!)

強い結界が組まれているとは思ったが、まさか中で、乳繰り合っているとは。



いったい、皇帝と魔竜は、正気なのだろうか?



確かにユリウスも悪かった。

にしたって、彼らはただの人間同士ではない。



神の末裔と、上級の悪魔だ。



性交など、下手を打てば、双方ともに命を失う。現在進行形で、その危険があった。

いったい、いつから。



顔を赤くしたユリウスが、憤然と思いさした時。



















―――――ぐらり。





















視界が歪むような感覚が、あった。刹那。



(あ)















―――――はじまった、と思った時には、もう遅い。



『視え』た光景に、ユリウスは目を瞠った。

いっきに、その光景に呑まれる。



今、ではない。



過去か。

未来か。



この場所で起こった、もしくは起こり得る、光景。





















気づけば―――――小さな丘のような、巨大な生き物が、そこに倒れ伏していた。





















きらきらと輝く漆黒の鱗。

しんしんと降り積もる雪。



その中で、大地がぐずぐずと泥沼と化していく。その、最中。



倒れ伏した生き物から、春風のような、温かい、やさしい風が渦となって巻き起こる。

…これは、魔素の放出だ。





ぱちり。





巨大な漆黒の生き物が、一度、瞬きした。その瞳は。











印象的な濃紺。











ひゅっとユリウスは息を引く。

何が、どうなっているのだろう。目の前で、死を迎えようとしているのは。













―――――魔竜だ。













つい先刻、会ったばかりの、傲慢な悪魔をユリウスは思い起こした。

傲慢、尊大、不遜―――――なれど、妙に愛嬌のある憎めない悪魔。



その、死、など。



想像の範疇外にあった。

まさか、あれほどの悪魔に、死が訪れるなど、だれ一人、考えたことはあるまい。



だが確かにこれは、…魔竜の死だ。だとして、いったい、







(これは、いつの)







思う端から、ユリウスの目に、魔竜の鼻先に、佇む影が見えた。一人。人間…青年だ。

彼の足元には、毒など浸透せず、ただただ、神聖な空気を冷たく纏っているだけだ。

間違いない、あれは。





オリエス皇帝、リヒト。





彼の眼差しは、魔竜に向いて、その死を、冷静に、冷酷に、見守っている。

その黄金の目を見て、気付いた。





今のオリエス皇帝も相当だが、今見ている彼より、よっぽど人間味がある目をしている。





あまりに人からかけ離れた皇帝の気配から、放たれた思考から、感じ取った事実に、ユリウスは一時、脳がしびれたような心地になる。

なにせ、にわかには、信じ難い事実だったから。











…彼だ。













―――――彼が、縛り付けた神聖力によって魔竜に死を与えた。その上で。



魔竜の死によって放たれる魔素で、死のうとしているヴァレシュ神国の土地を甦らそうとしている。







…これが、この状況の、真実。















ユリウスは、呆然と、夢見の能力がとらえている大地を、改めて見直した。

動揺の中、他人事のように、違和感を覚える。



これは、…おかしい。



かつて、ヴァレシュは悪魔の軍勢に蹂躙され、召喚の代償にされ、取り返しもつかないほどに汚染されたが、―――――夢見の光景の中にある大地は。

ひたすら、枯れ果てている。

土ではあるが、灰が固まったものと言われても不思議はないほど、瑞々しさが失われていた。



この光景の中の大地は、悪魔によって汚染されたのではない。

別の要因によって枯れ果てたのだ。



その、大地を。



皇帝は、魔竜の死によって、蘇らせようとしていた。すなわち。









目の前のオリエス皇帝は、魔竜を、…つまり、道具のように扱っていた。









あり得ない。

あり得ない。

あり得ない。



皇帝と魔竜の関係を考えれば、この光景が現実で起こったこととは思えなかった。

だが、夢見の能力が、告げている。





これは本当の出来事だ。





(いったい、…何が、どう)

受け入れがたい心とは裏腹に、これは現実に起こることだと理解する。…いや。



これは。







過去か。



未来か。







魔竜は今生きているから、未来、と考えるべきだろうか?

それにしたって。



今日会ったばかりの二人を思い出し、ユリウスの惑乱は深まっていく。





光景の中に見えるよそよそしい彼らと、今日垣間見た彼らが、…あまりにそぐわない。

















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