原初の魔女と雇われ閣下

野中

文字の大きさ
3 / 79
序章

3幕 ゼルキアンの悪名

しおりを挟む

思わず、魔族の男は苦い声で吐き捨てた。だが、肉袋には気にした様子もない。

「説教か。どうせ、同じ穴の狢のくせに。それに」


肉に埋もれた小狡い目が、優位に立つ者の余裕を浮かべる。



「それをオレに話すということは、何らかの形でオレが必要だということだろう。でなければ」



にやり、たるんだ口元が不気味な笑みを浮かべた。

「わざわざオレに話したりせず、勝手に奪っていくはずだ、あんたなら」
魔族の男は、どうでもよさげに肩を竦める。その身は既に、階段の真下にあった。
「それで、マナの流れがどうしたって?」

「見ればわかるだろう?」
空気の流れを掴むように、魔族の男は片手を伸ばす。

「現在、ゼルキアン領のマナは、結界内にとどまっている。驚くべきことに、その広大な領域一帯すべてのマナが、一つの意思に基づいた動きを見せていた」
魔族の男は、一歩一歩階段を踏みしめ、上がり始めた。
肉袋が、わずかに警戒をにじませる。

それを見上げながら、魔族の男は言葉を続けた。


「オズヴァルト・ゼルキアンの身体を、この地に縫い留めるような動きをな」


魔人たちは、ハッと顔を上げた。
彼らは知らなかった。即ち、災厄は。



―――――オズヴァルト・ゼルキアンの肉体に封じられているということ。



だが驚いたのは、魔人たちばかりではない。
「な、なんだとっ」
怖じ気づいた態度を見せていた肉袋が、思わずと言った態度で再度身を乗り出した。

「馬鹿を言うな、いくらオレが探っても、そんな気配は」


「不思議には思わなかったのか?」


腹を立てたような肉袋に対し、魔族の男は冷静に返す。
「どう努力したって、お前はこの城からすら出られなかっただろう。その理由を」
次いで吐き捨てられたのは、心からの侮蔑。

「一度も考えなかったのか、阿呆が」


「ではっ、では、この身体に災厄が…!」


恐怖などどこかへ行った様子で、肉袋が広げた自身の両手を見下ろす。
手はぶるぶると震えていた。恐怖ではない。
歓喜ともいえる興奮で。

「だが本当に、そんな気配は…」
気の抜けた声で肉袋が言うのに、
「間抜けだな」
その頭上に、影が落ちる。と思った時には。

「―――――がっ!」

肉袋が階段から転がり落ち、エントランスの真ん中で止まった。
戸惑った魔人たちが、その光景を横目に次々と起き上がる。


魔族の目的が分からない以上、主人を守るべきなのか、単なる魔族同士の喧嘩、と放置すべきなのか判断がつかない。


なにより、主人からはやはりまだ何も命令がなかった。

最初の、客人の魔族の嬲り者になれ、というもの以外は。
ただ彼らが案じているのは、主人の肉体の無事だ。

憑依している魔族がどうなろうと知ったことではない。

階段の上にいる魔族が、せせら笑った。
「無様極まる」

「なんだと…!」
「精神を支配する魔族…精神体にしかすぎないが、心を支配する能力は他のどの一族より秀でているはずなのに、人ひとりすら支配できなかったのか」

しかし、すべては今更だ。
支配すべき、すべてを知る相手オズヴァルト・ゼルキアンは、もうこの世にいないのだから。

「その姿を見る限り」
魔族の男は、冷酷な目を、転がり落ちた肉袋に向けた。

「肉体を得ることで、そこから感じる悦楽に溺れたか」
嘲りに、肉袋が真っ赤になってぶるぶる震える。

「ああそれとも、称えるべきはオズヴァルト・ゼルキアンの能力か…いずれにせよ」
階段の上から、エントランスを見渡し、魔族は勝ち誇った態度で告げた。


「魔人ども、そいつがなんで、自由がないと癇癪を起しながらも、その身体から出ていかないと思う? そもそもそいつの目的は何だ? 知っている者は」


舌打ちした肉袋は跳ね起き、背を向けて駆け出した。扉の外めがけて。
階段上で、その背を掴むように手を伸ばし、魔族の男が言った。

「もう気付いているだろうが、そいつの目的は災厄だ。見つけてどうすると思う?」
尋ねた直後に、魔族の男は自分で答える。






「食うのさ」






魔人たちはぎょっとした。意表外の話だ。

彼等にとって災厄とは、破滅をもたらすだけの力。それを、どうやって。


食う、という発想になるのか。


魔族の男は、平然と続けた。
「人間は知らないだろうな。災厄を食らえば、魔族の能力は飛躍的に上がる」

魔人たちの思考がいっとき、完全に停止する。直後。
―――――呻くような息を吐く音とともに、奇妙な沈黙が場を支配した。

何かを噛み締めるように、一人の男が呆然と呟く。



「では…では、我が君が、五年前、災厄を前に、あの魔族が憑依した奥さまと坊ちゃんを…躊躇なく斬り捨てたのは」



「ふん、あの噂、事実だったか」
大きな角を生やした魔族は、軽蔑しきった目を肉袋へ向けた。
「ご馳走を目前にしながら、残念だったな。ゼルキアン家門の妻と子の身体なら、貴様が災厄を食らう間くらい保ったろうに。妻子に先に憑依したのは考えたものだが、迷わず斬り捨て、魔族が災厄を食らうのを阻止したか。さすがはゼルキアン」

それとも貴様が間抜けなのかな、と魔族の男はせせら笑う。

「まあ、精神体の魔族が憑依した時点で、人間の魂は消滅し、心臓は鼓動を止める。一つの肉体には、一つの魂…オズヴァルト・ゼルキアンが斬り捨てたのは、ただの死体だ」
その言葉に希望を得た態度で、魔人たちが顔を見合わせた。

彼等の態度が腑に落ちず、ふと眉をひそめた魔族の男の脳裏で、ある噂がよぎる。





―――――オズヴァルト・ゼルキアンは、悪魔に憑依された妻子を、彼等が生きているにも関わらず無情に斬り捨てた。





憑依した精神体の悪魔の生態を知る者は、それが間違いだと知っているだろう。

だが、世間はそう見ない。



ゆえに、オズヴァルトはその帰還を心待ちにされると同時に、妻子を斬り殺した『冷酷な男』という印象と悪名がとどまるところなく大陸中に広がっていた。



それを覆す言葉を、魔族の男は口にしたわけだ。
思わず舌打ちしながら、魔族の男は逃げる肉袋の背中を見遣る。
もたもた逃げる相手は彼等の会話を聞いていなかった。

正直な話。

多くの魔族にとって、この事態は期待外れもいいところだった。
魔族の多くはオズヴァルトという個人を警戒して、彼に近寄ることを最初から断念していた。
だが、あの精神体の魔族だけは、何を思ったか、災厄が迫る国の中、オズヴァルトのそばにいたのだ。

その際、オズヴァルトの隙を突き、彼に憑依した。

オズヴァルト・ゼルキアンは家族をとても愛していたという。
ならば隙ができたのは、死んでいたとはいえ、妻子を斬り捨てた時だろう。

その上、いくら捕食対象とはいえ、頸木から逃れ暴れる災厄に近づくのは、魔族にとっても危険だ。
誰もそのような蛮勇は持てない。

だがそれらすべてを、あの魔族はやってのけたのだ。


結局彼が災厄を独り占めするのだろう。


業腹だが、それなりの危険を彼は乗り越えたのだ、認めざるを得なかった。…そう、思われていたのに。

何年経っても、あの魔族が災厄を食らう様子はなかった。
五年だ。

五年間、事態は膠着状態だった。
そのくせ、この地の魔人たちは新たな動きを見せた。

新たな事業を展開、そして次々とこの大陸に販路を開き、独自の情報組織まで作り上げた。
その間、かの魔族が災厄を食らったという話もなく、淡々と日々は過ぎていった。



―――――いったいどういう状況なのか。






しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...