原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第2章

2幕 会いたい

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「滅相もありません」

命を懸けてアスランは真剣に答えた。
視線は、ひやひやと鎌の切っ先を見ている。
さらに何かを言いさしたビアンカは、ふと、アスランの背後、遠くへ視線を投げた。

とたん、彼女の手から鎌が消えた。

「時間が惜しい。…行きますよ」
言葉と同時に、ビアンカが低く飛ぶように駆け出す。
積雪をものともせず。遅れて、

「はい!」

助かった、とアスランが大きな声を上げ、彼女の後に続いた。
二人の目に映るのは、壮麗なゼルキアン城。
常に吹雪で覆われているため、その全容を見る機会を得られた者は少ないが、見た者は口を揃えて褒めたたえる。



堅牢にして、目も覚めるほど絢爛だ、と。



遠くに、―――――今や近くに迫ったその威容を見上げ、アスランの中に、輝くような期待が生まれる。それ以上の、不安と共に。
「本当でしょうか」
アスランが、そわそわした様子で、城の方を見やりながら、言葉を紡ぐ。



「本当に、ご主人さまは…完全に、還られたのでしょうか」



それは、何度目の台詞だったろうか。
何度聞いても、何度答えをもらっても、物足りなさばかりが募ってしまう。

隠せぬ期待がにじむ少年の声に、ビアンカはまっすぐ前を見つめたまま応じた。


「つながっている若さまの命が、答えを教えてくれています」


力強い、断言。

ビアンカの言葉に、アスランは、分け与えられた主人の命を意識する。
かつて、魔族の魔力に感染していたそれは今や―――――あきらかに。




五日前までとは違っていた。




…五日前。

ゼルキアンの地に、天より光の柱が降りた日。
その命の欠片は、清浄な強さと輝きで、アスランを癒し、満たしていた。

感じるなり、涙を流した魔人は、アスランだけではなかったはずだ。


魔族に憑依された後、オズヴァルト・ゼルキアンの魔力も命も、その魔族の魔力に感染した。
その命を分けられることで、分け与えられた者は、魔人と化した。

分け与えられた命がたとえわずかであっても、魔人となることで、人間とはけた違いの魔力と寿命を彼らは得た。


魔族の命が人間の命と混ざると、まったく別の存在となるとはこういうことか、とアスランは知った。
引き換えに、魔人は、いのちを分け与えた魔族に逆らえなくなる。

だが、今。




彼等はいったい、『何』になったのか。




アスランが身内に感じる命の片鱗は、今や魔族のものではない。

情報通りであるなら、そして…自身の感覚を信じるなら。


―――――もっと別の、力強い清浄さに満ち、高貴な輝きを湛えた、これは。

天人のものだ。


つまり、アスランの主人は、天の権能を宿す存在。その方は。
屈辱と絶望の中、待ち焦がれた、真の主。

その事実に感じるのは、最早屈辱ではない。



歓喜だ。



あまりの昂りに、知らず、身体が震えた。
じわり、目尻に涙をにじませかけ、慌てて堪える。

それでも堪り兼ねた気持ちが、言葉となって飛び出した。



「―――――…お会いしたいです…っ」



いや、そこまで贅沢なことは望まない。
垣間見るだけでも、アスランにとっての救いとなる。

もちろんこれは、他のヴィスリアの魔人、全員に言えることだろう。










アスランは、かつてシハルヴァ王国首都で、残飯を漁りながら生きていた孤児だ。

―――――今でも覚えている。

饐えた臭いが漂う裏路地。
薄汚れたその場所に立つ、高貴な人。

気高く強い、絶対者。

そのときあの方は、何かの事件を追っていたようだ。
アスランなど、貴族にとっては、ゴミ同然の存在だったはず。けれど。

目が、あった。

ちゃんと、一個の命として、人間と、して。あの方は、アスランを、見た。



ゼルキアンの証―――――青紫の瞳に、アスランの姿が映りこんだ。



その姿はみすぼらしくみじめで、こんな格好で彼の前に立っているのかと、どこかへ逃げたい衝動が湧きあがってきたけれど。同時に。
―――――…チャンスだと、思った。

この、汚泥のように生き、汚泥のように死ぬ、この生き様を変える、チャンスだと。

なぜそんな確信を持てたのか、アスラン自身、よくわからない。
なにせ、あの方はうつくしいが、恐ろしい。
どこからどう見ても、悪者だ。

ひどく冷酷で情が薄そうに見える。

実際、自ら手を差し伸べるような、慈悲深さはあの方にはない。ただし。




妙な、確信があった。

自ら立ち上がろうとする者には必ず手を差し伸べてくださる方だ、と。




ゆえに、意地でその場に踏みとどまったアスランは声を上げた。


ずっとここにいる自分なら、必要な情報を提供できる、だから何でも聞いてくれ、と。


結論から言えば―――――アスランの直感は、間違っていなかった。
―――――この子は役に立つ。

そう言って、アスランが望むなら、とこの地、ゼルキアン領へオズヴァルト・ゼルキアンは彼を連れてきてくれた。

そんな彼が、…ようやく。










「早く、はやく、ご主人さまに…!」
皆が、会いたがっていた。

領地からの報告だけで十分だろう、と思われるかもしれないが。



足りるわけがない。



しかし、全員が持ち場を離れるわけにはいかず、ビアンカとアスランが代表でゼルキアン領へ走ることになった。
ビアンカは特別だ、彼女が行くのは、誰も反対しなかったが。

アスランの場合は、何も彼でなくともよかった―――――つまり。


今日ここへ来る権利を、彼は戦って勝ち取ったわけだ。


それは、熾烈な争いだった。


先を駆けるビアンカは、黙って頷いた。
ただ、その表情は、厳しく、…どこか暗い。

思わず、と言いたげに、彼女は低く呟いた。




「…本当に、ご本人が、戻られたの…?」




力ない声は、吹雪にかき消され、結局誰の耳にも届かなかった。
魔人が本気になれば、城までの距離は、簡単に詰められた。

見上げる巨大な鉄の扉は、氷つき、永遠の封印をかけられたように見える。

それを見ても、二人とも足を止めない。ビアンカは雄々しく告げた。
「開けますよ…っ!」

「いえ、」
鼻をすすり、最後の一歩でアスランは、ビアンカを追い抜く。



「ぼくが、開けます」



刹那、彼の口元に浮かんだのは、不敵な微笑。
その眼前、大きな術式が描かれる。



それは荘厳な輝きを宿し、不意に燃え上がった。一帯が、真紅に染め上げられる。



「開け!」
生じた灼熱の炎に、鉄の扉が真っ赤に染まる。
たちまち、その赤が扉の中央に凝縮―――――まるでそれが鍵だったかのように、自ら内側から開きだした。

客人を迎え入れる巨人の腕のように。

その隙間を縫うように、二人が敷地内に駆け込んだ瞬間、吹雪がやむ。同時に。
彼等の背後で、扉が閉まった。

吹雪は嘘のように掻き消え、庭先に満ちているのは、穏やかな冬の朝の空気。
外から見れば空には曇天が広がっていたはずなのに、ここでは太陽の光さえ感じる。

そう、これが、ゼルキアン城。

懐かしい空気に、アスランの気が緩む。帰ってきた。

知らずホッとして、自動的に閉ざされた扉を振り返った、その時。




「…アスラン!」








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